これは、再開発が進む東京・渋谷を舞台に、家族の関係性を描いて、2025年のカンヌ国際映画祭監督週間に正式出品された人間ドラマ。
監督は、若手映画作家育成プロジェクトndjcにて短編「遠くへいきたいわ」を手がけた団塚唯我。
主演は、「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」で存在感を見せた黒崎煌代。共演には、遠藤憲一、井川遥、木竜麻生ら実力派が揃った。
東京・渋谷でフラワーショップの配送運転手として働く青年・蓮は、幼い頃に母を亡くし、以来、建築家の父とは疎遠になっていた。
ある日、配達中に父に再会し、父がランドスケープ(都市空間)デザイナーとして、大きな成功を収めた事を知る。
蓮は、姉の恵美にもそのことを話すが、恵美は我関せずといった様子で黙々と自分の結婚の準備を進めている。そんな家族の状態の中で、蓮は家族関係を立て直そうと、ある行動に出て……
この映画、ちょっと奇妙な構成になっている。家族の(歪はあるが)団欒を描き、それが崩壊する兆しを描きながらも決定的な場面を描かずに、15年後の現代に飛ぶ。
会話から、母が亡くなった事が判る……家族は、それで要石を失ったかのように崩壊したのだ。
物語は、そうしてバラバラになった家族を、その最後の団欒の地に導いて、そこで驚きの展開を迎える――これは、もう映画を観て貰うしかない展開で、これをごく自然にやってのける団塚監督には恐れ入った。
この場面だけでなく、日常に不穏を孕ませる演出、見た事がある光景を新鮮に切り取るカットに、団塚監督のセンスを感じた。
気になったのは、宮下公園の再開発を物語の重要な要素として盛り込んでいる事で、「いいのか?」と思っていたのだが、調べてみると宮下公園の再開発を主導したのが監督の父親なのだ、と言う。
それで本作に感じていたもやもやの幾つかが解消した――つまり、これは監督の“私小説”なのだ。現在、27歳だと言う団塚監督は作中の蓮に近く、その想いや悩み、そうした感情には団塚監督自身が写し込まれているのだろうし、だからこそ、蓮の行動が、その想いが判らない事が多々あるように思う。
その想いは、まだ整理がついてないのであろうし、だからこその唐突で、意味不明にも思えるラストに繋がったように思えた。
ある意味で、団塚監督が本作を撮るには、まだ早過ぎたのかも知れない。
ただ、それでも理解出来ない大人たちが作った世界で生きるしかない若者たちの想いは感じる事が出来たように思うし、そんな言葉に出来ないものを描いた団塚監督の次に期待したいと思う。
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