テレビを見ながら寝てしまって、深夜、というか、未明だが、
世界の長者番付で、ビル・ゲイツが2位に転落した
というニュースに、なぜか目を覚ました。
フツーのヒトは、1位がメキシコ人であることをいぶかったり、日本人がはるかに下位であることに愕然としたりするかもしれないけれど、アッシは、起き抜けに、
そうか、ゲイツは複数形だな
と思ったのである。
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Gates という姓は、古い時代の 「城塞都市」 の城門付近に住んでいた人のアダ名である。城門のような gate は、つねに、カンノン開きである。つまり、
左右2枚のトビラで一対
なのである。
実は、
gate という単数形が、そもそも、複数形
なのである。どういうことか。古英語では、単数形の g が口蓋化を起こしていた。
ġeat / ġæt [ jæɑt / jæ:t ] [ イェアト / イェート ] 「門」 単数主格
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gatu [ 'ɡɑtʊ ] [ ' ガトゥ ] 「門」 複数主格
つまり、古英語では、単数と複数で語幹が異なってしまっていた。これは、単数主格が語尾を失った結果、主母音が 「二重母音化、狭母音化」 し、それが先行する g を浸食して [ j ] に変えたのである。
もし、主格の ġeat が現代語に伝わっていれば、その語形は、
yate [ ' イェイト ] 「門」
になっていた。つまり、ビル・ゲイツも 「ビル・イェイツ」 だった。
普通名詞には yate は残らなかったが、固有名詞には残っている。まさに、
Yates 「イェイツ」
である。アイルランドの詩人、ウイリアム・バトラー・イエーツで有名だ。イェーツ、イェイツ、イエイツなどとも書かれる。
イエーツの綴りは Yeats だが Yates のことである。スコットランドやアイルランドに残る綴りだ。すでに感づかれたかもしれないが、古英語の ġeat の ġ を y に変えただけの綴りが Yeats である。つまり、 Yeats は Yates よりも古風なのである。
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標準英語では、
使用されることの少なかった単数形が忘れられた
のであった。つまり、英語においては、
「門」 と言えば複数形
だったのだ。つまり、
gatu 「ガトゥ」 という複数形が、ちゃっかり、単数にスリ替わって、
単数形 gate、複数形 gates となった
のである。いうなれば、 gate は、本来、複数形で、gates は2通りの複数語尾が2重に付いている語、ということになる。
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印欧祖語には、単数 / 複数というパラダイムの他に、
双数 (そうすう) dual number
というものがあった。この語形を取ったら、その名詞の物は 「2つ」 あることを示す。つまり、
単数形 1つ
双数形 2つ
複数形 3つ以上
であった。
だが、「双数形」 というのは、必ずしも、「物理的に、物が2つ」 ある場合に適応されるものではなかった。印欧語族の人々は、
左右一対、また、ときには、左右対称
のものに適応したのである。
英語を習い始めた中学生は、
ズボン・パンツ・ハサミ・メガネ
が複数形になることに軽い驚きを覚えると思うが、これは、
印欧祖語に、そもそも存在した双数形が、
文法上の語形を消失するとともに、
複数形に置き換わったもの
である。
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古英語には、奇妙な不規則変化をするじゃっかんの語が見える。そのうち、ある種の変化をするものの顔ぶれがオモシロイのだ。
duru [ ' dʊrʊ ] [ ' ドゥルゥ ] 「トビラ」。 → door
nosu [ ' nosʊ ] [ ' ノスゥ ] 「鼻」。 → nose
hand [ ' hɑnd ] [ ' ハンド ] 「手」。 → hand
最後の hand は 語幹が長いために、-u が消失したものであろう。つまり、もともと handu であったが、 duru, nosu と比べると、 -u の前の音 -nd- が長いので、語尾の -u が “食われた” のである。それを除けば、こういう変化をした。
duru [ ' ドゥルゥ ] 「トビラは」 単数主格
dura [ ' ドゥラ ] 「トビラの」 単数属格
dura [ ' ドゥラ ] 「トビラに」 単数与格
duru [ ' ドゥルゥ ] 「トビラを」 単数対格
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dura [ ' ドゥラ ] 複数主格
dura [ ' ドゥラ ] 複数属格
durum [ ' ドゥルム ] 複数与格
dura [ ' ドゥラ ] 複数対格
hand は、単数の主格・対格で -u が落ちるだけである。
この変化は、複数の変化は、本来の古英語の複数の変化のパラダイムとの共通点が見える。しかし、単数形の変化がまったく奇妙なのである。
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印欧祖語に 「双数」 があったのは、確かであろうとみなされているが、文証できる時代にいたるまで、完全な形で 「双数」 を保存していた言語は少ない。古典ギリシャ語、古教会スラヴ語など限られる。その他の言語では、ゲルマン語のように動詞と代名詞にのみ残っていたり、ラテン語のように化石化した表現に残っていたりするだけである。
