これは、1961年に公開された名作ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」を、スティーブン・スピルバーグが再映画化したもの。
出演は「ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴート、3万人のオーディションから選ばれた新人レイチェル・ゼグラー、「ウエスト・サイド物語」でアカデミー助演女優賞を受賞し、本作の製作を務めるリタ・モレノ(なんと現在90歳!)。
1950年代のニューヨーク、マンハッタンのウエスト・サイド。そこには、夢や成功、そして自由を求めてアメリカにやって来た多くの移民たちが暮らしている。
しかし、差別や貧困による社会への不満を抱えた若者たちは、仲間たちとグループを結成し、異なるコミュニティと対立していた。
そんなある日、ポーランド系移民のチーム“ジェッツ”の元リーダーであるトニーは、敵対するプエルトリコ系チーム、“シャークス”のリーダーの妹マリアと出会い、瞬く間に恋に落ちる。
だが、激化する抗争が、ふたりの恋の行く手を阻んで……
名作と謳われる「ウエスト・サイド物語」だが、どんな映画だって完璧ではない……例えば、マリアを演じたナタリー・ウッドはロシア系で、白い肌を褐色に染めて演じていたし、トニーとマリアの歌は吹き替えだった。
巨匠である前に映画オタクのスピルバーグとしては、そうした部分が気になっていたようで、この映画は、そんな映画オタクが、細部まで拘り抜いて作り上げている。
マリア役のレイチェル・ゼグラーはプエルトリコ系だし、「レ・ミゼラブル」で開発された技術を用い、本作の歌曲は芝居と踊りと共に同時録音された俳優自身の歌声を使用している。
舞台となるウェスト・サイドは、後にリンカーン・センターが建設される再開発地区として場所も明確にし、リタ・モレノに製作&出演を依頼して、前作への連続性と共にリスペクトの証とした。更に、“ジェッツ”に憧れる少女、エニバディーズは、“男の子になりたい女の子”としてLGBT問題にも配慮しつつ、でも、彼女を演じたアイリス・ミナスは性別を明確にしないバイナリーであり、設定を改変したと言う批判避けもするなど、ここまでやるか、と――まぁ、そこまでするのがスピルバーグなのだが。
ミュージカルは初めて、と言うスピルバーグだけど、その力量はやはり半端ではない。冒頭、“ジェッツ”の登場と“シャークス”との衝突、これを舞台設定の紹介をしつつ、思いっ切り引いた視線から、一気に寄るカメラワークの鮮やかさ。
ミュージカル映画と言うと、引き気味のアングルで踊りの全体を見せる、と言うのが定番演出になるが、それだけに拘らない、クローズアップや低いアングルからのアオリのカットなどを盛り込んでダイナミックに見せる……不慣れな筈のミュージカルでも、その映像センスは抜群だ。
ただ、スピルバーグ、リアル指向があるだけに、格闘シーンなどはダンスに組み込むよりもリアル演出してしまうので、シリアス展開になる後半は、派手目のミュージカルシーンはなくなり、ドラマ重視となってしまう……そうした傾向に合わせて、使用曲や曲順が変えられているのが気になる人がいるかもしれない。
また、コントラストが強く原色の目立つ映像は「ラ・ラ・ランド」風だし、ストリートでの大人数ミュージカルシーンでは「イン・ザ・ハイツ」を連想してしまうなど、既視感もある。
肝心の物語だが、元々「ウエスト・サイド物語」は、「ロミオとジュリエット」を現代を舞台にアレンジしたものなのだが、勿論、再映画化された本作も物語は同じ。しかし、描かれている事がまったく古びていない事には驚く。
貧しい白人が、更に立場の弱い有色人種の移民を攻撃対象にする、と言うのは、正に現代アメリカで起きている事そのままであり、この映画が現在、こうして再び作られた事の意味を感じさせる――60年も経って、社会も、人々も、まるで変わっていないじゃないか、と……
気になったのは、この映画の持つ、説教臭さ、と言うか、堅苦しさだ。
現在の社会を映し出す存在である事、そこに訴えかけるものがある事、そして、ポリティカル・コネクト的に正しくある事――何れも、正に現代社会が求める事ではあるし、それに応えつつエンターテイメントたり得るのは見事と言う外はないのだが、映画とはこんなに堅苦しいものだったかなぁ、と思ってしまうのだ。
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