16日の木曜は、夕方、急に帰宅指示が出て予定外の時間に帰る事になったので、映画の時間がどうにも合わず、結局、映画を観ず終い。
17日の金曜は、定期検診で胃カメラだったが……毎度の事とは言え、麻酔打たれた直後に意識がなくなり、気がつくと待合室の椅子に座っている、と言うのは気持ち悪いな……クスリって怖い。
その後、シネマジャック&ベティで映画3本。
1本目は、
「巡礼の約束」。
これは、上海国際映画祭で審査員大賞・最優秀脚本賞を受賞した映画。監督は「草原の河」のソンタルジャ。
四川省の山村で、夫のロルジェと共に暮らすウォマ。病院で、ある事実を告げられたウォマは、チベット仏教の聖地ラサへの五体投地での巡礼に一人で行くと決意する。それは、五体投地では1日5kmほどしか進めない。1000kmを超える道程に半年以上もかかる巡礼の旅だった。
やがて、ウォマの後を追うようにロルジェも出発。そして実家に預けられていた、ウォマの前夫との息子ノルウも母に会おうとやって来る。嫉妬、わだかまりを抱えながら進む親子の旅路半ばにして、ウォマが倒れてしまい……
これは、チベット仏教と言うよりも家族の再構築を描くロードムービー、と言うべき内容。母に棄てられたと思う子供と、血の繋がらない子供に戸惑う父……そうした問題を解決するのが宗教ではない、と言う部分は現代的と言うか、中国らしいと言うべきか……
ロードムービーとしては起伏に欠けるし、人間ドラマとしてはウォマの心境がなかなか理解し辛くもあるのだけど、あまり観る事の少ないチベット自治区の雄大かつ荒涼とした風景と、巡礼と言う、そこに暮らす人々に染みついた慣習は興味深いものがあった。
ただ、胃カメラ検診の麻酔が残っていたせいもあり、終盤にはうとうとしてしまったのだけど。
2本目は、
「劇場」。
これは、「火花」で芥川賞を受賞した又吉直樹による恋愛小説を、行定勲監督が映画化したもの。
出演は山��賢人と松岡茉優で、本来拡大公開(全国280スクリーンを予定)される映画であったが、新型コロナウィルス感染拡大により公開中止になり、アマゾン・プライムでのネット公開に切り替え。日本アカデミー賞を始めとする映画賞の対象作品資格を得る(ネット配信のみ、あるいはネット配信が先行した作品は映画と認められない)ため、ミニシアター中心に全国20館での劇場公開となった。(劇場公開の2時間後に配信開始)
そんな経緯もあって、シネマジャック&ベティは日頃あまり見かけない若い女性で満席だった。
中学からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で、永田は脚本を担当しているが、前衛的な作風は酷評され続け、理想と現実との間で悩み、孤独を抱えていた。そんなある日、永田は沙希と出会った。沙希は女優になる夢を抱き上京し、服飾の大学に通っていた。
やがて、永田は沙希の部屋に転がり込み、二人は一緒に暮らし始める。やがて、沙希は大学にも行かなくなり、永田を支えるようになる。永田はそんな沙希に甘える一方で、演劇では一向に結果を出せずにいた……
これは、何者にもなれない若者が足掻く辛口の青春映画であると共に、天使のような女性をダメ男が堕落させて行くと言う(実はよくあるタイプの)やるせない恋愛映画。
女性に依存しながらも、理不尽な怒りを彼女に抱え、幼児的万能感を持ちつつそれが傷つく事を恐れて思い切りが悪いと言う、見ているだけで苛々させられ、腹立たしくさえ感じるダメ男っぷりは、又吉直樹から見た“ダメな自分”なのだろう……それをここまで客観的に描いて見せる、と言うのは確かに又吉直樹は才能のある作家なのだと思う。
また、又吉直樹の前作「火花」にも似た感じの話ではあるのだが、又吉の本業である芸人を主人公にした「火花」に対し、本作は同じ舞台芸術でありながら、舞台劇の劇作家が主役。そこで、もの作りや取り組み姿勢の描写から一歩引き、恋愛映画にする辺りも、又吉の誠実さと言うか器用さを感じる部分……商業出版した小説2作目でコレ、って言うのはちょっと出来過ぎなのではないだろうか?
