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2010年12月25日20:17

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日記に見る気づき 1月-3月(今年を振り返り3)

■1/6 自分を大切にすると
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1383003988&owner_id=493406
美しいものに接していると
自然と、自分をとても大切にしたくなってくる。
そうすると自然に
他人をとてもても大切にしたくなる。
他人もまたその人自身をとても大切にしていることに気づくからだ。
そんな自身を大切にしている他人には
深い思いやりと気配りと配慮をもって
最大限に尊重して接しなければならないことが
ようやくわかってきた。


■1/7 子供の目
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1383802691&owner_id=493406
自己評価が回復し
「子供の目」と
「子供の心」を
取り戻したような感覚である
見るもの聞くもの触れるもの全てが
新鮮な感動に満ちていて
夢中だから一日が長いわけで
子供の頃楽しかったように
とても楽しい


■1/14 ジョギング
身体を動かすことにより、
精神と肉体と思考と感覚が
調和し融合することを知り、
その快感を知ってしまった


■1/25 人間&コミュニケーション
http://mixi.jp/list_diary.pl?year=2010&month=1&day=25
・子供を、子供扱いしては
 決してならないと思う
 人間は
 子供は
 幼児は
 この大宇宙より
 遥かに深淵で崇高

・その内面の大宇宙から絶えず溢れ出ている。
 その溢れたものが、たとえ完全な無言でも、
 表情、視線、しぐさ、息遣い、
 などの全身の隅々から
 常にくまなく表出している。

・非言語コミュニケーションこそ
 最も重要なものかもしれない。
 言語を用いないことにより、
 言語の使用と依存を拒絶することによって初めて、
 真に伝わるべきものが伝わっていく気がする

・風景が変化することで
 変化する風景に自分の精神を「あわせて」いくことで
 自分の精神も変化される感覚になる。
 精神が洗濯される感覚。
 これが、自然の風景に人間のこころが癒される仕組みだと感じる。

・「愛」があれば、そこから力を得ることができる。

・唯物論と観念論は、両者とも"true"であり、
 両者の融合と調和は可能で、両立・統合は可能

・音楽とは、音楽自体は目的でなく、
 むしろ手段であり、
 人格と精神の陶冶が目的なのかもしれない。


■1/31 ここまでの気づきを振り返り
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1402304812&owner_id=493406
・あらゆる「いま」というすべての瞬間を愉しみ尽くす(苦難も含め)
・世界中の人間に嫌われても、ぼくはぼくを見捨てない
・どんな失敗をしても自分だけは自分を見捨てない。
・自分の人生の主役は自分。
・「空気」に左右されたり支配されたり忍従したり絶対にしない


■2/1 初めての雪。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1403435239&owner_id=493406
「いま」を生きるようになったいまは
その
蠢き犇めく
何百何千という
白い雪の粒粒の
すべてが
同時に
把握・認識でき
そのすべての個々に同時に
共感し感情移入できてしまうという大迫力。
そして同時に
その風景全体に対しても同時に
共感し感情移入できてしまうという大迫力。
それは猛烈な感動であり
もし
全身全神経全精神全霊を尽くして
その官能的な降雪を
鑑賞し堪能し共感し
集中力の限りを尽くして感情移入したのなら
恐らく
一時間それを続けたら
完全な「燃え尽きうつ病」になることを確信した。


■2/14 実存主義的体感
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1413403977&owner_id=493406
いままさにに自分はかけがえなく生きていて
目の前の人が大宇宙の深淵として押し寄せ
いま自分は猛烈に生きていてるという猛烈な感覚。


■2/14 現在
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1413423675&owner_id=493406
常に「創造」される「現在」という「瞬間」。
現在という瞬間のみが永劫に創造され続ける。


■2/28 出会い
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1425519825&owner_id=493406
初めて会うのは人生において 一回だけだから


■3/6 リュウジュさん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1430380156&owner_id=493406
自分に素直になれっていうことですよ



■3/10 内側
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1433012135&owner_id=493406
・「とてもダメだ」
 「とてもムリだ」
 と感じることをやってみると
 自分の内側にいままでない良い変化があるものだ

・理解し体得しても、
 常に栄養補給しないと、
 再び失いがちな類いのもの
 があるらしいことがわかりました。


■3/14 絵本
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1436885026&owner_id=493406
・出逢いとささえで本来の自分を取り戻すというところに感動した。
・知らない世界。拒絶している世界。
 不可能無理と決めつき思い込んでいる世界。
 一歩踏み出し試しに味わってみればおいしい果実。


■3/15 リュウジュさん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1436885026&owner_id=493406
「心を自由になさいませ」


■3/16 それをうけての気づき
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1436885026&owner_id=493406
「楽しかったり辛かったり、一喜一憂している自分を観察し励ます自分。
 そしてその自分は厳し過ぎでも甘過ぎでもいけない、と。
 その自分は、適度に厳しく、適度に手を差し伸べてくれる、と。
 自分の一番の理解者は自分が理想、ということか。
 これってつまり、自分にとっての理想の親・理想の教師・理想の先輩・理想の上司は実は自分でありうる、と云うことか。
 自分を褒め励まし諌め制し自分の成長を助けるのは自分自身なんだ」
「自分の心に素直に」
「事柄がひとつでも、考え方、見方、捉え方は幾通りも」
「心をもっともっと自由に自由に自由に、自分を遊べれるだけ遊ばさせる」
「そのとき素直に感じた心が自分の心」
「それがそのときどきの素直な自分の自由な心で、素直な自分の自由な心はいろいろあるんだ」
「心が自由に遊んでいるうちに自分が見えてくるのかもしれない。ちょうど絵を自由に描き始めると目に見える風景が断然段違いな濃厚なものに見えるようになったのと同様に」
「自由ってぼくの想像より格段に段違いにさらに自由なのかもしれない」
「ひょっとして自由って底なしというか青天井というか、想像を超えて際限なく自由なのかもしれない」


■3/22 子供
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1443220284&owner_id=493406
・おっかなびっくりだけれど
 面白くて夢中で探検しているという感覚。
・目的地までの歩き方はいろいろある。
 歩くことについては
 必ずしも目的地なんか要らない。
 歩くということ
 歩いているということ
 それ自体が
 とても愉しい。
 そのきらきらに比べれば
 目的地なんて
 おまけみたいなものだ。
・「さなぎ」からでてきて
 何だかくらくらしてるところ
 という感じですかね。
 いろんなものが
 あんまりにも、くっきり見えて
 夢中できょろきょろしている感覚でもあります。



■3/25 模倣と創作
習字は模倣で
書は創作なのか。
ふむふむ。
楽譜を弾くのは「習字」的で
即興演奏は「書道」的だ。
「魂とは何か」を「わかろう」、としようとするということは模倣するということであり「習字」的に近いともいえる。
それにたいし「書道」的近づき方もあるはずで、
それは、特定のお手本に左右されずに自由に創作、なわけだから、
自分にとっての自分なりのたましい像、たましい観を創作していくことか


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