涙が出た。
何度も滲んだ。
欠伸のせいである。
欠伸は立て続けに出た。
退屈なせいだった。
渋谷パルコで上演中の「ショーガール」
かつて木の実ナナと細川俊之が演じた二人だけのあのシヨーは、当時パルコ劇場の顔として15年間も続いたらしい。
私は一回目を独りで観た。
洒落た大人のショーにすこぶる満足し、2回目は結婚後だったので主人と観た。こういうステージを観る機会も趣味もなかった主人も堪能してくれた。
好評だったためだろう、その後はテレビでも放映された。
だけど回を重ねるごとに幾分下品になって行ったように思った。
でも劇場から足が遠のいたのはそのせいではなく、マイホームを求めて都内を去ったからだった。
そのショーガールが三谷幸喜によって甦った。
主演はシルビア.クラブと川平慈英。
ところが期待に胸踊らせて妹を誘い、劇場に足を運んだのに!
…外れだった。
始まった途端にかつてのステージを知っている私は「違う!」と叫んでいた。
これで「ショーガール」なんてタイトルをつけていいのか?
例えばデザイナーのシャネルとか、サンローランだとか、当の本人はとっくに亡くなっているのに、彼らの名前はブランドとして新作が次々に出る。
若い頃はそれが不思議で仕方がなかった。違和感があった。
それと同じ、いやそれ以上の違和感があった。
「ショーガール」というからにはオリジナルのいいところは踏襲すべきだろう。これじゃまるっきり別物だ。
もちろん別物は別物なりの面白さがあればいいけど、残念ながらそうではなかった。
売れっ子の作家やシナリオライターは、アシスタントに書かせたものに自分の名前をつけるということがあるらしいけど、もしかしたらこのステージはそうなんじゃないか?
そんな疑惑が頭をかすめた。
その推測の方がよっぽど楽しめた。
いささか不健康ではあるけど。
ただ隣の席の人が涙を拭っている私を見て、泣くほど笑っていると思ったのではないかとか、泣くほど感動している思ったのではないかとか、そんな誤解をされたのかもしれないと思うと、それだけが今も気がかりだ。
悔し泣きだったのね。
せめてそう思って欲しい、いや思ってくれ!
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