2日は朝から「箱根駅伝(往路)」をTV観戦。
今年は、國學院大學が出雲、全日本を制し大学駅伝三冠がかかる状況……だが、去年も駒沢の三冠を青山が阻止したのだし、実力的には、両駅伝で國學院に続く2位を取っている駒沢も油断がならない。これは青山・駒沢・國學院の三つ巴になるのか?、と思っていたら、ノーマークの中大が1区で飛び出し、そのままトップを独走する、と言う意外な展開。
そんな意外な展開に翻弄されたかのような駒沢と國學院が苦戦するうちに、やはり青山、箱根は強い。じわじわ追い上げて5区に繋いだら、山で逆転して往路優勝してしまった。
正に青山の原監督の思惑通り。あとは、明日、狙い通り“ピクニックラン”で東京に戻れるか?
明日も楽しみだ。
駅伝観戦の後、今日はシネマジャック&ベティで、2回目となる、
「ロボット・ドリームズ」
これは、「ブランカニエベス」で知られるスペインの名匠P・ベルヘルが、サラ・バロンのグラフィックノベルを原作に初めて手掛けたアニメ映画。
カンヌを始め多くの映画祭に出品され、受賞多数に及ぶ注目作で、日本での劇場公開からそろそろ2か月になろう、と言うのに、今日のジャック&ベティもほぼ満席、と言う状態だった。
ニューヨークで、孤独感に押し潰されそうになっていたひとりぼっちのドッグは、偶然目にしたテレビCMに心を動かされる。数日後、ドッグの元に友達ロボットが配達される。
ドッグとロボットは深い友情を育んでいくが、夏の終わり、海水浴に行ったドッグとロボットだが、ロボットが錆びて動けなくなり、ビーチも来年の夏まで閉鎖されてしまう。ドッグとロボットは離ればなれになって……
これは人の出会いと別れを描いた物語で、主題となるのは、ドッグとロボットが引き離され、会えなくなってから経緯が主となり、その中で、ドッグとの再会をロボットが幾度も夢見るのが描かれ、それがタイトルの所以にもなっている。
その出会いと、共に過ごした時間をかけがえのないものと描く為に、不器用なドッグの孤独を丁寧に描いているのも効果的で、その繊細な描写を、このシンプルな描線で描いて見せるのにも感嘆する。その一方で、シンプルに整理されていながらも、1980年頃のニューヨークを活写した背景美術も素晴らしいし、EWFの「セプテンバー」を始めとする選曲、そして、独特の空気感を生み出すオリジナル楽曲も素晴らしい。
また、「オズの魔法使い」を始めとする様々な映画のオマージュも、映画ファンには嬉しい所。
批判的な声としては、ドッグとロボットの関係性が非対称である(ドッグはロボットをその意思とは関係なく「買った」のだ)、と言うものがあるが、自分は気にならなかった。ペットもそうだし、人によっては“モノ”が孤独を癒す事があり、そこには確かな関係性が生じるのだから……
人生に訪れる、出会いと別れ……その関係性が消えたとしても、その経験は決して消えず、その人を形作っていく、と言うテーマは前向きで力強く、最後の選択も含め、これはかなり大人向きの物語。
シンプルでかわいらしいビジュアルに「子供向けでは?」と敬遠する人もいるかも知れないが、これは万人にお勧め出来るものと思う。
帰宅後、U−NEXTで、
「陪審員2番」
これは、クリント・イーストウッド監督の引退作になるといわれている法廷劇だが……何と、本国でも僅か30スクリーンでの限定公開、日本では配信スルーで、劇場公開なし……まったく、どうしたものだろうか?
妻の出産を間近に控えたジャスティンに、裁判所から陪審員指名の知らせが届く。
恋人を殺した容疑をかけられた男の裁判だが、事件の審議をするうちに、ジャスティンはある事に思い当たる――それは、被害者女性は殺されたのではなく、ひき逃げ事故で死亡したのであり、その事故を起こして逃げたのは自分ではないか、と言う事に……
裁判の中で、ジャスティンは、己の良心と妻子との平和な暮らしを天秤にかける、「正義」を問われる事になって……
クリント・イーストウッド監督は大抵そうなのだけれど、これもまた、無駄も隙もない、見事な映画で、これが劇場公開されなかったのは残念で仕方がない。
内容はアメリカ映画お得意の法廷劇で、これが冤罪だ、と言う事を主人公のみが知っているが、それを言ってしまったら自身は破滅する、と言う設定。映画は、これに、容疑者を有罪に出来たら出世が叶う、と言う担当検事も組み入れて、「正義」とは何かを問う、重層的な物語を作り上げた。
過度に説明的でもなければ、音楽で盛り上げる事もない……それでも伝わる、徐々に息苦しくなるようなサスペンスを構築してみせるのは最早達人の域だろう。
映画は最後、ふたりの対峙の狭間に正義を置いた――そこで、「罪」を選ぶか「人生」を選ぶか……それは正に観た人に投げかけられているのだ、と思う。
ログインしてコメントを確認・投稿する