mixiユーザー(id:493406)

2010年12月23日22:17

301 view

遅刻考=スピリチュアリズムと心理学から

遅刻について考えたい。


実は昔から時々遅刻をしていた。


去年までは連日の大量飲酒や自己評価の限りない低下があったから特に不思議とは考えない。


去年末の禁煙以来、どんどん内側から良くなっていく大きな変化の中で、これで遅刻とも縁が切れると安堵していたが、そうでもなく、相変わらず時々していた。


そこへきて
先週、熱で休んだ後から一週間、連続で遅刻をしたのである。


理由は日によって、通勤途上のトイレ、腹痛、金縛り、虚脱感、寝坊、と多様にあるようだが、大本の根本は一つの共通した何かだとぼくの直観は告げている。


高血圧、糖尿病、心臓病などの治療は対症療法よりも、根本の生活習慣の改善が必要で、さらに大本の生きかたというかこころの持ちようを変えていく必要があるそうで、それと同じようにこの遅刻を治すのにも根本は一つの何かだと感じる


それと直接結びつくかわからないが、人生で同じ問題に繰り返しぶつかる場合、スピリチュアリズムではその問題を「たましいの課題」と呼ぶようである。


同じ問題というのは、たとえば、自分の周りはいつもイヤなヤツばかりで、学生時代も就職しても転職しても結婚しても再婚しても自分の周りはいつもイヤなヤツばかりでうんざり。というような場合にはそこに克服すべき「たましいの課題」があるとみるそうである。その「たましいの課題」を克服するために生まれてきたんだそうである。


克服すべきたましいの課題を背負って生まれてくる。上の例もその課題が克服されればきっと自分の周りはどこもかしこも素晴らしい人ばかりであることが、あるいは別の何かがわかってくるのかもしれない。


ぼくの場合、この遅刻が案外、克服されるべき「たましいの課題」のうちのひとつのように感じる。


こういう遅刻がこの調子で続けば、お客先をしくじるかもしれないし、そういうことが続けば、会社をしくじるかもしれないし、じゃあ再就職したとしても、同じ調子で遅刻をしたらそこもしくじるかもしれない。再び再就職したとしても、同じ調子で遅刻をしたらそこもしくじるかもしれない。

じゃあいつまでこんなことが続くのか。というと、この、去年までの習癖の名残りのようなこの遅刻がやむまでなのである。


こう考えると、この遅刻は人生上の大事であり、克服すべき「たましいの課題」と感じる。


克服されるまで何度でも同じような問題がやってくるという有り難い性質が「たましいの課題」にはあるそうである。


この一年に気づき学んだことを利用してなんとか解決できないだろうか。


この遅刻につき交流分析の自分たちはどう感じているか。


Critical Parent
ぼくにたいする怒り、憎しみ、侮蔑、嫌悪

Adapted Child
この子は可哀そうでひたすら徹底的に恐れ、怯え、罪悪感、後悔、不安、自責、自罰、自虐、敗北感などを感じている。

Nurturing Parent
ぼくにたいする全的自己の絶対的肯定的受容。仮に浮浪者になろうが刑務所に入ろうが、わたし(NP)はぼくを許し認め愛する。遅刻から何が学べるかな。遅刻も何か必要があって意味と意義があってしてるのかもよ?あるがままに。流れのままに。何事にも捉われなくてよいんだよ。

Free Child
この子はいい子で徹底的に「いま」を夢中で生きるという非常に良い特徴がある。これから何が起きるか。どうなっていくのか。最悪の展開も含め、とにかく「いま」を見つめてどきどきと興味津々で目をキラキラさせている。


こう見てみると、Critical Parent、Adapted Child、Nurturing Parent、Free Childどれもみんな、「遅刻を治す」という意味では有効なことを考えていないようである。


遅刻を治す具体的な対策を。と考えているのは、自分のまだまだ弱いように感じるAdultの部分である。この文章を書いているのもこのAdultの部分である。


神社で「明日は遅刻しないように」とおまかせしていたが、潜在意識への深層自己説得ということを考えると、お祈りの文句を間違えていたといえる。

お祈りもアファメーションの一種であろうから、このお祈りだと潜在意識へ刻み込まれるのは「遅刻」というキーワードなのである。

「肯定的」深層自己説得を潜在意識に行うことに意味がある。

もしお祈りするのであれば「早起きできますように」ということばか、「明日も早起きできます。有難うございます」ということばか。
さらにもっと具体的に、
○時○分に気持ち良く起きれた自分をリアルに思い描き、○時○分のバスに乗り、○時○分の電車に乗り、○駅で乗り換え、JRの駅から私鉄の駅まで朝の冷たい空気を感じながら走り、○時○分の電車に乗り、○時○分に会社について、たっぷり余裕をもってついたので朝から大変に気分が爽快だ、というイメージを具体的に思い描く。スポーツ選手のメンタルトレーニングで取り入れられている有効とされる方法だ。


アンカリング。朝、目がさめたら柏手を二回打つ。


目覚まし時計を買い足すという考えもあるが、これは対症療法で、根本の解決、たましいの課題の克服とは違う。現在すでに、目覚まし時計ひとつと、携帯電話のアラームをいくつか鳴らしているわけで、以前起きれていてこの一週間できなかったのは、それに慣れたのか。慣れたのなら目覚ましをいくら増やそうがいずれは慣れてしまうわけで、そしたら「たましいの課題」の性質そのままに、もちこされた遅刻の問題が解決されずそのまま再び現れることになる。


