mixiユーザー(id:493406)

2010年11月25日23:12

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インナーチャイルド&水辺公園

4連休を寝て過ごして、
引きこもり寝て過ごすのは
本当に心身によくない。
とくにメンタルが委縮し、いじける。涙
不安などのネガティブに追い詰められる。

まず行動を起こす。
微細なことでもいいから
「成し遂げた感」自己効力感を積み重ねる。
できるときはできるようになってきたことも
ほんとうにできないときはとことんできないね。

寝てAMラジオをかけながら
ブラッドショー「インナーチャイルド」
を読む。


人間本来乳幼児期から
「内なるワンダーチャイルド」を前面に
生きる生命の歓びそのものとしてある。
2歳三歳のの子供など。

そのワンダーチャイルドがいつしか
「傷ついたインナーチャイルド」となりこれは悲しい可哀そうなことだ。
過去のことなどどうでもよく、いまこの瞬間が大事だ。

そうなのだが
その「傷ついたインナーチャイルド」は
今まさにこの瞬間、ぼくとともに現にある。
なさけなくとも「I am not OK」になってしまいがちだ。
読書を進めると
幼児期の自己、歩行期の自己、学童前期の自己、学童期の自己。
見事にみんな傷を抱えて自分の内側にいるのだ。
そして大切なワンダーチャイルドは息をひそめている。

これに初めて気づいたのは
9月の初めに数十年ぶりに
小学校の卒業アルバムを見たときである。

中学校の卒業アルバムも同時に見たが
笑顔が不自然に硬直しており
傷ついたインナーチャイルドに支配されている。

小学校の卒業アルバムも
記憶ではこわばった笑顔だと思っていたが
予想外にも
可愛らしいややはにかんだような満面の笑みであり
それに胸に強い衝撃が襲った。

まるで可愛らしい無邪気な笑顔な少年。
しかしかぼくはそのとき
この少年の胸の内の辛さ
傷ついたインナーチャイルド支配を思い出し
不覚にも泣いてしまった。

これらの自己の再生こそが
ぼくが隣のぼくの力も借りて
やる必要なことだなあとおもう。

今年前半はワンダーチャイルドが復活したが
後半からワンダーチャイルドが弱まり
傷ついたインなチャイルドによる支配が
再び強まっているように感じる。


まだ記述がネガティブを脱せない。


これらは交流分析理論の用語を使えば
「傷ついたインナーチャイルド」
=>「適応した子供(adapted child
「ワンダーチャイルド」
=>「自由な子供(free child)」
という対応がある。



こういう「傷ついたンナーチャイルド」が
健全で自由奔放な「ワンダーチャイルド」を取り戻せるのかというと
取り戻せるようななのである。

とにかくぼくとしては
過去の犯人さがしはどうでもいい。
それは過去であり、いまのぼくに、一切関係ない。
ただ今現在ぼくが過去からの問題を抱えているのは率直な事実で
まさにいまのぼくが
乳児のぼくの親となり
幼児のぼくの親となり
小学生前期のぼくの親となり
小学生高、思春期のぼくの親となり
みなを
「自由」「自由」「自由」に束縛なく伸びやかにさせてあげ。


ぼくわには足りないとか
目指さないとか
人より劣っている
嵩じて
自分はダメだ
自分は人間として劣っている
自分は生命として価値がない
とならないようにした。

これは「負のループ」なんですよ。
人間がどんどん下降線をいただいて落下していく下降気流。

そうでなく
「正のループ」
ひとのことばでもいいし、
読書でもテレビでも映画がきっかけでもいいし
mixiでもよかろうし。
なんといってもの正の成長曲線にある生身の人とのふれあい

負のループにいる人でも
些細なきっかけで正のループに飛び移れるんだと実感した。

なんといっても
筆者自身がその屈強を独学で乗り越えているのはこころ強いし、
日本でぼくの読んだ範囲では
加藤諦三も自力独学する中でがらがらと一気に世間が見てきている。
岸田秀も自身の神経症と格闘する中で本当の残酷な真実を悟っていく。
こういう例は僕にもやればできるはず、
やれば素敵なワンダーチャイルドの
自由奔放な活躍にお目に書かれるという
確信に満ちた強い希望があふれるのをやまない。

■今日の水辺公園

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