古典ギリシャ語の 「双数」 の変化は、つねに、次のような語尾を取った。
a-語幹 ※主として女性名詞
-ā 主格 「〜は」
-ain 属格 「〜の」
-ain 与格 「〜に」
-ā 対格 「〜を」
o-語幹 ※主として男性・中性名詞
-ō 主格
-oin 属格
-oin 与格
-ō 対格
英語の duru のタイプと変化のパラダイムが似ている。
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実は、「トビラ」 というコトバは、印欧語では複数で使われるのが普通だったようなのだ。それは、「門」 や 「トビラ」 が、ほとんどの場合、カンノン開きであったことを意味する。現代の 「ドア」 のような構造ではなかったのだろう。
現代の印欧語の語形と文法性の混乱を見れば、もともと、「双数」 で使われていた単語が、“双数形という文法上の概念が喪失する” とともに、行き場を失って、
コトバのディアスポラ
を起こしていることがわかる。つまり、
双数形でしか使われないコトバが、
“双数形” という国を失って、
さまざまな隣国へと流れて行ったようす
が観察できるのである。
【 単数男性になったグループ 】
doras m. アイルランド・ゲール語−ケルト語派
dorus m. スコットランドゲール語−ケルト語派
drws m. ウェールズ語−ケルト語派
durvis m. ラトヴィア語−バルト語派
dør m. ノルウェー語−ゲルマン語派
derî m., dergeh m., دهرگا , قاپی クルド語−インド=イラン語派
دروازہ (darvāza) m. ウルドゥー語−インド=イラン語派
【 単数女性になったグループ 】
dor f., dorioù pl. ブルトン語−ケルト語派
duru f. 古英語−ゲルマン語派
deur f. オランダ語−ゲルマン語派
Tür f., Türen pl., Türe f. ドイツ語−ゲルマン語派
Yiddish: טיר (tir) f. イディッシュ−ゲルマン語派
θύρα (thýra) f. 古ギリシャ語−ギリシャ語派
дверь (dver’) f. ロシア語−スラヴ語派
【 単数中性になったグループ 】
dor n. 古英語−ゲルマン語派
【 複数女性になったグループ 】
двьри (dvĭri) f. pl. 古教会スラヴ語−スラヴ語派
dveře f. pl. チェコ語−スラヴ語派
dvere f. pl. スロヴァキア語−スラヴ語派
двері (dveri) f. pl. ウクライナ語−スラヴ語派
dyr f. pl. アイスランド語−ゲルマン語派
dyr f. pl. フェロー語−ゲルマン語派
durys f. pl. リトアニア語−バルト語派
【 単数通性 (男性・女性の区別がない) になったグループ 】
dør c. デンマーク語−ゲルマン語派
dörr c. スウェーデン語−ゲルマン語派
doar c. 西フリジア語−ゲルマン語派
【 単数 / 文法性を失ったグループ 】
در (dar) ペルシャ語−インド=イラン語派
【 複数 / 文法性が不明となったグループ 】
drzwi pl. ポーランド語−スラヴ語派
durje pl. 高地ソルブ語−スラヴ語派
źurja pl. 低地ソルブ語−スラヴ語派
ご覧のとおりである。同じ語派でも “落としどころ” が異なる言語が多く見られる。
たとえば、ケルト語派では、男性名詞となるのが普通だが、フランスに移住した民族のブルトン語のみ女性名詞となっている。
スラヴ語では、多く、
女性名詞だが複数形しか持たない
という扱いだが、盟主ロシア語は、女性名詞で単複を持つ。いっぽう、ポーランド・ソルブ語というひとかたまりのグループでは複数しか持たないが、文法性が不明だ。もちろん、これらの言語に文法性はある。
ゲルマン語がテンデンバラバラなのは、見てのとおりである。
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「双数」 というのは、実は、謎めいていて、古来、言語学者を魅了してきた。単に、言語学的なモンダイではなく、
ギリシャ文学においては、ひじょうに微妙なニュアンスを持つ表現
として双数が使われている。
また、どのような場合に双数が使われるか、また、使われないか、という広汎なモンダイは、
ニンゲンが、この世の中を、どのように区分し、どのように位置づけるか
という “世界観” のあらわれでもあり、また、それが拡散した印欧語族で変化していくようすも観察できるのである。
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さらに言うなら、「双数」 という概念を持つのは印欧語族だけではない。アラビア語に双数があることは、チョッと学習した人ならば、ご承知であろう。それだけではない。世界中のあらゆる地域に 「双数」 は点在している。
「双数」 という世界の切り取り方は、ある種、ニンゲンに特有なものの捉え方である。それは、ニンゲンの目が左右に2つあり、また、体が左右対称で、多くの体の部位が対であることと関係があるのは間違いがない。
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ビル・ゲイツの Gates は複数形なのではなく、潜在的な双数形である。
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