mixiユーザー(id:493406)

2012年12月30日18:25

15 view

日記に見る気づき−1 (今年を振り返り−6)

■6/15
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1852468745&owner_id=493406&org_id=1851355787

挨拶されると
思わず
自然と返しちゃうものなんですね。



■6/16
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1852602781&owner_id=493406&org_id=1852468745

感じるとおりに挨拶すれば
それでよかったんだということ。



■8/6
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1863395429&owner_id=493406&org_id=1861663366

ここ1,2年の読書のうち
宗教、信仰、スピリチュアリティ
という成果を、

その用語を
「使わず」
にあらわすなら


認知療法でいう

「認知」を変える、

「とらえかた」次第なんだ、

ということにつきる、

帰路の池袋駅の地下街を歩いていて、

「あれ。驚き」

大勢の命ある
炎の輝きを内在した
大勢のいのちが
同時に生命を生きているのを
火花のように舞い踊るのを
全方位の視野に感じ

「ああ。しあわせだ」
と感じる。

つまり
「しあわせ」って何かと
ぼくの感じる「しあわせ」というのは
「しあわせ」と「感じる」ということ
「しあわせ」であると「認知する」ってことなんだなあ
とつくづく気づく。

どう認知するか
どうとらえるかは
「自由」で
「自由」の幅は
無限大。

「しあわせ」とは「なる」ものではなく
「しあわせ」とは「である」もの
「しあわせ」とは「である」ことに「気づく」もの。



■8/8
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1863607377&owner_id=493406&org_id=1863395429

百人百様の
千人千様の
祈りが
自由に
豊かに
創造的に
展開されるのが良いと個人的には感じるし
自分ではそうしたいものだ。


論理とか
科学とかは
それらが扱える範囲
手が届く範囲
観測可能な範囲を
のみ扱うのであって
(もちろん、その範囲において絶大に有効だが)
ひとたび
その範囲を超えたところを
無理に扱おうとするのは
個人的には
「野暮天の極み」に感ずるように
ここ数年で大転換してきた。

科学者、唯物論者、無神論者が
「あらゆる全ては科学で説明できる」
と脳のMRIをとったり、電極埋め込んだり
向精神薬を開発したりしているけれど
どこまでいってもそれは外部なんだよ。
内部には
生命の内側には
入ってこれないんだよ。

あくまで科学の手の届く領域を探っているに過ぎない。

星の王子様も言っていたけど
「大切なことは目に見えない」
「砂漠には冷たい湧水が隠れている」

差異はあるさ。

言葉にできないものを
無理に言葉にしてるんだから。


枝葉末節にこだわると
大同を忘れ小異にこだわると
爆弾テロが起きたり
いろいろ

共通点にフォーカスすれば
みんな似てるよ

感じる。

おまかせ

バガヴァット・ギータでは
「バクティ(信愛)」で神にすべてをささげ「おまかせ」

キリストでも
やっぱり「おまかせ」」

イスラムでも
やっぱり「おまかせ」

神社
(一般の作法は良く知らないが)
ぼくの我流のお詣りでは
未来のすべてを「おまかせ」

マルクス=アウレリウスも
ウパデーシャ・サーハスリーでも
そんなこと言っていたような気がする。

この先の道と一つとしては
神と自分は一つで
世界と世界のいのちも一つという
洞察を得る
プロティノスの言う
「一なるもの」

あるいは
一般的な意味での自分が消えるような
梵我一如

親鸞では
弥陀の本願にの力による
「絶対他力」で
すでに、ひたすら
弥陀の本願によって救われている。
それに気づけばよい。
それに気づきさえすれば。
生きながらにして
即座に
浄土に往生している。

独坐大雄峯
赤肉団上有一無位真人
真我
神我
プルシャ

「いま」「ここ」
「現在」
「この微分的瞬間」
「停止したような無限の瞬間」
を生きることに気づいていく。


ぼくがことさら
野暮天などと言わずとも



科学は外側を扱うし
政治も外側を扱う。



自分の内側は
究極的というか
本来的には
自分にしか触れないもの。



本来的にすみわけは
できてるんだったなあ。



■8/10
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1863988354&owner_id=493406&org_id=1863801793

自分で自分の
内側を変えることで
(唯一自分のみが変えられる)
自分「一人だけ」を変えるだけで

どんな未来が来ようと
燦然と輝くような
あるいはほのぼとと照らすような
100%のしあわせになれるんだな、と感じます。





■8/20
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1866206466&owner_id=493406&org_id=1865697169

つまり
自分の抑圧した無意識を
韓国の大統領やら
中国の民主活動家の上に
投影していただけだったんだなあ。

同様に
国の大統領や
中国の民主活動家は
日本の島を
見ているというより、

その人たちの
抑圧された無意識を 、
日本の島に
投影しているだけだったんだなあ。



■9/6
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1869378405&owner_id=493406&org_id=1868554394

弱い刺激は遍在するが
強い刺激にかき消されて
普段は感じられない

強い刺激が消えたとき(消した時)
弱い刺激が豊かに広がってくる。

<例>
夜道
真っ暗闇
ランプをかざして(強い刺激)
迷子

ランプを消した時
家のともしびが
森の向こうにほんわり見えて(弱い刺激)


<例>
自力=強い刺激

この強い刺激を吹き消した時
弱い刺激=絶対他力が前面に
妙好人



■10/14
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1875836988&owner_id=493406&org_id=1875815167

・禁酒の「累積」を、誇りにしていたこと
 ・そこには見えない新たな「執着」があった。
 
・生きる自信の基盤を、その誇りの上に築いていたこと
 ・そこには見えない新たな「依存」があった。




■10/18
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1876422599&owner_id=493406&org_id=1875836988

みやばあちゃん:
「全ての出来事は
 ただの出来事なのよ
 
 それを、
 良い出来事、
 悪い出来事
 と決めるのは
 『自分の心』

 でもね
 学びの心を持っていれば
 どんなことが怒っても
 「キズ」はのこらず
 そこから学びを得て
 「キ」がひとつふえて
 『キズキ』が残るの



■11/28
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1882466355&owner_id=493406&org_id=1881425404

ひょっとして
今日出逢った人みんな・・・。

やっぱり
胸の内が明るい光がさす。

先に挙げたような
不二一元の人類の伝統から言えば
その通りなんだ、ということになるんだと感じます。




2012年の気づき―2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1886767535&owner_id=493406

2012年の気づき―3
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1886767428&owner_id=493406&org_id=1886767535

2011年の気づき―1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1806870587&owner_id=493406

2011年の気づき―2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1807167361&owner_id=493406&org_id=1806870587

2010年の気づき―1
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1645304121&owner_id=493406

2010年の気づき―2
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1645434339&owner_id=493406&org_id=1645304121

2010年の気づき―3
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1645750680&owner_id=493406&org_id=1645434339

2010年の気づき―4
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1645751144&owner_id=493406&org_id=1645750680

2009年の気づき
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1645226174&owner_id=493406&org_id=1645304121
3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年12月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031