これは、「バットマン」シリーズの悪役ジョーカー誕生を描いた「ジョーカー」の続編にして完結編。
監督は前作に続き、トッド・フィリップスが続投。
主演はホアキン・フェニックス。共演は「アリー/ スター誕生」でもトッド・フィリップス監督と組んだレディ・ガガ。
“ジョーカー”として知られるアーサー・フリックは、精神病院の閉鎖病棟に拘置されていた。
ある日、アーサーは、一般患者のリーと出会い「ジョーカーに救われた」と言う彼女の言葉に、自分を必要とする人がいる、と希望を見出す。
そして始まったアーサーの裁判は、彼の責任能力を問うものとなる――アーサーは、悪のカリスマか、あるいは別人格の“ジョーカー”を抱え込んだ精神病患者なのか……?
「フォリ・ア・ドゥ」とは、フランス語で「二人狂い」……精神病の“感染”を示す言葉だと言う。
そんなサブタイトルを持つ本作は、世界興行収入10億ドル超のメガヒットとなり、そして少なくない人々に「世界が壊れているなら、世界を壊せばいい」と言う、危険な思想を抱かせる要因ともなった前作に、監督自ら答えを出すべくして作られたものとなる。
そんな映画は、意外な事にミュージカル仕立て。
「ザッツ・エンターテイメント」を始め、往年の名曲を数多く使用したジュークボックス・ミュージカルとなっている。
アーサーとリー、ふたりの台詞が詩となり、ふたりの妄想の中で華やかなステージとなる……これが“フォリ・ア・ドゥ”の意味する所であり、これに歌唱力とパフォーマンスを求めたからこそのレディ・ガガの起用か、と納得する。
だが、自身の妄想に呑み込まれた優しい男が生み出したブラックジョークのような“喜劇”だった前作に対し、本作は、リーと、そして社会が妄想し、その主役たる事をアーサー=ジョーカーにした事で生まれる悲劇……「ドラマを遠くから見れば喜劇、近くで見れば悲劇」と言う言葉がありますが、その逆の構成にして見せるのがトッド・フィリップスらしさでもあるし、これが前作「ジョーカー」に対する彼なりの落とし前だったのだろう。
社会の求めた虚像に踊らされ、それに応えられないと見るや、ステージから突き落とされる……それは、エンターテイメントで、そして、誰もが主役となり得るSNS社会で、数多く見られるもの。
アーサーも、そんなひとりに過ぎなかった、と描く本作は、トッド・フィリップス監督の真摯さと同時に、前作が開いてしまったパンドラの箱の蓋を閉じよう、とするもの……だが、皮肉な事に、本作を取り巻く人々は、正に劇中のリーと同じ反応を見せ、本作は本国では、賛否両論と言うか否の方が多く、興行も失敗、と言う結果になったのには考えさせられる……世の中に“ジョーカー”を求める声がそれだけ大きい、と言う事の意味を。
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