これは、「トップガン マーヴェリック」の製作チームが世界最高峰の自動車レース・F1を描くカーアクション。
主演は、ブラッド・ピット。共演に、ハビエル・バルデムとケリー・コンドン。監督は「トップガン マーヴェリック」のジョセフ・コシンスキー。
天才ドライバーとしてF1にも挑んだソニー・ヘインズだが、今は根無し草のように様々なレースに飛び込み参加している。
デイトナ500マイルでポルシェを走らせ、次はバハの砂漠を走ろうか、と西へ向かうソニーを追って来たのは、かつてのチームメイトのルーベン。そして、彼は、自身が代表を務めるF1チーム・エイペックスの危機を救って欲しい、と頼み込むのだった。
チームは、期待の若手ドライバー・ジョシュアを擁していたが、経験不足から優勝どころか入賞ポイントさえ獲得できていない有様だ。そんなチームを、ソニーは自身の才能と経験で立て直して行くが……
この映画、文句と言うか、ツッコミ所は豊富なれど、「トップガン マーヴェリック」同様、中年男を熱くさせる要素に溢れていて、面白い。
時間は155分もあるのだが、レースの迫力とスピード感で、これをダレる事無く、一気に見せて行くのだ。
しかも、その中に、若者とベテラン、デジタルとアナログ、特権階級と肉体労働者、と言う様々な対立軸を描きながら、それをソニーがブチ壊しながら、チームをひとつに再構築して行く、と言う物語は確かによく出来ている――まぁ、そもそも、F1と言うものが欧州の古い伝統の社会階級(チームオーナーやレーサーら特権階級と、現場スタッフと言う労働者階級)が露骨に存在しており、1980年代に、ホンダの日本人がそれをぶち壊し、チーム一丸となって強くなった……と言う日本人好みのエピソードを、アメリカ人に換骨奪胎されたような感じもするが。
また、ブラット・ピット自身がハンドルを握り、実際のF1と共にコースを走って撮影した(走らせたのはF1っぽく見せかけたF2車両ではあるが)映像は、FIAの全面協力もあって、実際のレース映像と組み合わされて、迫力のある見事なものとなっており、それを大画面・大音量で観るのは、確かに劇場鑑賞の価値あるものと言えるだろう。
ただ、物語を優先し、テンポのよい展開とする為、リアリティはかなり無視されている。
まず、現在のF1は、ふらっとピットに来て、すぐ走り出せるようなクルマじゃないし、30年前のF1しか知らないロートルに扱えるようなクルマでもない――シンプルな規則と技術で、それ故に経験がものを言うアメリカのレースに対し、正に先端技術の粋を競うF1は、才能と技術、そして体力を必要とするアスリートのような資質を要求するもので、ベテランが通用するものではないのだ。
(むしろ、かつてF1で活躍したベテランが、アメリカンレース……例えばインディ500とかでもう一花咲かせる、と言うシナリオの方にリアリティがある)
ただ、これには、近年、F1の運営権がアメリカのメディア企業に渡り、これまで「F1不毛の地」とされていたアメリカでF1人気がこれまでない程に盛り上がっている、と言う背景があり、その中で作られた映画だからこそ、無理をしている部分があるのを承知せざるを得ない所ではある。
あと、弱小チームだったエイペックスを勝たせる為の作戦……イエローフラッグによる追い越し禁止、レッドフラッグによる競技中断を利用し、差を詰めるのはサーキットレースでは当たり前の戦術で、それを利用するのは悪い事じゃない――ただ、劇中のソニーのような執拗なブロックや、故意の接触はやり過ぎだろう。タイヤ剝き出しのフォーミュラーカーでは大事故に繋がり兼ねない危険行為で、それこそ、ライセンスまではく奪されかねないものだ。
また、レースシーンの迫力に比べ、ドラマが弱い、或いは陳腐、と言う声も聞かれる。確かに、ソニーと、テクニカル・ディレクターの女性のロマンスなどはさすがに陳腐だし、正直、不要だろう――むしろ、ロマンスはジョシュに任せてもよかったように思う――ただ、ソニーが追い求める「飛んでいる」状態……これは判る、し理解出来る……そんなクルマ好きを納得させる理由で走り続け、そして、チームの勝利の為に尽くし続けたソニーに、レースの神が与えた2つの祝福には胸が熱くなるし、レース映画としてはこれで十分だ。
エピローグもまた、いかにも「らしい」もので、好感が持てる……この最後とエピローグがあるから、リアリティを何処かにやってしまったようなこの映画を好きになってしまう……これはそんな困った映画だ。
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