日曜。今日も映画2本。
まず、1本目は、シネマジャック&ベティで、
「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」。
これは、大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁裁判長や福島で太陽光発電農業を始めた農業者らによる脱原発活動を追ったドキュメンタリー。
監督は、「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」の小原浩靖。
2014年に関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁裁判長は定年退官の後、原発に共通する危険性を社会に広める活動を始めた。頻発する地震に原発が耐えられないことを誰もが理解出来るよう説く、“樋口理論”である。
日本中の原発差止訴訟の先頭に立つ弁護士・河合弘之は、この“樋口理論”をもって新たな裁判を始める。
一方、福島では、農地上で太陽光発電するソーラーシェアリングに農業復活を懸ける活動が始まっていた、それは福島・二本松で、東京ドームの面積を超える営農型太陽光発電を始動させる……
原発の耐震基準が、一般耐震住宅の1/5以下の揺れしか保証していないのに、保安委員会は「原発敷地ではこれ以上の揺れは起きない」として認可している事実を突きつける“樋口理論”……これは正に、高校生でも判る、”常識”を問うもの。
だが、映画後半で描かれる広島市民による四国電力・伊方原発再稼働反対訴訟では、裁判所はこれを「専門技術訴訟」であるとして主体的な判断を避け、「原子力保安委員会の見解に従う」として再稼働を容認した――原告が訴えていたのは、正に原子力保安委員会であり、その被告の見解を取る、としたのでは裁判にならないではないか、と思うが、これが日本の現実なのだ。
しかも、東日本震災の際、福島第一原発の致命的事態を逃れたのは、奇跡にも近い偶然が重なったからであり、そうでなければ、福島から半径230km圏内の4000万人が避難する事態となった、と言う報告書が政府に提出されていた、と言う事に慄然とする……そして、地震大国日本では何時、東日本震災級の災害が起きるかもしれず、その際、福島で起きたような奇跡が再び起きる保証はない……つまり、何時起きても不思議ではない災害がそこにある、と言う事だ。
この映画は、そうした原発を巡る動きだけではなく、農業従事者によるソーラーシェアリング(農地上太陽光発電)の取り組みを描く。
自分は、大規模太陽光発電設備……所謂、メガソーラーには反対だが、これは目からうろこの落ちる思いにさせられた……確かに、農地上なら自然の山林を切り開く必要もなく、元々日当たりのよい場所を選んでいるから適地には違いない。そして、太陽光パネルの設置密度によっては、農作物への影響もほとんどない、むしろよい場合もあるのだ、と言う。
日本の農地をある割合でソーラーシェアリングを行えば、原発発電分くらいの電力を代替できる試算もあるのだ、と言い、そうした前向きな話が希望を感じさせる。
農家の歌う讃美歌の歌詞の「流れる汗の雫が一粒の収穫となる。その大地の恵みこそが国の力であり、宝なのだ」と言うのには感動させられた。
大地と、太陽の恵みが、国を支え、豊かにする――その事実には考えさせられる。
上映後、小原浩靖監督の舞台挨拶があった。
……何だか、最後の方は売り込みみたいになってたけど。
本日2本目は、Kinoシネマみなとみらいで、
「アフター・ヤン」。
これは、A24製作、アイドロイドが普及した近未来を舞台に、家族との愛情の軌跡をひもとくヒューマン・ドラマ。
小津安二郎を信奉し、小津と組んだ脚本家・野田高梧に因んでコゴナダと名乗る新進監督の長編第2弾。阪本龍一がオリジナル・テーマ曲を担当している。
“テクノ”と呼ばれるアンドロイドが普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク、妻のカイラ、中国系の養女ミカは、幸せな日々を送っていた。
しかしアンドロイドのヤンが突然の故障で動かなくなり、ヤンを本当の兄のように慕っていたミカはふさぎ込んでしまう。
修理の手段を模索するうち、ヤンの体内に一日ごとに数秒間の動画を撮影できる特殊なパーツが組み込まれていることを発見。そこに保存された映像には、ジェイクの家族に向けられたヤンの温かな眼差し、そしてヤンがめぐり合った素性不明の若い女性の姿が記録されていた……
これは、「ブレードランナー」のアンチテーゼのような作品。
「ブレードランナー」に登場するアンドロイドは、人を超える力がありながら、寿命だけが短かったが、この映画のアンドロイドは逆に人よりも長い寿命を持っている。
物語は、家族と共に暮らしたアンドロイドを記憶を辿るうちに、アンドロイドの視線から、人、そして家族の形を見直していくもの、と思えた。
そうした内容故、謎解きとしてもさして盛り上がるものではなく、決して感動的でもないのだが、「生きる」と言う事の意味を考えさせられる、余韻の残る1本だった。
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