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2021年12月30日09:38

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水曜は……

 水曜は休暇を取って、朝からシネマジャック&ベティで映画。
 まずは、1本目、
 「ドーナツキング」。

 これは、アメリカでドーナツ王と呼ばれたカンボジア人、テッド・ノイの人生に迫ったドキュメンタリー。

 アメリカで広く親しまれる揚げ菓子のドーナツ……そんなアメリカ国内には約2万5000店のドーナツ店がある。ダンキンドーナツなど大手チェーン系列外の家族経営の店舗はうち、約5000店になるが、そのうち95%がカンボジア人のものであり、カリフォルニアでは「ドーナツとはアジア人の店で売ってるもの」と認識されているのだと言う。
 そんな状況を作り出したとされるのが、カンボジア人男性テッド・ノイ。
 カンボジア軍少佐だった彼が如何にしてアメリカに渡り、ドーナツ王となっていったのか……カンボジア内戦、難民問題、大手チェーン店と個人経営店の最新ドーナツ事情……映画は、彼の数奇な半生を描き出す。

 これぞ正にアメリカン・ドリーム。
 ポル・ポトに追われ、国を捨てて体ひとつでアメリカにやって来たテッドは、数年のうちにドーナツ店で成功、やがて、内戦によるカンボジア難民を次々に受入れてドーナツにより、カンボジア人のコミュニティを作り上げて行くのが描かれる。
 一時は、テッドのドーナツチェーンはカリフォルニア州の大半を制し、その資産は2000万ドルに達したとされる――ここまでの展開には引き込まれるし、これはゼロからの立身出世を描く、ビジネル成功譚としても、人生譚としても見事、と言うしかない、

 中盤以降、テッドがギャンブルにハマり、女性問題も起こして資産も、家族も全て失い、失意の末に故郷へ戻る……と言う展開になるのだが、ここで、後進世代へ話題をすり替えてしまうのが物足りなかった。
 華やかな前半部を、より輝かせる点でも、テッドの転落と言う暗部と、現在をしっかり描くべきではなかったのではないだろうか。


 2本目は、
 「ボストン市庁舎」。
 これは大変だ、これは4時間超えの映画だ、さすがに途中休憩が入る。

 これは、ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマンがマサチューセッツ州ボストンの市役所と街の姿を映したドキュメンタリー。

 多様な人種・文化が共存する大都市ボストンは、ワイズマン監督の故郷であり、現在も暮らす街である。
 市役所の人々とともに街のあちこちへと動き出すカメラは、警察、保健衛生、高齢者支援、退役軍人会、出生、結婚、死亡記録、ホームレスの人々の支援から同性婚の承認まで、数百種類ものサービスを提供する、知られざる市役所の仕事の舞台裏が映し出される。
 ウォルシュ市長と市役所職員たちが市民の幸せのために奮闘する姿から、浮かび上がってくるものとは……

 これは、「行政」と言うもののあり方を考えさせられる映画だ。
 ウォルシュ市長が繰り返すのは、
 「私たちは市民のみなさんを助ける為に存在する。困った事があったら言ってください。何でも」
 これにより、市役所職員たちが市民の声を聞く、というのが映画の貫くテーマだ。

 市民の声を聞き、みなが納得する施策を行う……これは民主主義行政の基本にして、これを文字通りに行うのが如何に難しい事かを映画は切り取っていく。
 それでも、行政は耳を傾けなければならないし、市民も声を上げ続ける必要がある……社会とは、そうやって形作られて行くものだからだ、と言う力強いテーマが浮かび上がる力作だ。
 これには、本当に考えさせられる。
 そして、この「話を聞く」事が、日本の政治では全然出来ていない事を思い知らさせる。

 映画は行政の電話窓口で、市民の話を聞くシーンから始まり、同じ音声で終わる。
 つまり、「市民の話を聞く」……それこそが、行政の基本なのだ、と言う事だ。


 3本目は、
 「スウィート・シング」。

 これは、「イン・ザ・スープ」のアレクサンダー・ロックウェル監督による25年ぶりの日本劇場公開作。
 主役の姉弟を監督の実子であるラナとニコの姉弟が演じ、母親を監督のパートナーであるカリン・パーソンズが演じている。父親役は、「ミナリ」のウィル・パットン。

 15歳のビリーは、11歳の弟ニコと、普段は優しいが酒のトラブルを起こしてばかりいる父アダムと暮らしている。
 ある日、アダムが強制的な入院措置となり、身寄りのないビリーとニコは、家を出ていった母イヴのもとへ行くが……

 この映画、ろくでなしの大人たちに翻弄される子供たちの姿を描いた映画。
 飲んだくれの父、そんな父を捨ててこれまたろくでなしのマッチョ男に夢中の母……そんな中で懸命に生きるビリーの達観したような表情が痛い。
 この冒頭ビリーを演じた、ラナの演技力には感嘆する……15歳の少女が、疲れた中年女のような目をしているせいで、ぐっと大人に見える……こんな状況下では、子供は子供でいる事が出来ないのだ。
 映画はモノクロだが、その映像の中に、時々カラーの幻想的な映像が現れる――それはビリーの逃避先であろうか?

 映画は延々、大人たちの横暴を描き、中盤を過ぎて子供たちの反撃があり、そして反転する。三人の逃避行。子供らしく奔放に遊ぶ潑剌とした表情。ビリーの表情が和らぎ、漸く年相応の顔になる。
 だが、それが真っ当な道でない事に姉弟は気づいている……「悪い人になりたくない。ちゃんと生きたい」……周りのろくでなしの大人たちを反面教師にし、立派に育っているニコの言葉が刺さるし、そんなニコを護り育てたビリーに胸が痛む。

 映画は呆気のない終劇を迎える。
 物足りなかったのが、やはりマリクの描写――連れ出した水辺で、ビリーの歌で我を取り戻す、となってくれればよかったようにも思うが、それじゃ作為が過ぎるのかな…… 

 朝9時から観始めて、劇場を出たのが5時半で、外はすっかり暗くなっていた……1日、映画観て終わり。

 映画の後、食事をし、あれこれ買い物をしてから帰宅。

 夜、感想を書こう、と思っていたが、町山智浩の「それでも映画は格差を描く」を読み始めてしまい、結果、全部読み切ってしまったけど、日付も変わったので、それでお終い。
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