これは、ナチスが欧州のユダヤ人絶滅――彼らの言う「最終解決」を採決した「ヴァンゼー会議」を再現した映画。
ラインハルト・ハイドリヒを議長に、アドルフ・アイヒマンが記録した、ホロコースト関連で唯一残された議事録に基づき、会議から80年後となる2022年にドイツで製作された。
1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァン湖の畔にある邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、会議が開かれた。
議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」はヨーロッパにおける1,100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味していた……
日本映画界の悪癖で、大戦中のドイツを描く映画には、「ヒトラー」の名前を入れないと気が済まず、「虐殺」などと言う強い言葉を使うのが気になるが、原題は「ヴァンゼー会議」と言う素気のないもの。
内容としても、ほぼ邸宅の中の話し合いに終始する会話劇だ。会話としても、親衛隊の軍人は、「殺す」と直接的に言うものの、役人たちは「処理」や「処分」と言う婉曲な表現をするのもそれらしく、体裁としては、役人による会議そのものだ。
話し合われるのは、国の方針に基づき、限られたリソースで如何に効率よく、任務を遂行するか――そこに、仕事の押し付け合い、責任のなすりつけ合いが発生するのは、これはもう、仕事絡みの会議に出た事がある人ならば、既視感のあるものでしかない。
ただ、恐ろしいのは、人々を「ユダヤ人」と言う”大きな言葉”で語るが故に残酷になれる人間の性……出席しているドイツ人だって、近所のユダヤ人の〇〇さん、産業大臣が主張するユダヤ人の熟練工たちがいなくなったら困るな、気の毒だな、とは思うものの、「ユダヤ人」とくくられた途端に処分の対象とする事を躊躇わなくなってしまうのだ。
そして、気にするのは、己の責任の所在、必要な社会的リソースの配分、処分に従事する兵士のPTSD、それに弾丸の消費……処分されるユダヤ人の事など最早誰も留意しない。
映画鑑賞時、戦争映画かスリラーを期待して来たと思しき大学生らしき若者グループが、中盤で「つまらない」と出て行った……それこそ、恐るべき想像力の欠如。
国家とは、政治とは、こうした”大きな言葉”で人々を切り捨てる事があるし、それは現在も変わらない筈なのだ。この映画は、それを思い知らしめる教訓になっていると思う。
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