連休6日目、木曜。昨夜は4時間少々しか寝ていないので、やはり朝からキツい……この連休、連日7時間以上寝ていたからなぁ……
今日は、午前中に通院、先日の検査結果を聞く。
胃カメラ検診の結果も、悪くはなかった。
昼食は、素麵を茹で、鶏ささみのマヨネーズソテーを作った。
午後、近所のホームセンターへ買い出し。
金属用のエポキシパテを購入、取り付け部が割れてグラグラしている郵便受けを修理する……本当は取り付け部の部品を交換したいのだが、丁度合うサイズが手に入らない……ならば、とりあえず亀裂の入っている部分をパテで固めてしまえばなんとかなるだろう、と。
結果としては、思った通りグラつきもなくなり、剛性も出た。不安は耐久性だが、場所的に水も紫外線も当たらない、そうそう劣化はしないはずだ。
その後、クルマの清掃とメンテ……ボンネット開けるのも半年ぶりくらいじゃないか、と思ってしまったり……
はらのロドスタは10月車検なので、4月が6か月定期点検のタイミング。だが、マツダは整備能力が貧弱で、3月に点検の予約を入れたのだけど、工場に入れられるのは6月になる、と言われてしまった。
実は昨年の車検も、本来なら車検が切れるのが10月なので、そこで受ければよかったのだけど、工場が空かず、8月末に受ける、と言う有様だった。
(予約もせず、連絡も入れず、飛び込みでサービス工場に行って、いつでも受け入れてくれた日産とは大違い)
つまり、点検間隔がもう6か月をとうに過ぎている訳だからね……
一通り点検し、清掃もし、洗車まではしなかったけど、まぁこれで6月までは行けるか……6か月点検の際には、12か月点検の先取り予約をしておいた方がよさそうだなぁ……
夕方、ブルク13で、映画1本。今日の映画は、
「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」。
これは、「シチリアーノ 裏切りの美学」のマルコ・ベロッキオが“エドガルド・モルターラ誘拐事件”の史実を元に描くサスペンス。
1858年。ボローニャ。裕福なユダヤ人一家、ルターラ家に兵士が押し入る。枢機卿の命令で、何者かに洗礼を受けたとされる6歳になる息子エドガルドを連行しようとする。その場をとりなし、2日の猶予を得たエドガルドの両親は手を尽くすが、結果としてエドガルドは誘拐も同然に連れ去られてしまう。
世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の息子を取り返す闘いは社会的・政治的な様相を見せるが、教会とローマ教皇は決してエドガルドの返還に応じようとせず、むしろモルターラ家にキリスト教への改宗を迫り……
映画の元となったエピソードは欧州では有名な事件だそうで、本国では衝撃作、と受け止められたようだが、キリスト教とユダヤ教の宗教対立と言うのは、やはりピンと来ない、と言うのが正直な所。
このエピソードのキーとなるのは「洗礼」で、洗礼を受けて信徒となった子供は、非キリスト教徒が育てる事は許されない、と言うのが当時の教会の教え。
その為、敬虔な信徒が善意でユダヤの子供に洗礼を施し、教会は7歳になるとその子供を連れ去って神学校で育てる、と言う事態が多発していた、と言うのだ。子供を取られたくなければ、親がキリスト教に改宗するしかない……そうして、信者を広げていったのだ、と言う史実が、ユダヤ教徒の側から描かれる。
まぁ、そうした宗教間の諍いを含む歴史を知らなったとしても、見応えがあるのは、誘拐されたエドガルドと、彼のその後の人生だ。
人間、「洗脳」などと言う物騒なものを持ち出さなくとも、周囲の環境や人間関係から、完全に自由でいる事など出来る訳がない。
映画で描かれるのは、キリスト教の内幕ではあるのだが、これは伝統宗教、新興宗教……いや、人間社会なら何処でも起こり得る事ではないだろうか?
映画終盤、母の臨終の場で見せた、エドガルドの行為には驚かされる。
エドガルド・モルターラは、その後、カソリックの司祭となりベルギーで暮らし、1940年まで生きた、と言う。
晩年、彼はナチスによるユダヤ人迫害を目の当たりにしただろうが、その思いは如何なるものだったのかを考えてしまった。
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