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峯村 敏明コミュの平行芸術展 第20回展 『崩落の記譜法は崩落しない』

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崩落の記譜法は崩落しない


∴ξ∋
 芸術作品に限らず、どんなものでも、見るということは本当に難しい。見るべき対象が難しいからではなく、そもそも事物・事象は見られるためにだけ、見られるようにだけ、存在しているわけではないからだ。他方、人間や動物が見るのは、だいたいが対象を対象と決め、観察し、値踏みし、自分との関係を測り、欲望の充足度に応じて再精査するためであろう。というか、そのような目的のために、人は先ずは相手を「見る」のである。見るという行動で、対象との関係を決めてしまうのである。だから、両者の間柄は初めから食い違っている。いや、食い違いが自覚されているなら困難は大したことではないのだが、人間の側が一方的に、見ることで対象との関係が成り立っていると思い込んでいるから、始末が悪い。給料をきちんと渡しているから、従業員との間に十全の関係が成り立っていると思い込んでいる鈍感な雇い主のようなものである。
 もちろん、美術作品は見られるべきものである、と、一応信じられているから、食い違いの度合いは少ないように見える。私はちょっと違う考えを持っていて、視覚芸術といえども、見るだけでなく、響きと照応を感じることができなければ大した鑑賞にはならないと思うのだが、それを言い出すと話が込み入ってしまうので、ここではそうした「感じる」も「見る」のうちに含めることにして、“一応”、美術作品とは見られるものとして特化されている、ということに同意しよう。
 しかしながら、見られるべき美術作品を、私たちは本当に見ているだろうか。人の目は、獲物や危険を察知することを優先する動物としての知覚の習性に根差しているからか、どうしても「かたち」や「イメージ」を見つけ出そうとする。今日では抽象美術に慣れているので、作品中に既知のかたちやイメージが見えなくてもさほど怪しむことはないが、それでも、一枚の抽象絵画にどのようなしるしもイメージも認められないときは、どう対処していいか、困惑するのではあるまいか。どんなものでもいいから、人はとりあえず「かたち」という止まり木かその代用物が欲しいのである。
 そのこと自体は何ら不名誉なことではない。かたちを見たがるのは、混沌から目を逸らそうとする臆病のしるしと言えるかも知れないけれど、逆に、曖昧模糊たる物質の漂いのなかにあえて意味のある島のようなものを認めようとするのは、国生みの神話を書き留めるのにも似た、見ることの創造性を告げてもいるはずだからである。いや、もしかすると、
それは創造性ですらなくて、私たちの知覚の構造そのものがそのような仕組みを与えられているからなのだ。イデアの復元能力という仕組みを。
 たとえば、よく経験することだが、一枚のぼろぼろになった風景画、あるいは磨滅して目鼻立ちも定かでなくなったような仏像を見て、そんな状態でもなお、私たちはそこに見るに値するものが見えたと確信することがある。それはまるで、擦り切れて小指の先ほどになった消しゴムをあやまたず「消しゴム」と言い当てるごとき確信なのである。そのとき、目は創造しているというより、見えるはずのものを復元しているのであり、描かれた風景あるいは彫り出された顔のイデアを照射されているのであろう。鑑賞者だけではない。画家や彫刻家にしたって、創り出しているのではなく、見えるはずのヴィジョンを復元しているのではあるまいか。もしそうなら、一般に人が事物・事象にかたちやイメージを見てしまうのは、弱さの表われではなく、世界の促しに忠実に従っているだけなのだとも言えるのである。視覚の心理学がゲシュタルト(体制的なかたち)という概念を持ち出したのもこのことと関係があるだろう。実際のイメージやヴィジョンは心理学の扱う実験室的なかたちほど単純ではないが。
 さて、人がかたちやイメージを求めるのをこのように擁護できるとしても、作品を見るということがそれで十分とされるわけではない。美術作品といえども、かたちやイメージ(像)にならない要素があふれている。その要素を見る(感じ取る)能力がないと、作品は半分しか見たことにならないのだが、その能力は、個人的・文化的資質として初めから具わっている場合もあるけれど、一般的には、個人の中でも歴史の中でも、時間をかけて開発されてゆくものと思われる。

