連休5日目の水曜、午前中に部屋の片づけ……と思うが、これがなかなか進まず。
昼食は、炒飯を作ったが……やはり、2人分を一気に作ろうとすると、火力が飯の量に足りないのか、パラパラの仕上がりにならなかった……やはり、手を抜いてはいかん、と言う事か。
昼過ぎから出かけ、今日は、Kinoシネマみなとみらいで、映画3本。
1本目は、
「マリウポリの20日間」。
これは、ロシアがウクライナに侵攻を開始した直後から、戦火に見舞われた人々の惨状をAP通信取材班が撮影、世界に発信した記録映画。
監督・撮影はウクライナ出身で、AP通信社のビデオジャーナリスト、ミスティスラフ・チェルノフ。スチル撮影のエフゲニー・マロレトカと、プロデューサーのワシリーサ・ステパネンコの3人のチームで、命がけでマリウポリ包囲戦の取材を行った。
第96回アカデミー賞長篇ドキュメンタリー賞受賞。2023年ピューリッツァー賞公益賞も受賞した。
2022年2月、ロシアがウクライナに侵攻。東部の要衝、港湾都市マリウポリに危機が迫る。これを察知したAP通信のミスティスラフ・チェルノフは、仲間とともに現地に向かった。
ロシア軍の絶え間ない空爆で、交通路と通信は遮断され、マリウポリは孤立していく。海外メディアが次々と脱出して行く中、彼らは現地に残り、死にゆく子どもたちや遺体の山、産院への爆撃など、侵攻するロシアによる残虐行為を命がけで記録、世界に発信し続けた。
これは取材チームが、命からがら戦場から脱出するまでの20日間の記録である。
ミスティスラフ・チェルノフによる現地の取材映像は世界中に配信されたので、映画で紹介されているシーンには見覚えがあるものが幾つもあります。
しかし、この映画は、それ以外の、ニュースとして報道していない、むしろ報道出来ない部分まで含む、生々しい戦場の実態を知らしめるもの。
ミスティスラフ・チェルノフが、信頼出来るジャーナリストと思えたのは、正に、ウクライナがロシア侵攻に対してひとつにならなければならない戦時において、それに水を差すような事実からも逃げない事。
空爆の最中に、「これはウクライナ軍の攻撃だ」とデマを叫ぶ者、そして、混乱した街で商店からの略奪をする市民の姿――それらもまた修羅場の現実なのだ、と……
映像には子供や赤ん坊など市民の死、そして死体も映し出される……それを「世界に、ロシア人に見せてやってくれ」と言う、医師や、取材クルーを護衛する警官らの言葉が重い。それに引き換え、日本のジャーナリズムは「お茶の間に流せない」と、こうした映像を流すのはご法度なのだ。そんな何処か他人事のような、その姿勢にも今更ながら考えさせられる。
取材クルーは、マリウポリ陥落前の、侵攻後20日で脱出した。未だ行き場のない市民が多く残る中で、彼らを見捨てて逃げる事には抵抗もあったろうが、ロシア軍に捕まれば、拷問されて、これまで撮影した映像は全てフェイクだった、と“証言”させられるのだから、それも仕方のない事だろう。
こうした映像までもが、戦争、更に国際社会における情報戦の武器になる、と言う時代でもあるのだから。
映画は、今更ながら、そして今からでも遅くはない、ウクライナ戦争について考えさせられるものとなっているし、そのインパクト、情報量としても稀有なもの。これは多くの人に観て欲しいものだと思う。
だが、アカデミー賞の授賞式で、ミスティスラフ・チェルノフ監督は「この映画、作られなければよかった」と述懐した――それは正にその通り、とは思うが、その言葉はこの映画の価値を損なうものではない、と思う。
この後、次の映画までは1時間。少し早いが、その間に夕食を済ませてしまおう、とKinoシネマ向かいのビルの蕎麦屋に行く。
