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2016年02月29日18:59

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東電マニュアル なぜ5年後…「発見 」 

記者団の再三の質問に「メルトダウンとはどういうことを指すのか分かりません…」と適当にいなしていたのがドリフターズの加藤茶似の西山英彦スポークスマンだった。 
 
どんなに完璧な嘘も時間がたつにつれてバレる。
そんことに気づくのに5年かかったということなのだろう。

東電社内でやっと良心が頭をもたげて来たという見方もできる。
次は何が明らかにされるのか期待したい。


http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3874397
<炉心溶融マニュアル>なぜ5年後に「発見」?  95
2016年02月29日 09:05 毎日新聞
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廃炉が進む福島第1原発=福島県大熊町で2016年2月27日、本社ヘリから梅村直承撮影
 ◇東電第三者委調査へ 隠蔽なかったか焦点

 東京電力が福島第1原発事故以降、核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)を判断する社内マニュアルの存在に気付かず、今月になって「発見」したとされる問題で、東電は第三者委員会を設置して経緯を調べる方針を示している。問題の背景には、安全神話に陥っていた意識の甘さに加え、「炉心溶融」との言葉に神経質だった当時の政権の顔色をうかがう東電の萎縮ぶりが見える。第三者委の調査は「なぜ5年も見つからなかったか」「隠蔽(いんぺい)はなかったのか」が焦点になる。

 「溶融の判断が(あったか)どうかは分からない」。震災当時、東電フェローとして事故対応に当たった日本原子力産業協会の高橋明男理事長は25日の定例記者会見で、マニュアル問題への明言を避けた。当時の社内テレビ会議では炉心溶融を前提に議論していた記録が残るが「記憶にない」と言葉を濁した。

 「発見」されたのは、2003年に作られた原子力災害対策マニュアル。溶融は「炉心損傷割合が5%超」と定義され、これに従えば事故3日後に判定ができたはずだが、認めたのは2カ月以上後だった。

 マニュアルは隠蔽されたのか。作成前の1997〜00年に福島第1原発所長を務めた二見常夫・東京工業大特任教授は「社内でまとめたものの、溶融はあり得ないとの思い込みで共有されず、次第に忘れたのではないか」と指摘する。

 だが、作成に関与した社員は必ずいる。事故時に存在を明かさなかった理由として考えられる一つは、政府の意向への配慮だ。1号機が水素爆発した11年3月12日の記者会見で、当時の原子力安全・保安院審議官が「炉心溶融」を明言したが、壊滅的印象を与えかねない言葉による混乱を恐れた官邸が保安院に注意し、審議官は更迭された。以後、東電も「損傷」などの表現を使うようになった。官邸を意識した東電が、マニュアル確認という基本動作をせずに放置した可能性もある。

 一方、社内の事故調査報告書(12年)は、マニュアルには一切触れておらず、調査のずさんさも浮かぶ。今回の第三者委もこうした「お手盛り」に終われば、さらに批判を浴びる恐れもあり、柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働を控えた東電は追い詰められた格好だ。【鳥井真平、中西拓司】

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