これは、日本における総合格闘技の創成期、「PRIDE」で活躍したアメリカ人格闘家マーク・ケアーの知られざる実話を、ドウェイン・ジョンソン主演で映画化した伝記ドラマ。
原作になったのは、ジョン・ハイアムズ監督によるドキュメンタリー・「The Smashing Machine」で、本作を観たドウェイン・ジョンソンが、これを自身が主演して映画にしたい、と言う所から本作は製作されたのだ、と言う。
監督は、「マーティ・シュプリーム 世界をつかめ」のジョシュ・サフディ監督との共同監督作で高い評価を得て来た、弟のベニー・サフディで、本作が初の長編単独監督作となる。
レスリングで無敵を誇り、キャリアの絶頂を迎えていたマーク・ケアーは、盟友のマーク・コールマンの影響で総合格闘技に転身。そこでも連戦戦勝を重ねて行くが、日本の総合格闘技大会「PRIDE」で、イゴール・ボブチャンチンと対戦して思わぬ敗戦を喫してしまう。
試合自体は、ボブチャンチンの反則もあって無効試合となるのだが、この初めての“敗北”はマーク・ケアーの人生に暗い影を落とすのだった……
この映画、スポーツ映画としてはかなり異色なものとなっている。
今年公開された、兄のジョシュ・サフディ監督による「マーティ・シュプリーム」も、スポーツものとは言い難い内容だったが、それでも最後には勝利のカタルシスがあったのに対し、本作のテーマは「負けること」、あるいは「負けを受け入れること」なのだ。
だから、最後、負ける展開となる映画にカタルシスはなく、これなら「マーク・コールマンを主役にすればよかった」と言う意見も出ていたりするのだが、それでも「負ける」事を描くのが、本作の目的なのだから仕方ないだろう。
そんな「負ける」映画を望んだのがドウェイン・ジョンソンだ、と言うのも面白く、そして興味深い部分ではないだろうか?
自身で望んだ主演、と言う事もあり、本作のドウェイン・ジョンソンは、トレードマークのスキンヘッドも止めて、特殊メイクで顔立ちまで変えて、マーク・ケアーになり切っている。
もっとも、映画が描く1999〜2000年にかけて30そこそこだったマーク・ケアーを、今年54歳になるドウェイン・ジョンソンが演じるのには少し無理があるようにも思うが、これも仕方のない所か……
終盤の展開は印象的だ。栄冠を掴みながらも、どこか不安そうで所在がなさそうに見えるコールマンに対し、マーク・ケアーの吹っ切れたような表情がいい……「負け」を受け入れる事は、己の限界……つまり、己を知る事でもある。そして、それこそが、悪しき男性らしさの発露をなくす道なのだ、と言う事を示しているのだろう。
そして、そんな物語が“最強の男”から生まれた事に考えさせられる。
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