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都のつどいコミュの平田オリザ講演会

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9/17 Wings京都で平田オリザの講演会があります。

次回のつどい、これを聞きにいくってはどうでしょう?

詳細はMLの方に流してますが。

たまには趣向を変えて。。。

コメント(9)

本日8月24日(木)
ウイングス京都へ電話したら
「まだチケットありますよ」とのことでした。

早速1枚追加して、奥さんも一緒に聞きに行くことに
なりました。

京都までチケットを購入に行くことが出来ない方も
取り置き等してくれるので一度問い合わせしてみて下さい。
075-212-8013
まで。
他に行く人いませんか?

9/17のつどいは平田オリザの講演会拝聴です。

券はまだあるはずです。
ご無沙汰しております。
持病は落ち着いているのですが、風邪をひいてしまいました。最初は咽だったのに、鼻水、咳、頭痛・・・と日々症状が変化しております。夏の疲れでしょうか、年を感じる今日この頃です。
さて、今日電話してみたら、まだ席ありましたので予約しました。参加します。それまでに何とか風邪治します。
ひろ☆
つどい絡みでは4人参加ですね。
講演会は一見子どもと直接関係なさそうですが、遠巻きには関係すると期待してます。
風邪治るといいですね。
そういえば今週ですね。
時間経つのが早いです。
そうですね、時間が経つのは早い。では、明日。 ひろ
ヒロさん hideさん 今日はお疲れ様でした。
個人的には今日の講演内容で2時間\500はお得だったと感じています。とりあえず、家に戻るまでは「騙された」感は無かったです。
ユーモアのある話でした。少し整理しないといけない難しい部分がありましたが、また後日感想など書こうかと思います。
面白かったですね〜。あの「ヒレカツとヘレカツ」の話は、涙流して大笑いしてしまいました。さすがは、言葉を職業にされる方です!! お話を聞く前の写真の平田さんとは印象が全く違って、何と言うか、ただただ面白かったです。

私の職場には、フロア-に約100人のスタッフが働いています。その中にたった1人、女性の管理職がいます。一緒に飲みに行くと、とても初々しい一面を見せてくれるような方ですが、やはり仕事となるとすごい迫力。彼女のことを考えながら聞いてしまいました。女性の管理職が使用する言葉、確かに確率されていないですね。

キクさんがおっしゃるように、少し整理しないといけない部分がありましたね。演出家っぽいしゃべり方をされてたし。でも、互いの努力なしに解決の兆しはないんということですね。

実は、私は高校で演劇部に所属しておりました。平田さんのご友人でもある野田秀樹さんの大ファンです。地元の大会で、エイズをテーマに脚本を書き、上演して新聞に載った経験もあります!! もし、高校生の時にあの話を理解していたら、大会で賞取ってたでしょうね。もし、それで図にのって演劇の道に進んでいたら、ずーーとあんなことばっかり考えて生きていくんでしょうね。「ヒレとヘレ」の違いばっかり考えてるんでしょうね。でもそうして見える下らないようなことも、きっと生きる答えになっているんだろうなぁ…な〜んて思った1日でした。 ひろ☆
平田さんの舞台は全く見たことが無いのですが、以前HHKでやっていた、高校生に水俣病について劇をさせる番組が印象に残っていました。かなりファンにもなってました。

話しの中に出ていた「自国語で高等教育を行うには、言語も高等化しないといけない」というのが今まで全く気付かなかったことでもあり、聞くことが出来て良かったですね。
そう言えばブータンでは学校教育は全て英語で行っていることを思い出しました。
それとこれから高等教育へと移行してべき多くに国が一番に直面する問題なんだということも気付かされ、さらに気付かないまま、自国語で高等教育を行おうとすれば、なかなか教育レベルは上がらず、英語やフランス語に置き換えれば自国のアイデンティティは失われる危険性がある・・・難しい問題ですね。

会話する能力より対話する能力 云々も聞くことが出来て大変良かった。
500円はほんと安かったです。
印象的なところは沢山ありますが、列車内での会話を想定したアクティビティをするとき、
日本の高校生だと、劇が成り立たない。
「旅行ですか?」という台詞がぎこちなくなるそうです。
どうしてかというと、普段見知らぬ人に話しかける習慣がないから。でも、大方の日本人は「相手次第」と答える。

つまり役割を変えると、「話かけられやすい」雰囲気作りが他者に必要になる。

どちらか一方だけが話しかけても、コミュニケーションは成り立たない。

ちなみにこれがオーストラリアだと、相手の人種によるという答え。所変わればナンとやら。

話しかけるには、話かけやすい雰囲気作りが
必要。これって、今の日本の社会に一番かけてるところのような気がします。特に男女共同参画となると。。。

平田オリザ講演会の内容をざっくりまとめてみました。()は私の心の声です。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
男女の対話を阻むものは何か?

劇作家って何をする人なのか正直知らなかったが、要は、劇の台詞、シナオリを作る人。
俳優は、劇作家の言葉を表現する人。

ここで、「コンテクスト」という新しい概念を知った。
直訳すれば「文脈」だが、もう少しわかりやすく言えば、「どんなつもりでその言葉を使っているのか?」

一例を挙げると、
「ボウリングに行こう」という映画が公開されたとき、当時の人々はこのタイトルの意味はわかっても、コンテクストまではわからなかった。なぜなら、言葉は知っていても、それがどんあ遊びで、どんな言い回しをもって使われているのかわからないからである。
今では、デートへの「誘い」とうコンテクストを共有しているので、言葉からその裏にある「文脈」を汲み取ることができる。

