“ワイエス” を見てきた。どうだろう。フツーのヒトは、看板に偽りあり、と思わなかったろうか……
“ワイエス習作展”
と言ったほうが正しい。習作のみで 「完成作品」 が来ていないものも多々ある。ワイエス展なら、当然、目玉とモクされる
“Christina's World” 『クリスティーナの世界』
も習作のみである。
アッシ自身は面白い企画だと思った。ワイエスのように、緻密に手を入れていって作品を完成させる画家は、どのようなプロセスをたどるのだろう、という “秘術” が公開されているのである。
かように、完成作品と習作とが、“部分的に” ならぶ企画というのは、ときどきある。ワイエスの特徴は
きわめて几帳面で
用意周到であり
まるで、宇宙計画のプロジェクトでも進めるように
細部から積み上げてゆく
という姿勢である。
絵を描くことの難しさは、細部の描き込みと、全体のバランスとを崩さないことなのだ。わりと荒いタッチで描く油彩ならば、バランスも取りやすかろう。しかし、ワイエスは、
テンペラ
なのである。作品を見ればわかるが、テンペラは細い筆で細密なタッチを重ねてゆく技法である。だから、大作を描くのは、単に重労働であると同時に、また、絵画としても全体のバランスを取るのが難しいのである。
テンペラは、油彩と比べると、黄変などの経年劣化を起こしづらく、きわめて永い時代に渡って原色を保ちうるという特性がある。ルネッサンス期のテンペラ画が、クリーニングによって驚くほどの鮮やかな色彩に蘇るのもテンペラだからである。
また、テンペラは、テクスチャーを再現するのにチカラを発する。木材の肌理 (きめ)、家の壁の手触り、動物の毛の感触などを、さわれるかのように再現できる。ワイエスの絵にリアリティのあるゆえんである。
今回の、ズラリならんだ習作 study を見ていて気づいたのは、
デジタル化された現在の写真環境とそっくりなプロセスで
絵画の構図、アングルなどを決めていっていること
である。19世紀から、明に暗に写真を利用した画家はたくさんいる。この人も、この人も、というくらい、みんな、写真を利用しているのである。しかし、
ワイエスは、写真を利用したのでなく、
絵画の構成法が、21世紀の写真の考え方
なのであった。彼が 1917年、大正6年、ロシア革命の年の生まれであることを思い起こせ。
習作 study というのは、どんな画家でも、完成作品とあまり構図は変わらない。ワイエスはちがうのだ。
習作の上半分だけを完成作品にしたり、
習作の全画面の中の、ごくわずかな部分をズームアップして完成品にしている
のである。習作を重ねるたびに、構図がどんどん変わる。『松ぼっくり男爵』 などという作品は、習作の中にいた人物が消え、松ぼっくりが山と入った第一次大戦のドイツ軍の鉄兜だけになっている。
また、画家は、習作で、たとえば、女性のドレスの複雑なヒダとか、手の表情とか、描くのが難しいがカンドコロになる部分を試しに描いてみる、ということをする。ワイエスの場合、たとえば、『粉挽き小屋』 などという作品で、
完成作品で、わずか2センチ平方ほどの遠景に描かれる
マキの山とクマデの組合せを、その数十倍の大きさで丁寧に描いてみている
のである。こんな習作は見たことがない。
アッシは、映画だろうが、絵画だろうが、
作品をナマで見る
ことが第一だと思っているので、「バイオグラフィ」、「評論」 はほとんど読まない。作品を見ることのような興奮がわかないのである。だから、とんでもない基礎知識が欠けていることがある。
アンドルー・ワイエスが、まだ、存命である
ということを知らなかった。いまだ、旺盛に作品を制作しているらしい。
それと、“Christina's World” の女性が、おばあさんであり、彼女は、絵画の中で倒れ込んでいるのではなく、手のチカラでズッて歩いているのだ、ということは、衝撃的な発見だった。これは、確かに、絵画の見え方を変えてしまう発見である。この絵画の意味が、180度変わってしまうくらいの事実だ。
確かに、ボードの上に置かれている絵の具は、物理的に位置を変えていないのに、根底にある 「絵画の描かれるキッカケとなった画家の感動」 を読み違えていたために、作品が見えていなかったのだ。何が違うのかと言えば、
絵画の中に潜在的に存在している動き
が違うのである。単に、家を前にして倒れ込んでいる女性を描いているのであれば、それは叙情的な少々アマッチョロイ絵画であろう。しかし、
ポリオの女性が、日常生活をこなすために、
ごく普通に手のチカラで、家を目指して
ズッて歩いているところだ
としたら、絵画全体の動きが変わるのである。アマッチョロイ絵画ではない。ロマンチシズムではない。リアリズムなのだ。
そして、今回も、また、あらためて確認したこと。
絵がうまいヒトは、若いころからうまい。
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