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2009年12月10日20:39

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無限の生命(応用「自己評価」26)

 生命は有限であり、それは昔から変わりない。皇帝たちは不死の妙薬を探して水銀を飲んだりしたらしいがかえって危ない。生命の無限性は幾通りかに捉えることができると思うが、その一つは時間の連続性に依拠できる。

 はやいはなしが、人生50年としてそれは有限であるかのように見えても、その50年という集合が連続体であるなら、「いま」という「瞬間」は非可算無限個も存在するのである。すべての有理数の個数より濃度が大きく密度が濃いのが人生であると捉えることは可能である。

 つまり、「いま」という「瞬間」を全力で生き切る。それを無限回おこなうのが人生であり生命であると捉えることができる。

 これは、特段ぼくのオリジナル考えというわけでなく、研究により自己評価の高く安定した人はこう云う生き方をしているという特徴があるのだ。

 まず自己評価が低く不安定な人はどう生きているかを見てみる。ぼくは自己評価が低く不安定だからよくわかるのだが、過去・現在・未来にどのように比重を置いて生きているかというと、研究によれば「過去=7」「未来=2」「現在=1」の割合で重心を置いて生きている。さらにいえば、過去のことばかり後悔し、そして未来を心配し、そして現在は自己嫌悪と不安の中で生きているのが自己評価が低く不安定な人であるといえるのであり、とても不幸だ。

 そこへいくと、自己評価が高く安定している人の特徴は、「過去=1」「未来=2」「現在=7」の割合なのだそうで、過去のことは振り返ることなく、未来には目標と計画のみを持ち、そして圧倒的な全身全霊の全力を、「いま」この「瞬間」に集中し没頭して生き抜いている。「今を生きている」のである。

 われわれ自己評価が低く不安定な人間はこれを見習うことで幸せになれるのではないか。過去のことを後悔することはやめよう。未来のことを心配することはやめよう。それにより自己嫌悪と不安がなくなる。そしたら、目標と計画を軽いノリでたてたら、全神経を「いま」この「瞬間」を「生きる」「感じる」ことに集中しよう。そして「いま」この「瞬間」に「集中」することを、「あらゆる瞬間」において「やり続け」よう。

 もしそれを完全に徹底できたのなら、あらゆる瞬間の「いま」を「感じ」「生きる」ことになるわけで、有限の時間ではあるが、時間が連続体である以上、人生は非加算無限の濃度となる。ようするに永遠の生命と同じ濃度を持った無限の生命を既にわれわれは与えられていたのである。

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