木曜日、久々のレイトショーで映画を観るつもりでいたが、残業時間、部長から検証計算を命じられ、実施して報告し、席に戻ると――あれ、時間、ヤバくないか?
そこからは大急ぎ。会社から駅まで2kmを15分で歩き――毎時8km歩ける足が衰えてない事が確認出来たのはよかったが――地下鉄に駆け込み、桜木町へ……駅前で夕食となるサンドイッチを買い、動く歩道の上で頬張って、上映開始2分前になんとか劇場に滑り込んだ。
で、本日の映画は、
「恋人はアンバー」。
これは、自身の同性愛に悩む少年を主人公としたアイルランドの青春ドラマ。
監督は、「CURED キュアード」で映画監督デビューしたデイヴィッド・フレインで、これが2作目の劇映画となる。
1995年、アイルランド。同性愛が違法でなくなってから2年が経つものの、未だ同性愛者への偏見が強く残る田舎町で暮らす高校生エディは自身がゲイであることを受け入れられずに悩んでいた。
一方クラスメイトのアンバーはレズビアンであることを自覚していたが、周囲にその事を隠し、卒業して町を出るまでの日々を無難に過ごすため、エディを誘い、恋人同士であるフリをすることにする。
偽装の為の交際だったが、共通の悩みを抱え、2人だけの時にはありのままの自分でいられる事で、2人はお互いにかけがえのない存在なっていくのだが……
この映画、愛し合ってもいないふたりが恋人を装ううちに……と言うロマコメとしてはありがちな設定で、 ラブストーリーに見せかけながらも、時代背景や、LGBTへの差別や偏見、更に親の期待を背負った跡取り息子、と言う要素も盛り込んで、若者が自分らしく生きる選択をするまでを描く青春映画。
主人公であるエディが、同性愛者である事を自覚しながらも認められずに悶々とするのがもどかしく、その一方で、不器用だけど思い切りだけはいいアンバーといい対照となっている。
また、この映画、周りのキャラクターが魅力的なのもいい。エディに何かとちょっかいを出すクラスメイトも、気遣いの出来る案外いいヤツだったりするし、お高くとまっているように見えたクラスで人気の女子生徒も、エディの悩みを聞こうとするのだ――もっとも、彼女、高校生に見えないし、もっと可愛くてもよかろう、と思うのだけど……
ラストもよかった。
パートナーとなるサラと出逢い、カミングアウトもし、町を出ずとも自分らしくある事を見出したアンバーが、町を出るための貯金を差し出してエディの決断を促す――人は、自分らしくあるのを選ぶ事でさえ、自分ひとりでは難しい……アンバーが、サラを得てカミングアウト出来たように、エディもまた、自分らしくある為にアンバーの力添えが必要だった……でも、それからの人生を共に歩むのはアンバーの役割ではない――そんな、切なくも胸の熱くなるラストは心に残る。
エディにとってアンバーは、友人でもなければ恋人でもなく、それでも生涯忘れられない人になるだろう。
人を想う、人を愛すると言う事の意味をも考えさせてくれる映画だった。
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