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[青春の死〜音楽はいま〜]コミュの[青春の死 3]

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★お次は「演歌」です。いろいろ書くと膨大になりますので、ここでは今を時めく"人気者"、氷川きよしさんについて絞って書くことにします。
 
 最近の演歌界は氷川きよしさんの独壇場といってもいいくらいの売れっ子ぶりです。でもわたしはこれが、既に歴史のファイルに閉じ込めらたといってもいい「民謡」の後を追い始めた「演歌」という歌表現形式の"象徴"にも見えるのです。
 
 彼は"人気者"ではありますが(はっきり言って)"大歌手"ではありません。新鮮なキャラクターの演歌歌手とも言えますが、楽曲そのものが新鮮なわけではありません。むしろ(一時の)茶髪も含め、演歌歌手としては爽やかで明るくて親しみのあるお兄ちゃん的キャラクターと"旧態依然"の楽曲とのコンビネーションが独特の"非現実的世界"を生み出したことに人気の秘密があると思われます。
 
 「箱根八里の半ニ郎」「大井追っかけ音二郎」などのいわゆる股旅ものからスタートして「きよしのズンドコ節」へと至る様々なスタイルのオンパレード。今や、この明るく爽やかな青年こそは、苦悩とか根性とかの内面表現とは切り離された様々な演歌的ステレオタイプを次々と見せてくれる、"演歌のアミューズメントパーク"のまさに水先案内人なのです。

  たったひとりに希望がすべて托されているような現状は伊藤多喜雄さんの立場と似ていますね。彼は一時救世主に見えるものの、それは未来への道を切り開くものではなく、むしろ期せずして、これまでの様々な演歌的表現を歴史的ファイルに封印する準備をしているような役割を担っています。

 つまり彼が歌ったもの(あるいはこれから歌うであろうもの)の中に、ほぼ還暦を迎えた「演歌」と呼ばれる芸能の全てが含まれてしまっている、というような。そういう意味でこれだけ売れた歌手というものはこれまで存在しなかったと思われます。
 
 今後もしかしたら氷川きよしさんに次ぐ超"人気者"は登場するかもしれません。これからまた10年という年月を経た場合、さらにファイル化が進行した「演歌」という表現形式の中で、その哀愁や懐古趣味や情緒などを取捨選択し編集して、さらに"非現実的"世界を表現できる一スタイルとして、ジャニーズ系すらも取り上げるという可能性は出てくると思います。「演歌っぽくてカッコイイ」というコンセプトもあり得ると思います。
 
 一方で「メジャーレーベルの自費制作?」という奇妙なスタイルは現在でも全国で隆盛を誇っています。あるレコード会社では1年に何百人もの人が5,000枚単位でシングルを制作しているという話もあります。

 全国に多数のカラオケ教室があり、生徒や先生がいて、歌手デビューする人達がいます。言葉は悪いですが「お金さえあればレコード(CD)デビューできる」時代なのです。これも当面広く活況を呈していくことでしょう。

 物理学的死=「○○がなくなる!」という死が生物学的死に近いものだとしても、たぶん「演歌がなくなる日」はやってこないでしょう。

 それでも美空ひばりがいて、三橋美智也や春日八郎がいた"大物歌手"の時代が蘇ることは決してないでしょう。巷では氷川きよしが、「こんな歌もあった、こんな歌もあったね」とファイルを一冊、また一册と増やしていくのでしようか。これでもまだ演歌は生きているといえますか?

コメント(2)

 久しぶりに自分でレスを書きます。
 たまに読み返しますが、内容自体はまだそんなに古くはなっていないように(自分では)思えます。
 補足はたまにしていきます。

>今後もしかしたら氷川きよしさんに次ぐ超"人気者"は登場するかもしれません。
 
まだ”超”とは言えませんが、人気者が登場!です。
 そう、いわずと知れたジェロさんです。

>さらに"非現実的"世界を表現できる一スタイルとして、ジャニーズ系すらも取り上げるという可能性は出てくる
 
 その前哨戦?として彼(ジェロ)はしばらく活躍するでしょう。
 「歌が上手い」。かつては演歌では当たり前の資格みたいなものでした。演歌というより、流行歌歌手は歌が上手いから歌手なのであって、論議されるものではありませんでした。例外がなかったんですね。でもジェロの時に言われる「歌が上手い」は「黒人であるにもかかわらず、日本の歌(演歌)が上手い」という意味あいが強いです。
 「あの人は歌が上手いから・・・」といわれる時、もともとは技術としての<歌唱力>ではなく、その歌=人が醸し出すイメージの世界、その<表現力>だったはずです。やっぱり、歌は、人(キャラクター)から切り離すことはできないものだったのです。
 今、「歌」不在と言われる(ぼくが勝手に言っている?)のは、つまるところ、その世界を体現する「人」不在ということなのです。わかりやすく言えば「おふくろさん」を歌う「森進一」のことです。それでは、ジェロはどうか?ジェロが垣間見せてくれるイメージの世界とは、どんな世界ですか?「海猫」で歌われた出雲崎の風景ですか?答えは自ずと出ているでしょう。
 氷川きよし→ジェロ→・・・という流れ、それはいつジャニーズ系歌手に手渡されてもおかしくない、まさに彷徨える演歌の姿(非現実性)にほかならないのです。

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