mixiユーザー(id:9051319)

2014年12月07日12:21

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男じゃなくて猿もつらいよ 『猿の惑星:新世紀(ライジング)』

ヒトに近い以上、
知性をもったサルが“ヒト”のように悩みを抱えて葛藤するのは当然かもしれない。

前作でウイルスを投与され知性を得たサルたち。
人類は、そのサルウイルスに感染し絶滅寸前であった。*1
一方、前作でサルのリーダーになったシーザーは山奥にコミュニティを築き、
繁栄していた。そのコミュニティにヒトの闖入者があらわれる――。

シーザーはヒトに教育を受け、人間への思慕を持つ。
シーザーの右腕で醜いコバはヒトに虐待された経験を持つ。
その時点で物語は予想の範囲ですすむ。

シーザーはダムを稼働し、街に電力を供給したい人間マルコムへ協力した。
サルとヒトの衝突を回避するためだ。
だが、コバはシーザーの行動に反発する。やがては――。

ヒトの武器を得たコバらが一気に暴力を加速させる場面。
ヒトのように憎み合う場面。

これらは現在の人間を皮肉る風刺かもしれない。
あるいは高い知性を持つことへの哀しさなのか?

ユニークなところは物語がビターエンドで終了する部分だ。
シーザーはコバの策略で瀕死となるが、マルコムらの治療で一命を得る。
そして、コバにきびしい裁きを下す。

統治者や支配者には、ある部分で厳格さが必要だ。*2
それもこれも“ヒト”と同じ。その意味でシリーズ中間の本作は、
シーザーが“王”の風格を得る話だ。

ただ、コバが引き金をひいた人間との亀裂はうまらない。
シーザーもヒトとの“戦争”を自覚し、次作へ続く。
結末がたのしみだ。


※1 そのため人間はサルに憎悪を抱く。説明はないが、知性をもったサルのことは前作のシーザーの暴動を見て周知の事実なのかもしれない。

※2 統治者や支配者といわず上司やリーダーで大成する人物は、結局、どこかで(なにかで)おそれられているものだ。歴史や人物が証明している。
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