連休4日目の火曜、今日も映画3本。
あ、その前に、昨日、早寝してしまったので、映画感想を少し書いておこう……と、こんな感じで、朝を過ごし、時間を見て出かける。
まず、1本目は、シネマジャック&ベティで、
「アバウト・ライフ」。
これは、結婚に悩む若いカップルと、その家族を描くロマンティック・コメディ。
若いふたりを演じるは、ジュリア・ロバーツの姪のエマ・ロバーツと、ルーク・ブレイシーだが、その家族役が超豪華。ダイアン・キートン、リチャード・ギア、スーザン・サランドンにウィリアム・H・メイシーと、名優揃いだ。
ミシェルとアレンのふたりは同棲中だが、アレンは結婚に消極的。友人の結婚式で、それがきっかけで衝突した2人は実家に戻ってしまう。
翌日、よりを戻す為、ミシェルの実家で家族揃っての食事会を開く事にしたのだが、ミシェルの両親グレースとハワード、アレンの両親サムとモニカは、顔を合わせてびっくり――実は、グレースとサム、ハワードとモニカは不倫関係にあったのだ……
この物語、同棲カップルが家族揃っての食事会をしたら両親が互いに不倫関係で……と言う図式から、ドタバタコメディになるか、と思いきや、これだけの名優が揃うと、さすがにそうはならない。
基本は、男女関係と結婚、そして家族の事について、相手を変えながら語り合う会話劇で、艶笑譚にもなり兼ねないそれを、品良く、人生の教訓を含めて語って退屈させずに見せてしまうのだから、まぁ、凄い。これが名優の力、と言うものか……
ただ、両親役の名優らに比べると、さすがに子供ふたりがちょっと弱い――それでも、映画主演作もあるエマ・ロバーツはまだよいが、アレン役のルーク・ブレイシーはあまり名も知られていない俳優で、本作でも影が薄く感じてしまったのはお気の毒。
続く2本目は、
「正義の行方」。
これは、福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された飯塚事件の全体像を多面的に捉えて高く評価された、NHK・BS1スペシャル「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」を映画化したもの。
監督は、NHKで数々のドキュメンタリー番組を手がけた木寺一孝。
1992年、福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された。DNA型鑑定などにより久間三千年が犯人とされ、2008年、死刑判決後2年と言う異例の早さで刑が執行された。しかし、久間三千年は最後まで犯行を認めておらず、物的証拠のみで裁かれた判決を冤罪だと訴える再審請求が提起され、飯塚事件の余波は今も続いている。
映画は、弁護士や警察官、新聞記者といった立場の異なる当事者たちが語る真実と正義を突き合わせ、事件の全体像を多面的に描き、この国の司法の姿を浮き彫りにする――
この映画、1992年の事件から死刑が執行されるまでの経緯の振り返り、再審請求する弁護士の懸念、そして、自身の報道姿勢を含め検証する新聞、と言う3つの視点から、事件を掘り下げていく。
取材姿勢はさすがNHKと言う公正なもので、捜査の正当性を主張する警察、問題点を指摘する弁護士、双方の主張と、彼らの抱く“正義”の形を歪める事無く映像に記録している――そして、その双方の主張に乖離がある事、それが正に、この事件の“歪み”であり、永遠に解けない謎なのだ、としているのだ。
見応えがあるのは、やはり3つめの西日本新聞による検証報道で、地元紙として他紙には負けられないと言う意地が生んだ、行き過ぎた報道を、当時の記者自身が「ペンを持ったお巡りさんになてしまった」と言う言葉を引き出しているのには重みがあるし、この「事件報道とはどうあるべきか」と言うジャーナリズムの本質を問う内容こそ、本作が存在する理由ともなっている――実は、このシーンは、BS版には含まれていないのだ。
印象的なのは、裁判を司る正義の女神テミスは、正邪を計る天秤のみを信じるために目隠しをしているが、日本の最高裁の前に立つテミス像には目隠しがない――日本の裁判は右顧左眄して判決を下しているのだ、と言う言葉が重く心に残る。
「正義の行方」は3時間近くあり、次の「メメント」までは、徒歩移動だとギリギリだな……仕方ない、今日は昼食抜き、終わったらしっかり食べる事としよう。
で、本日3本目、Kinoシネマみなとみらいでリバイバル上映される、
「メメント」。
これは、クリストファー・ノーラン監督の出世作で、前向性健忘(発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ記憶できない症状)という記憶障害に見舞われた男が、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンス。
時間軸を解体して再構築された複雑な構成と巧みな脚本が話題となり、当時、日本でもロングラン・ヒットとなった。
保険の調査員レナードの家に何者かが侵入し、妻がレイプされたうえ殺害される。その際に殴打された彼は、前向性健忘と言う記憶障害になってしまい、10分間しか記憶を保つことが出来なくなってしまう。レナードは、ポラロイドにメモを書き、体にタトゥーを刻みながら、復讐の為に、妻を殺した犯人を追うのだが……
この映画、ある時点からの“過去がない”と言う前向性健忘と言う設定を活かし、結末から、少しずつ時間を遡るうちに、事態が明らかになっていく……と言う構成で、発症以前の過去を、こちらはモノクロで描く辺りも含め、公開当時は、その斬新さに驚嘆した事を思い出した。
勿論、今となっては、追従する作品も多いし、クリストファー・ノーラン自身は更に先へ、と進んでいるのだが。時間を巻き戻し、そして遡り、映画の中で“時間”をコントロールしようとする狙いはこの当時からのものだったのだ、と改めて認識した。
あと、映画の中の世界は“仕組まれたもの”と言う、映画の虚構性、そのものをテーマとするのもクリストファー・ノーランらしさだろう。
今観ても、その映画的才能には感嘆するしかない。
映画の後、横浜駅地下で、酸辣湯麺と半炒飯のセット。
帰宅後、頑張って映画感想と、レビューを書こうとするが……今日もまた21時過ぎに寝てしまった。
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