これは、「ヒーローショー」W主演が印象に残る、お笑いコンビ「ジャルジャル」の福徳秀介が小説家デビューを果たした青春恋愛小説を、「勝手にふるえてろ」の大九明子監督が映画化したもの。
主演は、「朽ちないサクラ」の萩原利久、「あんのこと」の河合優実、「空白」の伊東蒼。
関西大学2年の小西は思い描いていたキャンバスライフとはほど遠い、冴えない日々を過ごしていた。大学では唯一の友人・山根と共に過ごすのと、銭湯のバイト仲間・さっちゃんと他愛もないことでふざけあっている時間だけが救いとなっていた。
ある日、小西は、学内をひとり闊歩するお団子頭の桜田の凛々しい姿に目を奪われる。その姿に心奪われ、思い切って声をかけると、桜田とは感性が近くて意気投合。偶然も重なって、2人の距離は急速に縮んでいった。
ようやく世界を少しだけ愛せそうになった小西だが、そんな矢先、思わぬ出来事が……
私は大九明子監督作品はあまり観ていなくて、これが5本目……ただ、本作はその中でも一番よかったな、と言う印象。
この映画が描くテーマ……それは「無関心の罪」。主人公の小西も、そして桜田も、傷つきやすい自分を守る為、世界から距離を取る為に、傘やお団子で身を守り、世界にも人々にも無関心である事を貫いている。(自分にも似た部分があるから、これはよく判る)
ただ、そんなふたりが出会い、世界を少しだけ受け入れて、広がってしまう――ひとりはひとりだから孤立出来るのであって、ふたりになったらもう孤立は出来ないのだ。
物語はそして動き出し、「あること」で、取り返しのつかない事をしてしまった事に小西が気づき、打ちのめされる、と言う展開になる。
こうした物語は原作小説通りなのだが、大九監督は、物語の本質を更に掘り下げている……その原動力は、大九監督が言うように、「怒り」であったのだろう――「無関心」である事、それはもう許されないレベルの「罪」である、と……
そして、大九監督は、その「罪」の形を露わにするため、この物語の中で、ある役割を果たすために登場したさっちゃんの存在を、大きく変えている――例えば、小西の一人称だった原作小説に対し、映画は視点を広げ、小西の見ていない描写を盛り込んでいるのだ……さっちゃんの、小西が知らない、つまり、関心のなかった部分を。
これを描く事によって、原作では“役割”でしかなかったさっちゃんを、映画は“人間”として描く事とした。そして、終盤、無関心が生んだ過ちを正し、ちょっとだけでも世界に「無関心」であった事を改める小西が、周りの人々から“許される”で終わらせるのではなく、その「無関心」さ故に他者を傷つけていた“クソ野郎”であった過去を背負って行く、と言わせているのだ。
この「無関心」に対する「怒り」が、この映画のテーマを鮮明にし、凡百の青春恋愛物語となり兼ねなかった物語を、見応えのある映画にしているように思う――だが、それは結果として、この物語の問題点をえぐり出してしまった感もあり、その問題点にひっかる人にはダメな映画かもしれない。
メインキャストの若手3人はいずれも素晴らしく、ほぼキャリアハイの演技を見せていると思う。
その中でも、大九監督の期待に応え、さっちゃんを見事に血の通った存在として見せた伊東蒼の熱演が光る。
映画は、原作のエピローグをばっさり切っており、そこにさっちゃんの視点を入れた。
この改変も効果的であり、この映画が何処を力点に描こうとしているかを示すものになっていると思う。
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