mixiユーザー(id:14108240)

2014年09月07日12:25

35 view

🟣 🍓有難うに有難う

「お母さん、ありがとね、ありがとね」
6月にあった義母の葬儀の時、ふたりの義妹は何度も泣きながらそう繰り返していた。
その時私は思った。
私は母の葬儀の時、多分何度も「ごめんね」と言うようになるんだろうな…と。

認知症の母に手を焼き、何度も早く解放されたいと思ったこと、母の人生の晩年、こんな惨めな思いを母自身は望んでなかったはずだと、勝手に自分の都合のいいように思ったこと、粗相をされ、寝具や壁を汚物で汚された時などによぎった残酷な思いや、思わず手が出たこと等々、詫びることはいっぱいある。

7月に母が転院した病院は自宅に近く、通勤途中にある。おかげで私は毎日顔を出すのも楽になったし、一日3〜40分の見舞いだけだからほぼ100%孝行な娘にな れる。

それでも日々弱っていく母を目の当たりにすると、自分が過去に思った残酷なことを詫びずにはいられない。

そんなある日、いつものように病室を見舞った私の顔を見て、寝返りを打ちながら母は弱々しい声で言った。語尾にやや強くアクセントをつけて。
「ありがたいよお…」

「有難う」
それはなんらかの好意的なアクションをしてくれた人に対して言うお礼の言葉だけど、母のこの時の「有難い」は、私にだけではなく時空を超えた、その先の何か、自分の人生や神にまで私への感謝を伝えているように思えた。

母のその一言は私にとって、質も量もはるかに「有り難う」を超えていて、私は声が詰まった。

「ううん、お母さん、私の方こそ有難う」
涙の混じった声でそう言った時、私は心から母に感謝した。
有難う以上の有難うを言ってくれて有難う。
「ごめんね」という言葉から私を解放してくれて有難う、と。

私のことを「可愛くて可愛くて仕方が無い…」と言ってくれた。
「ありがたいよお…」と言ってくれた。
その時私は親を看取ることができる幸せを初めて信じることが出来た。

「有難い」
その言葉を噛み締めながら思った。
願わくば私もそう言って終わることができる人生でありますように、と。


   *** 後記 ***


この時から7年。
私はこの時の母の年齢に7年近づいた。
母の年齢に近づくたびにいつか来る自分の死を想像せざるを得ない。
それは認知症になるかもしれないという恐怖といつもセットだ。

そして母を看取って責任を果たしたという達成感からくる幸せの後には、そういう恐怖がやってくるという事を初めて知った。

いくら晩年に有難うと言える人がいれば幸せだと分かっていても。
1 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年09月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

最近の日記

もっと見る