これは、「湯を沸かすほどの熱い愛」以来、10年ぶりの完全オリジナル脚本となる中野量太監督最新作。
主演は坂口健太郎。他、早瀬憩、堀田真由、滝藤賢一、原田美枝子など。
西山夕平、28歳。幼い頃、シングルマザーの母に捨てられ、祖母に育てられた彼は、人との触れ合いを避け、孤独に生きて来た。
だが、職場にやってきたひとつ年下のパート社員・東浜紗月と出会い、彼女の方からのアプローチに戸惑いながらも交際を始めた夕平……紗月はシングルマザーで、彼女には5歳の娘・朝子がいた。やがて、紗月と朝子と暮らすようになった夕平は、これまで知らなかった“家族”というものを知る――
13年後、母の死後、祖母に育てられた朝子は、13年前に半年間だけ父親みたいな人がいたことを知らされる。そして朝子は会いに行く。母を殺めて服役中のその人に……
この映画、「ヒューマンサスペンス」と銘打たれているけれど、これは言い得て妙。「私を娘のように愛してくれた人は、母を殺した人でした」と言う映画予告でも使われた謎を解き、その中で揺れる心の動きをサスペンスとして描いて、物語を引っ張って行く。5歳の朝子が、母を亡くした悲しみと衝撃で、それまでの事を覚えていない、と言うのも無理のない設定だし、事件については、夕平が全て自分の責任として黙して抱え込んでいる為、それが最早本人にしか判らない、として、謎を終盤まで引っ張る――もっとも、その謎解きのカギとなるふたりの出会いのアイテムから、その答えは推察出来てしまうのだけど。
また、夕平と朝子のふたりと、朝子に協力をする夕平のかつての国選弁護人、この父娘が対比して描かれるのだが、これはちょっと上手く機能していなかったように思えた。
あと、明確に語ってはいないが、この映画、“知能格差”を効果的に使っている。中盤以降、紗月が身勝手に見えるのは、彼女と同レベルであれば合理的だと判る事が、夕平にはどうしても判らない、と言う事を描いているのだ――俗っぽく言えば、紗月は夕平にとって“無理目の女”であり、夕平とは本来“世界が違う”存在だったのだ。
配役としては、やはり坂口健太郎がいい。その邪気の感じられない表情が、映画中盤以降の展開で効いて来るし、朝子との関係も、様々に勘繰れるものになってしまうだろう。
また、先に述べた“知能格差”を示す為、坂口健太郎は意図的に“IQを落とした”芝居をしているように思う。
この映画を観る人は、やはり主人公の夕平に寄り添った視線で物語を追うと思う――だが、この映画は、夕平が“幸せ”になる為に、「こうなって欲しい」と願う事の殆どを裏切り、観客を最後まで、翻弄し、明確な答えを出そうとはしない――まだ、終わっていない、のだと……
それは、最後に帰着するタイトルが、読点で終わっている事でも示されているのではないだろうか。
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