11月18日、金曜。109シネマズ湘南で、
「ザ・メニュー」。
これは、「ドント・ルック・アップ」のアダム・マッケイが製作を務めたサスペンス。監督は、ドラマ「メディア王 〜華麗なる一族」で注目を集めたマーク・マイロッド。
主演は、ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」のアニャ・テイラー=ジョイ。
孤島にある、なかなか予約の取れない高級レストランを訪れた若いカップル。グルメマニアの男性が浮かれているのに、同伴の女性、マーゴの態度は何処か冷ややかだった。
他の客は、富豪の夫妻に、横柄なビジネス・エリート、映画俳優に、有名な料理評論家も招かれていた。
有名シェフの手掛ける手の込んだコースが進むうち、店内には妙な空気が流れ出して……
この映画、サスペンス・スリラーと言う予備知識から現代版「注文の多い料理店」のようなものを想定していたが、内容は、ちょっと予想外――これは、現代が生み出したモノ作り、あるいは接客ビジネスの歪みをカリカチュアライズして描くものなのだ。高級、と言うだけで価値も判らずに消費をする富裕者、その価値で自身に箔をつけようとする者、コネを力と勘違いして横柄に振舞う者、そして、舌先三寸で、人を舞い上がらせ、または突き落とす「評論家」と言う人種……これは、アダム・マッケイもまたクリエイターとして直面したであろう、そうした不条理を生み出す存在に復讐をするものなのだ。
更に、アダム・マッケイならではのアクの強さとして、そこに“能書きを垂れるマニア”を付け加える……「そんなエラそうに能書き垂れるならば、作ってみろ」と言われては、さすがに言葉に詰まる。
だが、この映画の語り口が面白いのは、これを単純な復讐譚に描かない。映画の狂言回し役はアニャ・テイラー=ジョイ演じるマーゴなのだが、彼女は、この復讐の対象でない、謂わば巻き込まれた部外者と言うポジション――目の間隔の離れた、大きな三白眼にシャープな輪郭と言う異相のアニャ・テイラー=ジョイは、これまでの出演作でも、何処かその場に馴染まない異質の存在感を放っていたが、この作品での存在感は極めつけ。そのキャラクターは人型をした猫、と言うのに相応しい。
この映画は、己の人生と、その人生を狂わせた者たちへの復讐を目論む男の前に現われた野良猫が、その場を引っかき回すものなのだ。
野良猫は人に媚びず、そして怯えず、ただ「腹が減った」と訴える……それが、道を誤った男に、その初心を、原点を思い出させるのだ。
ただ、それは余りに遅すぎた。野良猫は毅然として去り、男は復讐を完遂するしかない……何とも奇妙な構成と展開の映画だが、そこは、さすがアダム・マッケイと言う所だろうか?
11月26日、T−JOY横浜で、
「母性」。
これは、湊かなえが母と娘の愛憎を綴った同名ミステリーを、「ノイズ」、「あちらにいる鬼」、そして公開準備中の「月の満ち欠け」と、今年公開作が相次ぐ廣木隆一監督が映画化したもの。
女子高生が自ら命を絶った。事故か、自殺か、殺人か――真相は不明だが、高校教師の清佳は、そのニュースに心がざわつく……
そして、物語は時代を遡り、母に愛された娘の幸せな結婚と、新たな生命の誕生を描いて……
この物語、テーマとなるのは、女性には「母」と「娘」の2つがある、と言う事――子供の為に尽くすのが「母」であり、「母」に愛されたいと努めるのが「娘」で、その両者を分けるものこそが「母性」である、と言う整理は、男性である自分にも判り易く、それをカリカチュアライズして描く映画により、それが克明に描かれるのだ。
物語としては、大きな存在感を示す「母」の下にあったが故に、何時までも「娘」であり続けた女性と、その娘の衝突を描くもの――それを、冒頭の女子高生自殺と絡め、ミステリーとしているのだが、この映画、正に映画ならではの理由により、ミステリーとしては破綻しているのだ。
映画も物語は原作を踏襲しているのだが、ミスリードを誘えない映画としては、これは構成から見直すべきではなかったのではないか?と思う。
また、この映画、前半部分を「母」主観パート、「娘」主観パートに分けて描き、後半は「母と娘」として、シーンごとに主観を描き分ける、と言うものになっているのだが、ここもすっきりしない部分だ。
物語としては、女性と言うものを、「母」と「娘」に分類して紡いでいく辺りに確かに語るべきものを感じるが、それをミステリー仕立てとし、映画宣伝でも、そこを主に打ち出して行く辺りには疑問を覚えた。
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