夏休み3日目の月曜。
午後映画の予定だけど、その前に洗車でもしよう、と。
もう、こんな有様なので……
これだけでなく、最近の日差しで、ボンネットに雨染みもこびりついてしまっているので、今日はしっかり洗おう、と。
そこで、今回は純正のカーシャンプーを規定の濃度(貧乏性なのでついつい薄めにしてしまう)にして洗車すると……あ、なるほど、綺麗に落ちるね。さすが純正。
ただ、この時点で横浜は既に気温34℃、液体ワックスをかけている最中になんだか気持ち悪くなって来たので、ボンネットと左右ドアにワックスをかけた程度で仕上げもおざなりに本日の所は終了。
……でもまぁ、そこそこ綺麗にはなったかな。
昼前から電車で出掛け、本厚木駅着は、13時……今日のチケットはまだ買ってない、まずはあつぎのえいがかんkikiでチケット買ってから軽く……と思っていたが、駅ビルの魚料理店「しんぱち」が美味そうで、まずは昼食。
いわし3匹定食、これで¥520……安い!そして美味い。やっぱ、イワシは美味いなぁ。
その後、映画館へ。
本日の1本目は、
「アングスト/不安」。
これは、現在も収監中のヴェルナー・クニーセクが1980年1月に起こしたオーストリアでの一家惨殺事件と、そこに至る彼の人生を描く映画。
1983年公開当時、本国オーストリアでは1週間で上映打切り。他のヨーロッパ諸国でも上映禁止の上、ビデオも発売禁止となってしまい。長年「幻の映画」となっていた。
本作のジェラルド・カーグル監督はこれが監督デビュー作であり、私財をつぎ込んで製作した為、全財産を失ったと言う。
映画内では“K”と言う役名となっているクニーセクを熱演したのは「U・ボート」のアーウィン・レダー。
その男は親の愛を知らずに育った。両親の離婚により、祖母により育てられ、少年時代には、叔母によりサディストの快感を教えられる。
16歳で母親をメッタ刺しにして逮捕されたのが独り立ちのきっかけで、その10年後、ふらりと訪れた邸宅で老婦人を射殺して、10年の実刑判決を受ける。
受刑後、出所後の生活準備の為、3日間の仮出所を認められた男はさっそく殺人の快感に浸るべく獲物を物色して……
“封印された恐怖の映画”と言う宣伝のせいか、本作を上映する劇場には、10代の若い人の姿も見かけたが、この映画、彼らが期待するようなホラー映画ではなく、殺しや残酷シーンが売りのスプラッター映画でもない。その点で、本作に失望する人は多いのではないか、と思う。
この映画は、所謂、ホラー映画のように死の恐怖から逃げる一般人の視点に立つのではなく、あくまで襲う側の視点に立つ――例えとしては、「ランボー ラスト・ブラッド」と同じだ。襲う側から描く事で、同じ描写に恐怖を感じなくなる。そして、殺人者の独白を多用する事で、観客に、この狂った殺人行為を“経験”させようとするのがこの映画。
この世界の見方、そして受け止め方がまるで違う、サイコパスで快楽殺人症のクニーセクに同化させられるかのような展開――衝動を抑えられない性分や、本人は緻密な計画と思っている事が支離滅裂であったりするなど、現実と、思考・言動との差異を感じさせる部分など――は、真っ当な人間であればある程に気持ち悪く感じられるのではないだろうか?私としては、こう言う事はあり得るよな、と言う理解半分、違和感半分だったが。
ギャスパー・ノエら多くの映像作家に影響を与えた、斬新なカメラアングル――ステディカムを用い、恐らく、演じるアーウィン・レダーにカメラを固定して撮影された、主人公と一体化する……今ならPOVで撮りたいだろうな、これは――や、正に“イカレた”音楽の使い方など、映像作品として見るべき所が多い。
その一方で、殺人の人体破壊は、昨今の作品に比して抑制されたもので、むしろ上品とさえ言えそう……これが問題視されたと言うのにはやはり時代を感じる。
また、ジェラルド・カーグル監督はこれが初の映画となるだけに、あちこち至らぬ箇所も見られる。特に、邸宅に侵入して3人の住人を拘束するまでの展開は、はっきり言ってどうかしている……確かに、その現場を説明出来るのはクニーセク只一人で、これが彼の理解なのかも知れないが、襲われた住人が通報もしなければ悲鳴も上げず、拘束されるのをただ見ている、としか思えない箇所もあり、これは話として狂っているのか、演出力が不足しているのかの判断がつかなかった。
あと、実際には10時間ほどかけて拷問の上殺害したのを、呆気なく殺しているように変えている意図も不明で、ジェラルド・カーグル監督の映画監督の才能を疑ってしまう部分だ。
確かに、1983年当時には衝撃的なものであったのは理解するし、シリアルキラー映画の嚆矢となる存在であったのは確かだろう。
だが、今となっては、影響度の大きさに感心はするものの、衝撃的なものではない、と言うのが正直な所だ。
本日の2本目は、
「なぜ君は総理大臣になれないのか」
これは、大島渚監督の次男でもある映像作家の大島新が衆議院議員・小川淳也の17年間に及ぶ政治家活動を撮影したドキュメンタリー。
2019年の国会で統計不正を質し、“統計王子”として注目された小川は、2003年、32歳で民主党から初出馬した若手議員。妻の同級生が政治家になる、と言う事がきっかけでカメラを回し始めた大島の取材は、それから17年の長きに渡って続く事になる。
「国民のためという思いなら誰にも負けない自信がある」と真っすぐに語った小川は、2005年に初当選。リベラル・保守双方の論客から、見どころのある若手政治家と期待されていた
しかし、いくら気高い政治思想があっても、党利党益に貢献しないと出世できず、選挙区当選でなければ発言権も弱い。権力への欲望が足りないと自ら言う小川は、家族からも政治家に向いていないと思われていた……
本作は、元々、このような形で映画とする事は考えておらず、知人が政治家になる?と言う興味から回したカメラが記録した映像をまとめたものとなる。
結果として、映像は「政治家になる」、選挙中心のものとなり、小川議員の政治活動を押さえたものになっているとは言い難いものになっている。
ただ、初出馬の時に語った理想、「前原さんほど右ではなく、枝野さんほど左ではない」スタンス……それが、2017年の総選挙で、前原代表の側近であったが故に、右派の小池と共闘する事になる、と言う展開はドラマティックであり、これが映画の中心となっている。
これは様々な見方が出来る映画だと思う。
社会を変えようとした若者が、その思いと真っ直ぐさ故に挫折する物語でもあるし、民主党の興亡の物語でもある。そして、これは小川の家族の成長の物語でもあった。初出馬の際、母親から離されて泣いていた2人の娘が、やがて懸命に父の選挙活動を支えるようになるのは痛々しいとさえ言えるだろう。
そして、タイトルにもある「君はなぜ総理大臣になれないのか」の問いには、終盤の彼の姿そのものが、その答えではないか。
家賃4.7万円のアパートで、レンジで温めただけの油揚げを好物と言って妻と仲良く頬張る……そんな「小さな幸せ」に充足出来る、地に足の着いた人間が、人を足蹴にし踏み台にしてでも高みに登り詰める、総理大臣になどなれる筈がない。
映画の後、昼のイワシが美味かったので、その時に気になっていた厚切り銀ザケ定食を夕食とすることに。
うーん、もうちょっとしっかり焼いた方が好み、でも美味い。
帰宅後……急に暑くなったので、早くも夏バテかな……何も手につかないし、明日も早いしで早めに寝る。
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