週末の映画だが、最近バテ気味で、感想になかなか手が着きそうにない……仕方ないので、まとめて書く。
まず、金曜、109シネマズ港北で、
「白鍵と黒鍵の間に」
これは、池松壮亮がジャズピアニストを演じた人間ドラマ。
昭和63年、暮れ。銀座のキャバレーでピアノを弾いていたジャズピアニスト志望の博は、ふらりと現れた謎の男のリクエストで「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏する。しかしその曲をリクエストしていいのは銀座界隈を牛耳る熊野会長だけ、そして演奏を許されているのは会長お気に入りの敏腕ピアニスト・南だけという不文律があった。
博は店を追われ、居場所を求めて銀座の街に出て――そうして、現実と幻想の間を駆け抜ける狂騒の一夜が始まる……
この映画、銀座のキャバレーを舞台に、ジャズピアニストを目指して銀座に来た青年の南博と、夢の実現のために銀座から出て行こうとするバンドマンの南博と、銀座で彷徨う浮浪者の南博……それぞれ、違う時代を生きる南博、その人生のターニングポイントとなった一夜を、同じ日に重ねて描く物語……さっぱり判らないって?うん、そうだと思う。
でも、これはジャズの即興演奏を映画で再現したものなのではないか?と思った――ピアニストの半生、その転機となった一夜、それを即興演奏で、あっちに飛び、こっちに寄り道しながら、心の思うままに語って行く……これは、そんな事を思わせる怪作だ。
土曜、ジャック&ベティで、
「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」
これはモーガン・フリーマンが製作総指揮を務め、無実の黒人が白人警官に殺害された事件を、90分リアルタイム進行で映画化したサスペンス。
2011年11月19日、早朝のミューヨーク。双極性障害(躁うつ病)を患う黒人のケネス・チェンバレンは、就寝中に誤って医療用通報装置を誤作動させてしまう。安否確認のために訪れた3人の白人警官に、ドア越しに通報は間違いであると伝えたものの、聞き入れられない。
当初、穏便に対応していた警官たちは、ドアを開けること拒むケネスに次第に不信感を芽生えさせていく。やがて警官らの態度は高圧的になり、ドアをこじ開けようとして……
これは、実際の事件に基づいて描く再現ドキュメンタリーでありながら、その中に現代社会の問題を盛り込むなど、なかなか脚本も巧み。
市民が求める「人らしく生きる」ためのささやかな権利の主張、硬直し、上意下達のマッチョイズムに支配された行政組織……そして、扉によって“分断”されている状況で、力ずくで分断を解消しても、問題はまったく解決しないのだ、と言う示唆……これは、ケネス・チェンバレンに起きた悲劇に留まらず、この社会を覆う、普遍的かつ構造的な問題だ、と言う問題提起が、ずしりと重くのしかかって来る映画だった。
その後、T-JOY横浜で、
「イコライザー The Final」
これは、デンゼル・ワシントンが元CIAの仕事請負人・イコライザーに扮するアクションシリーズ最終章となる3作目。
監督は、アントワン・フークアがシリーズ全作を通して担当。共演は、「マイ・ボディガード」以来、デンゼル・ワシントンとは19年ぶりとなるダコタ・ファニング。
元CIAトップエージェントにして、19秒で世の悪を完全抹消する“仕事”請負人、通称・イコライザーのロバート・マッコールは、シチリアでの事件で負傷し、アマルフィ海岸沿いの静かな田舎町の警官に救われる。町の人々は、よそ者であるマッコールを身内のように看病し、親しみをもってロベルトと呼んで接してくれた。
そんな町と人々にマッコールは癒しと救いを感じ、ここ安住の地にするべく、イコライザーにとってのスイッチともいうべき腕の時計を外すことを決意する――だが、小さなこの町にも悪の魔の手は忍び寄り……
「イコライザー」の第三弾は、謂わば”西部劇”――小さな町に流れ者がやって来る、町の人はみないい人なのだが、そこにならず者がやって来て、町の人を苦しめる。流れ者は一宿一飯の恩義で、町の人の為にならず者に立ち向かう……と言う。
今回はアクション控えめ。デンゼル・ワシントンも60を過ぎて、身体動かなくなったか……マッコールはいつも“19秒”でやっつけるのだが、今回、ラスボスには“6分”をかけた。
尚、本作でデンゼル・ワシントンは「マイ・ボディガード」以来、19年ぶりにダコタ・ファニングと共演している。
「マイ・ボディガード」では、当時9歳のダコタに、役者の心構えを説教されたと言うデンゼル・ワシントン、シリーズ最終作に、自ら「名優」と認める彼女との共演を望んだ、と言う事だろうか?
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