この蕎麦屋、揚げたて天ぷらが売り。今日は、雨で肌寒かったせいもあってカケにしたのだが、カケだと汁がちょっと薄味だなぁ……でもまぁ、かき揚げは、具沢山でサクサク、文句なし。
で、蕎麦を手繰った後に、今日の2本目は、
「マリア 怒りの娘」。
これは、ニカラグアで製作された5本目の映画で、女性監督による初の長編映画となる。
監督のローラ・バウマイスターは、勿論これが映画デビュー作。
巨大なゴミ集積場の近くで母と共に暮らす11歳の少女マリア。生活は苦しく、母は、農場から犬の繁殖を請け負って売って暮らしの足しにしようとするが、生まれた仔犬にマリアがゴミ捨て場で拾った残飯を与えて死なせてしまい、窮地に追い込まれる。母はマリアを知り合いのリサイクル施設に預け、街を離れて巨大農場に身を隠す事にする。
そんな事情を知らないマリアは、何日経っても戻らない母に戸惑い、混乱し、言葉にならない怒りを募らせて周囲に当たり散らすのだが……
冒頭、鳥たちが群がる巨大なゴミ捨て場の光景に息をのむ。その先に描かれる格差と貧困、暴力と性差別。そして児童労働――ニカラグアの社会問題をあからさまにスクリーンに叩きつける……主人公・マリア同様、ローラ・バウマイスター監督の怒りを感じる描写インパクトだ。
物語は、そんな逆境とも言える境遇の中、主人公のマリアが11歳にして少女から女になる、と言うもの。
母が娘に言う、「猫女が来たら女になる」と言う言葉、獣同士のような母娘のじゃれ合い、そしてマリアの夢の中に登場する猫女……監督が、女性を母なる大地と自由に生きる獣になぞらえ、そんな大自然が、男性主導の人間社会によって汚されている、と言う現実に、虐げられる女性の姿を重ねているのは判るが、その描写は余りに粗削りだ。
ただ、ローラ・バウマイスターが切り取った映像の力、そして、そんな監督の意図に応え、作品内で確かな成長を見せるマリア役のアラ・アレハンドラ・メダルの存在感が、この映画を見応えのあるものとしている。
ラストシーン、怒りの感情を生きる意志に変えて行き先を見つめるマリアの瞳の力強さに圧倒される。
続いて3本目、
「霧の淵」。
これは、なら国際映画祭2020で、観客賞を受賞した村瀬大智監督が、同映画祭の映画製作プロジェクト「NARAtive2022」にて手がけた人間ドラマ。
主演は、本作のオーディションで抜擢された三宅朱莉。共演は水川あさみ。
12歳のイヒカは、奈良の山村の旅館を営む家に生まれた。かつては林業で賑わったある集落だが、最近はすっかり寂れてしまっている。
数年前からイヒカの父、良治は旅館経営に見切りをつけて家を出、旅館は母の咲と、良治の父のシゲと共に切り盛りしていた。そんなある日、シゲが姿を消してしまい……
予備知識なしに観たのだが……何だ、これは?と言う印象。
エンドロールで、河�鹹照�がエクゼクティブ・プロデューサーとなっていたので納得はしたのだが、まるで河�鹹照�映画の劣化コピーとでも言うべき内容で、映像時を気取るカットも気に障るし、スローで物語性が希薄な内容で、はっきり言って退屈だ。
テーマとなるのは、かつて栄えた山村と、古き良き日本社会へのノスタルジーなのだが、その想いを抱くのが、そんな時代など知り様もない、12歳の少女だと言うのだから説得力がまるでない。せめて、シゲ爺が、初恋の人によく似た幻の少女に導かれて、賑わうかつての村に迷い込み……と言うようにするなら判るのだが……
まぁ、河�鹹照�譲りの端正な映像と、かつての日本文化と郷愁を誘う内容は海外ではウケそうだが、これは到底楽しめるものではなかった。
帰宅後、今日はしっかり感想を書こう、と思って飲んだエナドリのカフェインが効き過ぎて、今夜は眠くならない……久々に日付またいだので、こりゃ次の日キツいぞ、と……
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