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2014年11月20日23:30

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「兜に於ける“吹き返し”考」7


はいはい、サクサク行くよ〜7回目だよ〜。


昔の和弓は頬で引いた。何故なら吹き返しが邪魔してたからという逆説が成り立つ…こんだけの話をするのに、どうしてこんこんと弓矢の説明しなきゃならんのか!


ということで、まあ他にも書きたいことは本当はありますが、それはまたいつか弓矢の歴史について語ることにして、一回弓矢から離れます。


吹き返しの邪魔くささ…それは実は弓矢だけではなかったのですよ。そう、剣。あんなに大きく吹き返しがあるとですね…剣を振りかぶることが出来ないのです。
そもそも…日本刀という剣は平安〜鎌倉期に掛けて…よく見てくださいよ、茎(ナカゴ)が異様に短い!

そう、日本刀は初期に於いては「片手剣」だったのです。

もう一度おさらいしますと、古代の合戦に於いて中核を成すのは騎馬武者です。彼らは馬上にて弓を放ち(弓手・ゆんで=左手…この手首が異常に発達することを鞆(ホムタ)という。そして和弓は世界でも珍しい左手でコントロールする弓矢)、それで決着がつかないと馬手(めて=右手)で剣を払い一騎駆を行う訳です。

あらら、馬を制御する手は? 大丈夫、この時代人馬一体の技術があったのです…多分。もう馬術の事にまで口出すと本当に収集つかなくなるので、気になった人は自分で調べて補足して!


そうしますと、基本的に剣を扱うのは片手という事になります。だから結果として茎が片手分しかなくても良かったのです。寧ろオカシイのは室町期に入ってからの日本刀で、ナカゴが片手分しかないのに両手持ちの剣に変わってしまった事です。
幾分か例外はありますが、ナカゴが半分しかないことによって、日本刀の実用性や強度は著しく落ちる事となるのです。まあ、これについてはまた時間がありましたら改めて書きますので、しばしお待ちを。


話を元に戻しますと、必然的に鎌倉期の日本刀は突くか、水平に薙ぎ払う…この2パターンしかないことになります。馬上で行いますのでさもありなん…と言ったところでしょうか。だから鎌倉期の鎧には右手にしか籠手が必要なかったんですね。一騎駆ではお互い右側を交差するわけですから。


では吹き返しが防御に役立っていたのか?

ここが一番の疑問な訳ですが、全然役に立っておりません。寧ろ形状からして正面からの矢を顔に呼び込んでしまったんじゃないかとすら思います。

平将門を初めとして、古代の武将はやたら眉間に矢を射ぬかれて倒されてます。彼らの兜が現
存しておりませんので確証できませんが、これって、みんな吹き返しが眉間に弓矢を呼び込んじゃったんじゃないの?


はい、ここまでで鎌倉期の説明を終わります。こうしてみると吹き返しというのは、ファッションが歴史を左右したんではないかと思える稀有な例だったんですね。
しかしこのファッションリーダー“吹き返し“は、意外と長く使われ続け、次のターニングポイントが来るまでメインストリームであり続けるのです。

次の変化とは無論、異文化交流です。イーストミーツウェストの事態が日本に起きる訳です。



…おお、自分やればさっさと進める事が出来るじゃないか。

本日のまとめ


弓矢だけじゃなくて剣を使うことに於いても吹き返しは邪魔。でも、そもそも水平斬りなのでそんな気にする人もいなかった。
吹き返しは弓矢を引き込む可能性すらある、危険なファッション。




…やべ、兜の性質の違いについて記述するの忘れてた…もう面倒なのでこれも調べて………


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