これは、“キング・オブ・ポップ”=マイケル・ジャクソンの生涯を描く伝記映画。
マイケルを演じるのは、マイケルの甥であるジェファー・ジャクソン。共演は「シンシン/SING SING」のコールマン・ドミンゴ、「セッション」のマイルズ・テラー。
監督は「イコライザー」シリーズのアントワーン・フークア。
マイケルはインディアナ州の小さな街・ゲイリーで生まれた。製鉄所で働く父のジョセフは野心家で、「人生は勝つか負けるかだ」と言い、5人の息子たちに厳しい歌のレッスンを課し、“ジャクソン5”としてデビューさせた。
中でも、末っ子ながら圧倒的な歌とダンスのパフォーマンスを見せるマイケルの存在感は抜群で、モータウン・レコードと契約し、ジャクソン5は、スターダムを駆け上がって行く。
だが、アイドル的なグループサウンズに満足出来ないマイケルは、やがて自らの才能を発揮する事を望むようになって……
「ボヘミアン・ラプソディ」のヒット以降、次々に作られたミュージシャンの伝記映画の中でも、本作は正に決定版となり得る“キング・オブ・ポップ”=マイケル・ジャクソンを描くもの。
「ボヘミアン・ラプソディ」のプロデューサー、グレアム・キング以下、スタッフが再集結して製作された本作は「ボヘミアン・ラプソディ」の拡大再生産的なものとなっている。
そんな、本作の見せ場はモータウン25における「ビリー・ジーン」に、最後のロンドン公演における「バッド」と言うダブルクライマックスで、ジャファー・ジャクソンの歌と踊りのパフォーマンスも、時に本人を思わせる見事なもので、これを劇場の大スクリーンで見せるのは、正にマイケルのステージを再現したものと言えるだろう。
だが、本作は、映画としての出来は決して褒められたものではない、と思う。
確かに、「ボヘミアン・ラプソディ」に比べて事実の歪曲は少ない。それは未だジャクソンファミリーの多くが存命で、更に作中にも登場する弁護士、ジョン・ブランカ自身が製作に関わっているから、でもあるが、それは同時に批判的に描けない、と言う制約にもなる。結果、概ね事実そのままに展開する内容は、Wikipediaに記されたマイケルの「略歴」そのまま、と言う感じで、いささかドラマティックさに欠けるもの――幼いうちから家族と共に芸能世界で生きて来たマイケルの孤独が、児童や動物に対する偏愛に繋がった、と言う描写は時に言い訳のようにも思えるし、繰り返される強圧的な父と対峙するマイケル、と言う構図もマイケルの成長が見られないのは残念だ。そして、そうした展開で、父親ひとりを悪者に仕立て上げると言う構成もひっかかった。
また、気になったのは、本作における女性の存在感のなさ、唯一、人物像が描かれているのは母親のみで、姉妹はひとりを残して存在を消され、ジャネット・ジャクソンもいない事にされてしまっているし、マイケルの芸能界における「母で姉で恋人」と言うダイアナ・ロスが登場しないのにはびっくり……ハードボイルドなアクションなど“男の世界”を得意とするアントワーン・フークア監督は、本作を男同士の結びつきを描く映画、としたかったのだろうか?それは、マイケル・ジャクソンと言う“永遠の少年”を描くのには、いささか的外れであるように思うのだが……
また、ステージパフォーマンスを見せるシーンで、カメラが度々熱狂する観客を映し出すのは、作為的でもあり、ちょっと白けてしまった――ドキュメンタリーであればアリかも知れないが、本作の場合、客席からのカメラは基本ステージを見せるもの、として欲しかった。やはり、見せるべきは、ステージパフォーマンスであろう。
そんな、ジェファー・ジャクソンによる“マイケルの再来”と言えるステージパフォーマンスはまず見事だ、と言える……だが、彼の演技はまだまだだし、物語の方にも決して目新しいものはなく、むしろ省略されている部分の方が気になってしまったり、と決して褒められたものではなく、映画としては、期待外れに感じられた1本だ。
ログインしてコメントを確認・投稿する