これは、「爆弾」の佐藤二朗が初めて原作を手掛けた漫画「名無し」を自ら脚本化し、主演も務めたサイコバイオレンス。
共演は「金子差入店」の丸山隆平、「幕末ヒポクラテスたち」の佐々木蔵之介。監督は「悪い夏」の城定秀夫。
白昼の喫茶店で発生した無差別連続殺人事件。被害者は鋭利な刃物で刺されており、防犯カメラには容疑者の中年男の姿が残されていた。だが、男の右手に握られているはずの凶器だけが映っていなかった。次いで繁華街でも同様の連続通り魔殺人事件が起き、警察は男の行方を追う。
殺人課の刑事・国枝にはある予感があった――それは今から40年前、警察官だった国枝の父が保護した名無しの少年だった……
この映画、佐藤二朗演じる社会から疎外された人物が大量殺人を行う、と言う点で「爆弾」と類似しており、しかも、主人公・“山田太郎”は原作漫画では坊主頭の饒舌な人物であった為、佐藤二朗が演じると「爆弾」のスズキタゴサクと似通ってしまう……と言う事で、映画は原作より改変して“山田太郎”を意味ある台詞が3つほどしかない寡黙な男、とした、と言うのだが……それならむしろ警察官役の丸山隆平と役を入れ替えた方がよかったように思ってしまった。
物語は、“神”からとてつもなく悪いカードを配られた(流行り言葉風に言うなら“神ガチャ”がハズレ、か)男の絶望を描くもの、となる……その右手に触れたものは消え、そして命を奪われる、と言う、その手で誰かの役に立つ事も、愛する人を抱きしめる事も出来ない運命だ――その絶望が、理不尽な殺戮を生むのだが、それこそが、佐藤二朗がやりたかった芝居なのだ、と言う――映画内で3度あるそのシーンは正に本作のイメージを代表するものだろう。“見えない凶器”による殺人は、逆に“山田太郎”の狂気を浮かび上がらせ、そしてそれを台詞ではなく表情だけで演じた佐藤二朗の存在感は素晴らしい――尚、歯を剥き出しして笑った際に見える、悪魔的とも言える尖った犬歯は、特殊メイクではなく、本人そのままの歯だそうだ。
しかし、その“殺戮”が圧倒的な一方で、物語は、ちょっと弱い……不運に直面した際、それを乗り越える事には興味がなく、そこでの“救い”を描きたい、と言うのが佐藤二朗の狙いなのだそうだが、これはちょっと掴み辛いのではないだろうか。
世情の反映も、メッセージ性も希薄で、ただ己の演じたい芝居を、己の望む方向でまとめ上げたのは、評価も出来る一方で、広く理解されるものでもないだろう。
“神”と世界に絶望した男は、最後にひとつ奇跡を起こす――過去の自分を引き寄せ、右手を握るのだ。己の命を循環させ、そして己自身を消し去る為に――ラストシーンで、絶望から黒く見えていた空は青く、彼はそこに唾を吐く。それが己に降りかかるだけの事にしても。
このラストシーンにはさすがに悩まされてしまった。未だに受け止め切れていない。
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