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2015年08月29日14:26

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ロンメル戦記 第一次大戦〜ノルマンディまで

を読んだ。2015年6月30日。山崎雅弘著。学研M文庫。キンドル。
 西部戦線、東部戦線の後は、西部っぽいけどイマイチエリアから外れている感のある北アフリカ戦線の流れが分かる本はないかと思ったらこれを見つけた。
そういえばロンメルって北アフリカに至るまではなにをしていたのかもよく知らないことに気づいた。
ちょうどいいので読んでみた。

 今本は今までと違い、戦線に視点をおくのではなく、あくまでロンメルの生涯を骨格にしている。
だから最初はロンメルの生い立ちから始まるわけだが、これはこれで新たな視点で見られて新鮮である。
 とりあえず特別天才というわけでもなかったロンメルだが、数学教師である父親の薦めで陸軍に進むが、なんのコネもないので希望の砲兵科や工兵科には入れず、結局歩兵科に入る。
後々は最強のコネを手に入れるロンメルも、最初はなにもなかったのだ。
ダンツィヒの士官学校で知り合ったルーシーという女性とつきあうようになる。まだ20歳にもならないロンメルだったが、このルーシーと結婚して生涯ラブラブ夫婦になるのだった。
しかし任官後に別な女の子と火遊びして子供ができたりもする(笑)
そして始まる第1次世界大戦。
ロンメルの所属する第124歩兵連隊はフランスへ向かい、1914年8月22日、まだ22歳のロンメルは初の実戦を経験することになる。
上官の命令で飯も食わずに伝令で走り回り、接敵したときには24時間不眠不休&飢餓状態の上胃を悪くしていた(笑)
しかし奇襲攻撃を指揮してベルギー南部のブレド村でのフランス兵との戦いで成果をあげる。
その後も順調に(眠りこんで叱られたりはしたが/笑)軍務を続けたロンメルだが、右足付け根に被弾し、前線を離れることを余儀なくされる。
4ヶ月後に前線に復帰したロンメルだが、そのころにはドイツ軍の進撃は停止しており、膠着状態に陥っていた。
終戦を迎え、それでも軍に残ることができたロンメルは、体験を基にした「歩兵の戦い」という本を出してこれがバカ売れで大儲け(笑)
そしてヒトラーと出会い、その身辺警護の任に就くことに。
やがてヒトラーはポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が勃発する。
ポーランドでの装甲部隊のあまりの華麗な電撃的侵攻に魅せられたロンメルは、ヒトラーにねだって自分も装甲師団の指揮官にしてもらう(笑)
しかしフランス戦では期待以上の活躍を見せ、敵のまっただ中を装甲車で走り抜けるという蛮勇も。
ロンメルの名声は上がり続けたが、自分勝手な行動に対し、他の士官からは総すかんをくらう。
フランス戦後、自分が主人公の映画を撮ったり(笑)していたロンメルだったが、北アフリカで問題が発生。
ドイツの華々しい連勝に、勝ち馬に乗り遅れまいとエジプトに侵攻したイタリア軍だったがこてんぱんにやられ、ドイツに救いの手を求めてきたのだった。
ドイツにとっては北アフリカは重要な戦略目標ではなかったが、イタリアの存在が脅かされ始めたとあっては南方の防御の点でほっておくわけにもいかず、部隊を派遣することとなる。
その司令官に選ばれたのがロンメルであり、ここに「砂漠の狐」率いるDAK(ドイツアフリカ軍団)が誕生することになった。
 北アフリカに上陸したロンメルは戦力が整うまで待機するようにという命令をいきなり無視してイギリス軍を攻撃する。
当時はすでにドイツ軍の暗号「エニグマ」は解読されつつあったが、この命令無視がイギリス軍を混乱させることにもつながり、ロンメルは華々しい勝利を手にする。
その後もいけいけで攻勢を続けるロンメルだったが、補給が途切れだしたのと無理な命令、そしてイギリス軍の潤沢な補給による再編成により、情勢はシーソーゲームの様相を呈してくる。
それでもなんとかカイロの目の前であるアレキサンドリアまで進撃したDAKだったが、その時にはもは満身創痍という状態で、対するイギリス軍の方はチャーチルの肝いりでモントゴメリー将軍の指揮の元、大規模な反撃準備を着々と進めていた。
乾坤一擲の大攻勢は失敗し、DAKは退却を開始。
同時に体調を崩したロンメルはドイツに帰国することになる。
3週間後にアフリカに戻るも、それからは勢いに乗ったイギリス軍の攻撃をかわして退却を繰り返すしかなく、さらにはロンメル自身も心労のためにすっかりやる気を失ってしまい、結局帰国することになる。
その後ムッソリーニが失脚したイタリアを支配するための司令官となるも、作戦遂行中に盲腸で倒れ、そのまま司令官の任を離れることとなる。
その後大西洋防壁強化査察官という地位についたロンメルは、ルントシュテット元帥とともに、近い将来予想されるフランスへの連合軍の上陸に対しての防備を整えることに。
「大西洋の壁」として大々的に宣伝されていた要塞地帯は、実は穴だらけでまともに防戦が行える状態ではなかった。
急ピッチで海岸地帯の防備を整えるロンメルだったが、1944年6月4日、2日後に誕生日を迎える妻のルーシーへのパリで購入したプレゼントを携え、ヘルリンゲンの自宅へ向かったそのまさに2日後、フランスのノルマンディ地方で連合軍の一大上陸作戦が始まった。
緊急の連絡を受けて現地に戻ったロンメルだったが、連合軍は6つの海岸線の防備を打ち破り、キョウトウホを築きつつあった。
連合軍の侵攻は進み、7月2日には講和を提案したルントシュテットがヒトラーから罷免された。
そして7月17日、ロンメルの乗ったベンツはイギリス軍戦闘機2機による機関砲の掃射を受け、運転手が被弾し、車は道の脇の木に激突し、ロンメルは車外に投げ出されて頭蓋骨骨折の重傷を負った。
病院にはヒトラーからの見舞いの電報が届いた。
 7月20日。ヒトラー暗殺未遂事件が発生。
10月7日。病床のロンメルのもとに、2人の将軍が訪問する。
2人の用件はロンメルがヒトラー暗殺未遂に関わった嫌疑が掛けられているというものだった。
ロンメルに残された道は、家族ともども総統暗殺未遂犯として裁かれるか、自決するかの2つしかなかった。
ロンメルが自決した4日後の1944年10月18日には、国民的英雄エルヴィン・ロンメル元帥の国葬が盛大に催された。

 ざくっと流れを書いたが、前に読んだ同じ著者の本と同じく、メインは各戦場における地図を多用した分かりやすい説明で、ウォーゲームの参考書に最適な内容である。
ただ本作はロンメルという個人に焦点を当てているだけあって、他と比べるとはっきりした主人公が存在して物語っぽくも読めるので、むしろ第2次世界大戦をよく知らない人には読みやすいかもしれない。
 化夢宇留仁が興味深かったのはやはり北アフリカ以前のロンメルの活躍で、第1次大戦はもちろん、フランス戦で大活躍していたとは全然知らなかった。
またロンメルの人となりも新鮮で、思っていたよりも子供っぽさが目立ち、また学生時代からのつきあいである妻ルーシーとのラブラブっぷりも面白かった。
大事なときには妻に会いに行っていて現場にいないのだ(笑)
 とりあえず「ロンメル将軍」「フランス降伏」「砂漠の狐」「ドイツアフリカ軍団」「クルセイダー作戦」「エル・アラメイン」「ヒトラー暗殺未遂事件」などの単語に興味があるけどよく知らないという人は必読だろう。
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