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2014年12月18日23:26

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もう見慣れてしまった異界の風景。そこに想う先と後 『ホビット/決戦の行方』

あらゆるシリーズ作品へ想像するときがある。
「続篇が先ではなく後だったら?」あるいは「後ではなく先だったら?」
そんな想像だ。

では、はたして「ロード・オブ・ザ・リング(「ロード・〜」)」より
「ホビット」が方が先だったら?
このシリーズに強い印象を記憶しているのではないか?
加速する映画の映像表現に自分はそう思うのだ。

公平の意味で、自分が中つ国の物語を愛し、この年齢になるまでファンタジーを、
ある程度、嗜好してきた部分は捨て去る。 *1

映像化不可能といわれたハイ・ファンタジー *2 を見事に再現した「ロード・〜」。
約10年前になるが、その映像はすごかった。
自分は度胆をぬかれ、世界すらも圧倒された。

人々が想像した中つ国は銀幕に存在し、
監督の“愛”が新古のファンへ完全な答えを返した。

あれから10年。
アメコミやSF。ジャンルこそ違えど「ロード・〜」に匹敵する、
いや、それ以上の映像は当たり前になった。*3
自分の視点のみで見るなら「ホビット」の映像は、
現在あるCG注力映画の質と大差ない。
もちろんスゴいが、もう見慣れてしまった異界の光景だ。*4

人間は刺激へと慣れる。その慣れた刺激から新味や強い印象は誕生しにくい。
結局、そうだったのではないか?
映画独自のキャラクターや、*5
冗長さは関係なく、*6
印象と新味こそ「ホビット」シリーズに夢中になれなかった正体ではないのか?
三部作を観終り、自分はそう思うのだ。


※1 ヒトが大切にする個々の価値や好きな物は、結局、公平な判断を曇らせて濁らせる。自分が評価や感想で重視するのは、世間一般の通念、システムの強弱、常識を含む評価の選り分けだ。両親ではなく小学3年生だった自分が、岩波少年文庫の表紙を見て、書店ではじめて購入したファンタジー小説が「ホビットの冒険」であった。その想い出が、公平の意味で、もう危ない。

※2 ハイ・ファンタジーの定義は世界の完全創造へくわえ、「架空世界が現在までの人類の歴史や伝統文化を包括的に広く含み想像させるか?」を追加しておく。

※3 何十本ものアメコミ映画やSFを観ている人にとって、だれもが強く実感する事実のはずだ。まちがいなく。

※4 とはいえ五軍の合戦の場面はスゴい。ドワーフのファランクス陣形。キビキビと回転して統率のとれたきらめく金の鎧のエルフの軍勢。大穴から現われ、鈍色の鎧をまとい、すべてを粉砕していくオークの群れ。スランドゥイルの乗るヘラジカが、大角で敵を突き刺す。からすが丘でボルグとアゾグと戦うトーリンとレゴラスはアクロバットな戦闘を繰り広げる。見所は満載だ。そういった部分では全三部作に満足している。

※5 ただ、タウリエルの活躍で(ごり押しで)、原作のキャラクターの活躍と印象がかすんでしまったのは事実ではある。

※6 たとえばスマウグのひっぱりすぎなど(そのわりには第3作の冒頭であっと言う間に退場など)、冗長な展開を含め、どうにも全体の整理ができていない。
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