結局
その他の具体的対策も、結局は対症療法なわけで根本の課題からの解決とは異なる。


どうしたものか。


と、ここでふとネット検索をしてみると
「CounselingService −すぐに役立つ 心理学講座−」
 ”Lecture.322 遅刻癖の心理  大門昌代”


「同じパターンを繰り返してしまうということは、
 何かそのパターンを繰り返す原因があるということです」


「遅刻をすると罪悪感を感じます。
 申し訳ないと思うにも関わらず、
 次もまた同じように遅刻してしまうという場合、
 自分は罪悪感を感じないといけないと、
 無意識的に思っている場合があります」


「意識的には「遅刻しないでおこう!」と思っているのに、 
 遅刻を繰り返してしまう時は、
 潜在意識や無意識に、
 自分が罰せられるにふさわしい人間である
 と思う何かがあるのかもしれません」


「自分は罰せられるにふさわしいという思い込みがあると、
 誰かに攻撃されたり、
 自分を責めるような状況を
 作り出してしまうことがあるのです」


「遅刻をすると『罪悪感』を感じます。
 「申し訳ない」
 「どうして私はいつも、遅刻をしてしまうんだろう」
 「私って、ダメだ」
 と、自分を責めます。
 つまり、遅刻癖がある人は、
 何かをする時に、
 罪悪感を感じてからスタートする
 というパターンを、持っているわけです」


「潜在意識や無意識に
 「私は悪い人間だ」
 「私は駄目な人間だ」という想いがあると、
 「ごめんなさい」を言うような状況や、
 誰かに責められたり、攻撃されたりする状況を、
 自分で作り出してしまうということがあるのです」


「人間が普段意識しているのは、約4%程度しかなく、
 残りの約96%は、潜在意識や無意識の領域なので、
 4%対96%で、意識は完敗してしまうからです」


「遅刻に対処するというよりも、
 罪悪感に対処すると考えた方がいいかもしれませんね。
 自分に罪悪感を感じるパターンがあるのだとわかったら、
 罪悪感が更なる罪悪感を作り出す
 悪いループから抜け出すために、
 自分を許していくことが必要です。」


「まずは、
 自分には
 罪悪感を感じようとするパターンがあるのだと、
 受け入れましょう」


「遅刻した自分を許すのです。
 「ええっ!!」と思われるかもしれませんが、
 遅刻した自分を責めるということは、
 罪悪感を感じて、
 自分を責めるというパターンそのままです。
 パターンを変えるには、
 責めるのではなく許す」


「自分を責めてしまっては、
 罪悪感ループにはまってしまいますからね」




うう。

ということは、やはりこれは去年までの傾向の名残りであって、犯人といえる部分はこの子のなのだ。

Adapted Child。

この子の口癖は「ごめんなさい」で、去年までCritical Pacrentとともに自分の中の大きな部分を占めていた二人のうちの一人。


この遅刻に含まれていた「たましいの課題」のひとつは、このCritical ParentとAdapted Childのペアの救済ということだとだんだんわかってくる。


去年末来、Nurturing ParentとFree Childの面が初めて生まれてきた一年だったといってよいが、それによって、それまで支配的だったCritical ParentとAdapted Childが相対的に弱まってきた一年だったともいえる。


そして遅刻は「去年までの自分」に戻ろうとする「ダメな自分」を確認しようとするCritical ParentとAdapted Childの力だといえる。


そしてこの二人、とくにAdapted Childを救済していける力があるのが、Nurturing ParentとFree Childであり、「許していく」という能力にたけているのはNurturing Parentである。


こうして振り返ると、遅刻をもたらしていたのはAdaptd Childだということがわかってきて、この子なりの自己主張ともいえる。


これに対し、解決の糸口を握っているのは意外にも、全然関係ない態度をとっていると思っていたNurturing Parentだったようである。


生活習慣病を治すのには生き方、心の在り方から変える必要があるのと同じように、この問題も生き方、心の在り方を変えることが必要でそのために準備された課題なのだといえる。


去年末来の変化の方向は良い方向で、さらにその方向への心と魂の前進を進めることで、自然とCritical ParentとAdapted Childの力は相対的にどんどん弱まっていき、今年産まれたといってもよいNurturing ParentとFree Childは力と生命の輝きを増していく。


これはまさに上記カウンセラーの方が書かれていた「自分を責めるのではなく許していく方向にパターンを変えていく」ことそのものに対応している。


そして
ここのところこそが、なしとげるべき、乗り越えるべき「たましいの課題」のうちのひとつだったことがわかってくる。


ここはひとつ、Free ChildとNurturing Parentをその人柄を信頼し、Nurturing Parentにゲタを預けて、その力にゆだねてみようと思う。


この件につき裏で糸を引いているのは、ぼくのとなりのぼくであり、この人は無口だから正確にはわからないが、信頼して大丈夫という温かい感じはあり、ゆだねまかせていて大丈夫なような感はある。



------
Free Childによる音楽の即興演奏
http://www.muzie.co.jp/artist/r011616

1 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2010年12月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031