* 粉屋は自分の水車場に水を引きたがるーーー我田引水。
*水を引き過ぎた粉屋がおぼれたーーー過ぎたるは及ばざるが如し。
*粉屋が知らないうちに水は水車場を流れていくーー逝く者はかくの如きか、昼夜をおかず。
*過ぎてしまった水では水車は回らないーーー好機逸するべからず。
*神の水車場はひくのが遅いが粉は極上の細かさだーーー天網恢恢疎にして漏らさず。
*いちばん早く水車場に来た者が、ひくのもいちばんーーー早い者勝ち。
*水がない水車は動かないーーー腹がへってはいくさができぬ。
*臼がなげれば粉もないーーーまかぬ種は生えぬ。
以上、水車哲学イギリス版
上掲のアフォリズムは、『小麦粉博物誌』という本に載っていたもの。
このところ二・三日は、「なるほどなあ、同じ水を引くでも「麦作地帯では水車のため、稲作地帯では水田のため!かあ」などと、愚にもつかぬことに感心しながら読んでいる。
この『小麦粉博物誌』は日清製粉が企業PR用に発刊した本だが、さすが、照葉樹林文化を提唱した一人である中尾佐助さんが監修しただけあって、話の幅が古今東西に渡っていて大変面白い。チョットあとがきの一端を紹介すると、
「いま地球上の耕地で最も多量に栽培されている穀物、小麦と人間のかかわりあいの歴
史は、およそ1万年以上も前にさかのぼる。最初に野生の麦類の採集時代があり、やがて
原初的な農耕が始まる。製粉の発明が食の文化をおしすすめ、豊かに広げていく。
この本は、その広大で膨大な小麦粉文化の121枚のスケッチ集である。拡大鏡で調べた
切手サイズの微細面もあれば、超ワイドのレンズでとらえたパノラマもある。(中略)
パン、パスタ、めん、といったいわば小麦粉そのものだけではなく、ケーキになり、菓子に
なり、ねりものになり、揚げもの、焼きもの、煮ものの素材になりして、小麦粉は千変万化に
姿を変えてキッチンを跳びはねている。とりわけ現在のわれわれ日本人の食卓ぐらい世界
の小麦食が幅広く登場している舞台はあるまい。日本人はいまではワールドワイドな“小麦
食文化民族”なのである。
その食卓に、豊富に、より良質な小麦粉をお届けするばかりでなく、これからもますます進む
であろう小麦粉文化の楽しい発展にいささかなりとも貢献したいという私たち日清製粉の
日ごろの願いから、・・・」
もう一文だけ紹介して、この本の雰囲気を味わっていただこう。
「スパゲッティGI風」
スパゲッティの料理書には必ずといっていいほど登場するし、スパゲッティ屋さんのメニュー
にもよく見かける「スパゲッティ・カルボナーラ」。ベーコン、ハムとともにいためたスパゲッティ
に、粉チーズをまぜてほぐした卵黄をからめる。ナポリ風スパゲッティ料理と解説する向きも
あるが、実はこれ、第2次大戦でイタリアに進駐したアメリカ兵士が生み出したものらしい。
食糧難は敗戦国イタリアも日本も同じこと。進駐軍のGIたちは材料を持ってレストランへ出向
き、店主にスパゲッティ料理を作らせた。ある日、ベーコンと卵を差しだされたコックが思いつ
きでつくったのが最初、という説である。いわれてみると、ソースがたっぷりかかっているので
もなく、ぬらぬらしているし、栄養本位といった感じがなくもない。
1947年、やみ市ひしめくローマの町に、スパゲッティ・カルボナーラが大流行していたという。
デ・シーカが映画<自転車泥棒>を撮りおえたのは1946年である。
飽食時代の今時の「イタ飯・・・」などとほざく若者たちはともかく、それなりの年代の人なら、映画<自転車泥棒>の中で、盗まれた自転車を探し歩く親子連れの、なんとも切なく悲哀に満ちた
後ろ姿とともに、過ぎし時代にある種の甘酸っぱい想いを心に描くだろう。
昨日、二冊目も読み終えたら、やたらとスパゲッティが食べたくなった。女房殿に夕食造りを頼まれている事もあり、午後iPhoneでレシピを検索し、早速挑戦した。同じつくるなら、手間がかからず、かつカッコいい名前である“スパゲッティ・アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ”(実に旨そうな名前だ!)が良かろうと、勇躍挑戦し始めた。
が、作りはじめて気がついたのだが、アーリオはニンニクを、オリオはオリーブ油を、ペペロンチーノは鷹の爪を意味し、日本風に云えば単なる“一味唐辛子をかけた素うどん(かけうどん)”だと判明。デンプン質ばかりじゃあ夕食向きではあるめえと反省し、急きょベーコンだのポーク・ウィンナーを投入して護摩かして、一品をデッチあげた(生野菜のサラダにも焼いたアゲとジャコを追加しボリウム・アップ)。
上掲写真がその成果、名前を“スパゲッティ・カルボナーロンチーノの生野菜添え”とした(^^)。
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