これは、「ワンダー 君は太陽」の原作者R・J・パラシオが、主人公をいじめた側の少年のその後を描いたアナザーストーリー「ホワイトバード」を映画化したもの。
監督は「チョコレート」「プーと大人になった僕」のマーク・フォースター。「ワンダー 君は太陽」でオジーをいじめて退学となった少年ジュリアンを演じたブライス・ガイザーが引き続き同じ役を演じる。共演は、名優、ヘレン・ミレン。
いじめによって退学処分になったジュリアンは、編入された学校で自分の居場所を見失っていた。そんな中、ジュリアンの祖母のサラがパリから訪ねて来る。
退学処分から学んだことは、人に意地悪も優しくもせず、普通に接することだと言うジュリアンに「つまらない人間になるつもり?」と嘆いたとサラは、彼の名の由来となった、自らの少女時代の話を聞かせるのだった――1942年、ナチス占領下のフランスで、ユダヤ人のサラに危険が近づいていた。ある日、サラの学校にドイツ軍が押し寄せ、ユダヤ人生徒を連行するが、サラは同じクラスのジュリアンに助けられ、彼の家の納屋に匿われることになる。
小児麻痺の後遺症があり、いじめられていたジュリアンに関心を持たず、名前すら知らなかったサラを、ジュリアンと彼の両親は命がけで守ってくれる。日に日に二人の絆が深まるのだが……
この物語、「ワンダー 君は太陽」のアナザーストーリーであり、登場人物もかぶっているのだけど、物語の中心は、1942年のフランスでほとんど関係がない。「ワンダー 君は太陽」のような物語を期待していると、ちょっと意外に思うかもしれない。
ただ、一歩踏み出す勇気が人と人の絆を作る、と言う、物語の根底にあるテーマは同じだと思う。
そして、人の勇気と強さは、誰かを守る為に発揮される、と言うのは、R・J・パラシオが真に描きたい事なのだろう、と思う――映画「ワンダー 君は太陽」でも、最も感動的だったのは、それまでどんないじめを受けていてもただ耐え、我慢するだけだったオギーが、親友を守るため、体格も人数も勝るいじめっ子の前で拳を握ってファイティングポーズを取るシーンだったけれど、本作でも誰かを守る為に発揮される様々な勇気の形が描かれるのだ。
勿論、平和な現代と異なり、戦時下だけに、最悪の悲劇に終わる事もあるけれど、それ故に、勇気を奮うべき時と、その意味については、前作以上に力強く語られているのではないか、と思う。
惜しいのは、そんな祖母の話を聞き、自分の名にこめられた想いを知ったジュリアンの変化と、その後の変容がいささか駆け足で終わってしまった事で、ここをしっかり描いてこそ、本作を「ワンダー 君は太陽」のアナザーストーリーとして描く意味があったように思うのだが……
それでも、名匠、マーク・フォースターだけに、描写は繊細で丁寧、過去パートについては申し分のない出来だと思うし、最後のサラの演説も力強く、これには思わず涙が溢れた。
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