紗希を演じた松岡茉優は文句なしの演技。ただ、山��賢人は頑張ってはいるものの、クズ男を演じるにはまだ格好つけ過ぎてる感じ……この辺り、菅田将暉や綾野剛は巧いのだが。
映画としては、いささか古く新鮮味のない話だけに、それを全て“シモキタ”だけで出来ているような、小さく閉じた世界とし、永田の視界そのまま、と言う感じにした工夫がいい。それが劇場に収斂する最後は、ややあざとい感じがするものの見事と言っていい。
ただ、ダメ男にとっての天使のような女が、“天使”でいられる時間はそう長くはない……その時間経過を上手く描けていないのは気になった。
3本目は、
「人間の時間」。
これは、カンヌを始め海外の映画祭で高い評価を受けているキム・ギドク監督による極限状態に陥り欲望を剥き出しにする人間たちを描くファンタジー。
主演は、日本だけでなく韓国でも活動する藤井美菜。
古い軍艦を使ったクルーズ客船が出港……乗客は、新婚夫婦など一般のクルーズ客に加え、韓国の次期大統領候補の有力議員、ヤクザに詐欺師に売春婦と様々な人々が乗り合わせていた。
出港した日の夜、日本人カップルの女性が襲われ、恋人のタカシは殺され、海に棄てられてしまう……その翌朝、船は宙に浮き上がり、外部との音信も不通となってしまう。乗組員も含め、人々は混乱……その状態のまま日々が過ぎ、食糧も乏しくなる中で、人々は生き残りを賭けて争いを繰り広げて……
これは、シュール・レアリスム世界のダーク・ファンタジーと言うべき映画。
何しろ、映画の大半は空中に浮かんだ駆逐艦が舞台なのだ。なんで大戦型の駆逐艦がクルーズ観光客を乗せているのか、とか、藤井美菜とオダギリジョーは日本語しか喋らないのに、韓国語を喋る他の乗客・乗員と意思疎通が出来ているのか、などと言う疑問など持つ方が愚かだ、と言うこと。その時点で、この悪趣味なキム・ギドク劇場に付き合うしかない。
内容は観念的、かつ悪意に満ちたもので、徹底した性悪説視点での描写には嫌悪感を覚える人もいるだろう。(自分としてはここまでやってくれるとむしろ痛快だが)
また、政治家は暴力と結びついて強権を振るって利権を貪り、大衆は食欲など私利私欲のみにしか関心がなく、女性は売春婦かレイプされる対象……と言うあまりにステレオタイプな設定と描写も気になる人はいるかもしれない。
主演となるのは藤井美菜。極限状況でもパニックにならずに状況を俯瞰視出来る、物語の狂言回し役を「日本人」にする、と言うのは……国民性と言うよりは、韓国人にとっても日本人は近くて遠い“エイリアン”であると言う事だろうか?
この映画の藤井美菜は清楚で美しい、と言う見せ方だが、冒頭から4連続レイプ、と言う過酷な場面やエグい演出に応えているのは見事としか言い様がない。
物語のモチーフとなるのはやはり創世記……最後に残る男女の名前がアダムとイブなのだから明確だ。
それにしても、これは悪意で描いた創世記。人は自ら混沌を生んでその中で滅び、同族殺しと共食いと言う原罪を抱え、アダムとイブの子はレイプによって生まれ、その子が母を犯そうとするのがエピローグで、そうした「罪の子」が人だと言うのだから……
それにしても、こんなにも悪意に満ち、毒々しく背徳的な異形の映画を商業映画として作ってしまえる韓国映画、恐るべし。
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