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Close to the western summit there is the dried and frozen carcass of a leopard.
No one has explained what the leopard was seeking at that altitude.
西峰付近に凍結して干からびた豹の死骸がある。
豹がかような高みにまで何を求めて来たのか知る者はいない。
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ヘミングウェイ、『キリマンジャロの雪』 の冒頭に添えられたエピグラフである。
かくも魅力的なエピグラフがあろうか。完全に “出オチ” である。
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昨日、渋谷で古い古い映画を見てきた。
“The Snows of Kilimanjaro” (1952)
『キリマンジャロの雪』
«Иван Грозный: 2-я серия» (1946)
『イワン雷帝 第2部』
『イワン雷帝』 については、1988年の冬に六本木のシネヴィヴァンで見た。当時、堤清二オーナーの影響下に、セゾングループが大規模にソ連文化を紹介していたころだ。
当時のシネヴィヴァンのプログラムを見ると、目がくらむ思いがする。
『イワン雷帝』 の次が、侯孝賢 (ホウシャオシエン) の 『童年往時』
レイトショウで、ブラザーズ・クエイの 『ストリート・オヴ・クロコダイル』
それぞれ、侯孝賢、ブラザーズ・クエイの “日本初公開作品” であった。そのあとに、
ピーター・グリーナウェイ 『数に溺れて』
チェン・カイコー 『子どもたちの王様』
と続く。工事現場で大判の詰まったカメでも掘り当てたような景気である。もちろん、日本経済は右肩あがり。六本木の夜は、飲めや歌え。ビルの谷間で、シモタヤが姿を消し、空き地になっていた。
世界的にも、映画に、まだ、新しい力があった。
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きのうは、渋谷のシネマヴェーラだったのだが、『イワン雷帝』 は、なぜか、英語字幕版である。だから、ガラガラだ。アッシは、ストーリーも知っているし、ロシア史も押さえてあるから、
エイゼンシュテインの “画”
に集中すればよいのだった。すぐに読める日本語字幕は、ないだけ、よかったのかもしれない。
訊いても、わからんかな、と思いつつ、受付の人に、
「英語字幕版なんぞ、どこから入ってくるのか?」
と訊いた。海外から買い付けるのだそうだ。プリントフィルムの転売は禁止されているハズである。
「上映権はどうなっているのか」
と訊いたら、「ありません」 と言う。ワレながら愚問だった。
1953年問題
だ。今回、シネマヴェーラで特集している25本の映画は、いちばん新しいもので 1955年公開である。なるほど、すべて著作権の保護期間が切れているのだ。どうやら、
著作権の切れた映画のフィルムは、自由に転売してよい
らしい。
このシネマヴェーラの “名作特集” には、もう1つ問題があって、ほとんどが 16ミリフィルムなのね。16ミリというのは、映画館ではなく、公民館などの上映会用に貸し出されるフィルムと聞いたことがある。35ミリに比べて、画が、どのようにちがうのかは、並べて見たことがないからわからない。
まあ、DLP 普及のイキオイにかこつけて、最近のミニシアターが、プロジェクタで DVD上映を平気でやっているのに比べたらマシだろう。
銀座テアトルシネマ …… 『赤と黒』
岩波ホール …… 『沈黙の海』 メルヴィル
イメージフォーラム …… 『マリエンバード』
こうした映画のチラシには 「デジタル上映」 などと書いてある。ひでえ詐欺だ。どう言ったらいいだろう。「マグロ寿司 食べ放題」 とウタって、“赤身” しか置いてないようなものである。
DLP 上映で、“走査線” が見えることはないよね…… っていうか、ミニシアターで DLP設備をそなえているところって、ナイと思う。上映機だけで、1200〜1800万円で、その他にも金がかかるハズだし、そもそも、ミニシアターで上映する映画は、DLP で上映できるデジタルデータで配給されないんだから、意味がない。
今の経済状態が、劇的に良くなる可能性は、当分ないだろうから、ミニシアターで DLPが普及する可能性は、とりあえず、今はないね。
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むしろ、問題はそのハザマにある。
つまり、上映プリント用フィルムを焼く産業が先細っているらしい。人材がおらず、経費も高くつく。つまり、
ロードショーでドンと稼げる見込みのないような
たとえば、古い映画のデジタルリマスター版のような場合、
フィルムを焼く予算はないし、デジタルデータでは映画館で上映できない
ということになる。これは、今現在、実際に進行している事態だ。結果、
映画館で、DVD上映会
というバカげたことが起こるのだ。アッシのような1映画ファンとしては、
そのようなデジタル上映を、個人的にボイコットする
以外に、手の打ちようがない。
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ハナシは全然かわるのだが、『キリマンジャロの雪』 である。グレゴリー・ペック、スーザン・ヘイワード、エイヴァ・ガードナーである。
意外だったのは、スタンダードで、テクニカラー。そういうこともあるのか、と。残念ながら、今のわれわれは、この映画の “画” にあまり感動を感じ得ない。
たとえば、1952年のパリとか東京とかを撮影した映画なら、そこに、トテツもない魅力を見出すだろう。しかし、1952年のケニヤのサヴァンナは、今のサヴァンナとほとんど変わらない。そのうえ、
随所々々に、スタジオ撮影がはいる
ので興がそがれる。今どきのケニヤなら、むしろ、
イモトアヤコが、チーターと徒競走をするほうがリアリティがある
わけだ。映像というのはフシギだ。
ひとまわりして魅力を増すものもあれば、
ひとまわりして陳腐になるものもある
のだ。
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『キリマンジャロの雪』 を読んだのは、中学だったか、高校だったか。ずっと疑問だったのは、
キリマンジャロの西峰に、ほんとうに豹の死骸はあるのか
ということだった。
評論家などという種族は、たいくつきわまる。彼らは、エイゼンシュテインがアイゼンシュタインでない理由にも興味を持たないし、キリマンジャロの頂に豹のひからびた死骸があるのかどうかにも興味がないらしい。
訳者のあとがきなんぞを読んでガッカリした。
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インターネットの時代というのは、信じられないほど便利なのだ。図書館を足跡で塗りつぶすほど歩いてもわからないようなことが、わずか、2つか3つのキーワードで調べられる。
クダンの場所は、英語で、
“Leopard Point” レパード・ポイント
と言う。
1926年 (大正15年/昭和元年)、英国の登山家 ドナルド・レイサム Donald Latham (ラザムかもしれぬ) がキリマンジャロのクレーターのフチで、ミイラ化した豹の死骸を発見した。ここは、のちに、「レパード・ポイント」 と呼ばれるようになる。
レイサムは、岩の上に横たわるその豹の死骸を写真に撮ったという。残念ながら、インターネットで、その写真を見つけることはできない。
レイサムは、“Geographical Journal” の1926年12月号に “Kilimanjaro” というタイトルで、その驚くべき発見のことを書いた。
A remarkable discovery was the remains of a leopard,
sun-dried and frozen, right at the crater rim.
The beast must have wandered there and died of exposure.
注目すべき発見があった。一頭の豹のなきがらである。
日干しになり、凍りついて、クレーターのフチに横たわっていた。
この獣はここに迷い来て、日に灼かれて死んだのだろう。
この豹は、のちにヘミングウェイの小説で有名になるのだが、それは、1936年 (昭和11年) のことだった。しかし、
ヘミングウェイが、かの豹について書いたときには、
すでに、その死骸は行方不明になっていた
のである。
かの豹の死骸は、1930年代の初頭には、まだ、頂上にあったが、その後、忽然と姿を消した。その行方を知る者はいないのだ。
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