たとえば、100年前のチェーホフや、400年前のシェイクスピアの劇を演じるとき、劇作家も俳優も、当時の言葉がもつ意味、背景を知らなくても観客も知らないので、あまり大きな問題は起きない。
つまり、あまりにも現代日本人が持っているコンテクストから遠いところに、劇中で語られる言葉があるときには、大きな問題にはならない。

しかし、日常生活で、一人一人が持っているコンテクストに近い場合、問題がおきる。

それが、例えば、ヒレかつを「ヘレかつ」「ヘレ」「フィレ」というかどうか?
「椅子」と「腰掛」というかぐらいであれば、深刻な問題にはならない。

しかし関東と関西では「スコップ」と「シャベル」が逆転しているので、労働現場で相違があれば問題だろう。
(関西と関東でよくあるのが、「直す」の意味が違うこと。。。他にも沢山)

まだその程度ならいいが、あまりにも普段日常的に使っている言葉、言い回しでコンテクストがずれていて、どうにもならない場合、コミュニケーションに重大な問題が生じる。

(例えば方言、宗教、人権etc)

コンテクストとはそういうもので、同じコンテクストを共有しているつもりで会話をして、通じないとき、事演劇の世界では問題になる。
劇作家と俳優のコンテクストの違いを数ヶ月という短期間で近づけていく作業が演劇の世界。その手法はこれからの未来を担う日本の子どもに必要なスキルだと考えているので、平田オリザ氏は、教育の現場に取り入れようとしている。また、特に医療・看護に従事する人々にも、演劇の手法を教示する活動を行っている。

そういう意味で、日本は「high context社会」と言う。これ自体に善し悪しはなく、日本語という言葉自体が主語もなく、非常に短い言葉、助詞などで意思の疎通が図れる言葉であることを意味する。

現在の日本語は、ある種の転換期に差し掛かっているそうだ。世界が変わり行く中で、特に、社会に出た女性が使う言葉はまだ確立されていない。過渡期にある。だから、女性の上司が男性の部下に使う言葉は、敢えて男っぽい言葉を使うか、子どもに話しかけるような言い方しか選ぶことができない。
そもそも、女性にはそのようなポジションを担う役割が少なく、
言葉として必要だったのは、家庭の中で子どもに対してだけであった。

ところで、いわゆる若者言葉の一つとして使われ、日本語の乱れの代表格として敬遠されている「半疑問形」は、一部の社会に進出した女性が編み出した、苦肉に表現だったと、平田オリザ他、一部の言語学者は考えているそうである。

ちなみに、小中学校レベルでは、男言葉、女言葉の境界はすでに無く、女児の方が、男っぽい言葉を使い、すでに逆転現象が起きているとも
言われている。子どもの方が、一歩時代の先を行っている感があるらしい。

日本では、ほんの30年前、同じ時期に日本のある地域では
ね・さ・よ の3つの助詞を使わない運動がおき、
ある九州の一部の地域で「ね・はい」運動とうのがあった。
後者は、炭鉱の町でその地方の方言に肯定の「はい」を「うん」というのがあり、高度経済成長の時代、都市に就職した時、誤解されないように「とにかく、語尾に"ね"をつけて、「うん」といわず「はい」と言う」
教育が行われた。
前者は、標準語として「語尾に、ね・さ・よ」を使わないようにしようというもの。

本の30年前の日本ですら、そういう状況があったが、明治維新後、近代日本が発展したのは、高等教育をすべて自前の言葉(日本語)で行った点にあるといわれている。
維新直後は大学のドイツ語、ロシア語、英語、フランス語での教育が主流だったが、
明治の人たちが偉かったのは、日本語に置き換える作業を10年ほどで成し遂げたこと。

(世界には高等教育を自国語でできない国は沢山ある。決して、世界の共通語とかした英語で教育が行われることが国際化社会への順応ではない。この点で、安易に小学校から英語を始めようという動きは敬遠したい。日本人でありながら日本語でコミュニケーションができないのに、上辺だけの英語を習ってもしょうがない。)

ただ、それでも一般の人、特に女性が自分の性を表現できることばが確立されるまでに、明治維新後40年を経て「みだれ髪」の発表までかかった。

「みだれ髪」を今読めば、やはり古風に感じる。至極漢語調の表現と当時でいうところの「斬新な」なものが混じってはいるものの
それでも、当時の人にしてみれば、センセーショナルな表現だった。

一方、吉本バナナが「みだれ髪」の現代語訳を発表しているが、今の日本人にはその方がしっくりくるだろう。100年前の差と100年後では、さらに言葉に差が生じている。日本語は今、ひとつの転換期にあるという。

さて、今まで日本人には協調性が求めらてきた。しかし、これからの社会には社交性が必要である。世界の人と付き合う中で、いやおう無く必要となり、これを身に着けていくことが求められる。

すでに、隣近所に外国人がいてもなんらおかしくない時代である。しかし、例えば同じアパートに住んでいるとして、おのおのが好きな日にゴミを出せば社会は維持できない。
やはり、その地域で決めたルールにのっとり同じ日にゴミを出す必要がある。そんなとき、日本語が通じないからと言って関わらないようにしていては社会が成り立たない。
やはりどうにかして、ルールを理解してもらって同じ日にゴミを出してもらわなければいけない。

今までは国がすべて面倒を見てくれているような錯覚があったが、国に頼っているだけではいけない。ある地域社会で、そこに住む人が
自ら決めていか無ければいけない。

しかし、近代国家としての日本が発展するなかで、対話型の日本語は今まで必要なかった。
つまり、日本人の中だけ、非常に狭い範囲で意思・価値観を共有できる会話型の言葉しかない。

これからの日本語では敬語の民主化が進むだろうと言われている。
(ゆうに100年はかかるだろう。)

男女の対話を阻んでいるもの、それは言葉の持つコンテクスト、あるいは、男女区別なく使える対話型の日本語がまだ無いこと。

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