これは、統合失調症の姉を精神科医に診せる事無く世間から遠ざけてしまった両親に疑問を持った、弟で映像作家の藤野知明が20年に渡って家族にカメラを向けたドキュメンタリー。
藤野知明の8歳年上の姉に、統合失調症の症状が出たのは医大生となった1983年。だが、医学の研究者である父母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけてしまう。
その判断に疑問を感じた弟の知明は、修羅場と化した家庭から一度は離れるものの、映像制作を学び、2001年以降、帰省する度に家族の姿を記録しはじめる。一家の様子を記録しつつ、両親を説得し、姉に声をかけ続ける知明だが、時間の経過と共に家族の置かれた状況はますます悪化して……
この映画、母が娘をなじる正に修羅場のような音声に始まる。
そんな状況でも、父母は頑なに娘の精神疾患を認めず、正常だ、と言い張る――その気持ちは判らなくもない。実は、私の母も統合失調症(当時は「精神分裂症」)で、近所からは「キチガイを出した家」と後ろ指を指され、私自身「キチガイの息子」としてイジメの対象になったからだ。医学の研究者と言う、エリートのプライドを持つ父母がそれを認められないのも、あり得る話であろう、と思う。
だが、統合失調症は治す事が出来る疾患であり、実際、母が認知症となった後、姉は僅か6か月の入院治療で弟と普通にコミュニケーションが取れるまで回復してしまうのだ。それまでの25年、人生の黄金時代を家に閉じ込められた姉の人生は何だったのだろうと思わされる……しかも、そうして姉の人生を奪ったのは、彼女を最も愛している筈の実の父母なのだ。
これで判るように、これは統合失調症を描いた映画ではなく、人の尊厳と、人生、そして家族と言うものを問う物語なのだ。
人から羨まれる研究者としての恵まれた暮らし、だが、その研究者としてのプライドが娘の精神疾患を認めず、恵まれた経済環境が娘を飼殺す事を可能とした……己の人生に対する自負とプライド、豊かさ、と言う本来誇るべき資質が、逆に子供を不幸にする、と言う構図には皮肉なものを感じるし、そうした高いプライドの持ち主である父母が、こうなった事の責任を、夫は妻に、妻は夫に押し付けると言う醜態を見せるのにも呆れる。
そして、極めつけは映画タイトルにもなっている、では「どうすればよかったか?」と言う息子の問いに、父は「こうするしかなかった、間違っていない」と主張するのだ……これには人間の業を見せられたようで、それ以上の言葉もない。
家族とは、そして、親子とは、何なのだ、と言う事をあらためて見せつけられたような、ずっしりと重いインパクトを受けたドキュメンタリーだった。
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