ξ∋∂
 まず個人の能力だが、知識の習得に努めているうちは、そして生命が上昇機運にあるうちは、目はおおむねかたちや肯定的なもののイメージに引き寄せられて、対象の半分も見ない、というより見ようとしない傾向がある。そのことを、私は、今年の平行展のテーマである「崩落」について数人の大学院生からレポートを出してもらったとき、改めて知らされたのだった。課題は、各人が研究しているか関心を持っている芸術家の作品に、崩落ということがどのように表われているかを記せ、というものであった。提出されたレポートに、新石器時代の洞窟絵画、雪舟、ジョルジョ・モランディ、李禹煥といった標題を見たときは、どれもテーマにぴったりではないかと思い、大いに期待して読んだのだが、驚いたことに、全員の文章が論点を完全に外したものとなっていた。学力、性格、ともに並以上の学生たちである。教師をからかったとは思えない。私の目からすれば、洞窟絵画はともかく、雪舟の破墨山水も、モランディの後期の風景画も、李の80年代の≪風より≫シリーズも、素材、用筆、気分のすべてにおいて、崩落ということが高度の芸術表現と化した優れた例と思えるのだが、ということは、こんなにレポートしやすい素材はないだろうと思えるのだが、学生たちは、その種の作品を回避して、全然別のことに焦点を当てて書いている。そして、よく分からなかったと述懐するのである。
 墨の粒子が水とともに流れて紙質に浸透してゆく、異界通行の効果(雪舟)。油絵具があたかも高熱で溶けたようにコントロールのきかないうねりを催して、樹木や人家の壁が空間と渾然一体となって見えるエントロピー増大のしるし(モランディ)。あるいは渇いた顔料が嵐のような筆の走りを追いかねてカンヴァスのいたるところに微細な空白を残し、渦を巻いている、気象の気分(李)。こうした芸術的表現に引き入れられ、それぞれの記譜法に書き留められるにいたった「崩落」ということが、若い人には見えないらしい。見えていても感じ取れないらしいのである。崩落が見えないということは、かたちのない物質の現象が目に入らず、また、その物質の現象を貫いている変化、時の移ろいということも、しかとは心に映じていないということなのだろうか。観念的には分かっているはずなのだが。
 個体発生は系統発生を繰り返すというのは、ここでの議論にも当てはまる。美術の歴史を見ると、若いうち(古代)はかたちやイメージにストンと目が行っている感じで、おおむね明快で健康的。崩れを評価していた形跡がない。そんなものは目にも入らなかっただろう。崩落を最初に記譜したのは、当然、文明の重みが生のかたちを崩すまでにたたなわってしまった宋代中国でのことである。水墨技法がそれを可能にしたのだが、墨で文字や絵を書くことはもっと前から行なわれていたのだから、墨が崩落の表現を促したにしても、その欲求は熟した文明自体の側にあったと見るべきだろう。ヨーロッパでも、ポンペイの壁画などを見ると、ヘレニズム期や帝政期ローマといった文明の初老期には、崩落の気分が横溢していたようである。けれど、私の偏見かもしれないが、そこには美しい退廃の気はあるけれど、それにふさわしい記譜法が開発されていたようには感じられない。記譜法がなければ、崩落は宋代、元代の水墨画のような高貴な表現にまで深まってゆくことはできないのだと、ポンペイの美しくも軽薄な壁画は教えてくれる。
 以前、別のところで書いたことだが、ルネサンス絵画の大学者だった矢代幸雄は、後に、中国南方の絵画に著しい潤いのある水墨技法の効果を「むらむら」と表現して称えるようになった。彼の専門はボッティチェッリ。その明晰な線の造形を得意とするフィレンツェ派からすれば、ヴェネチア派のティツィアーノだってデッサンがなっていないとボロクソだったのに、南宋水墨画の模糊たるむらむら表現にいっそう深い真実を感じるようになったというのは大転換であろう。やはり、歳を重ねたせいか。
 「むらむら」といえば、その効果を「たらしこみ」という独自の技法で最も高い表現の水位に持ち上げたのは、むしろ、17世紀初の日本の画家・宗達ではなかったかと私は思う。
青虫を踏み潰したときのような、本来なら気味の悪い半物質・半生命のぐにゃりとした感触が、宗達の手にかかると、二つの次元が不意に交じり合おうとしているような不穏で霊的な気配を孕むものとなる。そういえば、小説家の辻邦生も宗達の少年時代をイメージ化するのに、青虫だか芋虫だかをむやみと潰して青汁が広がってゆくのに見入る場面を描いていた。日本の文化に、こういう物質露呈の生々しさを好む傾向があるということでもあろうし、16、17世紀の日本の絵画がすでに若年期を脱していたことの表われと見ることもできるだろう。
 宗達とほぼ同じころ、ヨーロッパではモンスー・デジデリオという謎の多い画家が、ヴェネチアとナポリで、壮麗な神殿とか寺院内部の崩壊する場面を描いていたという。私の敬愛する美学者の谷川渥は廃墟学大全を編むほどの人であるから、当然このデジデリオにも強い関心を寄せていて、その姿を「廃墟が必然的に孕ませる始原と終末とへの距離のパトスのうち、ひたすら終末へのそれを、しかも<崩壊する建築>という<幻想構図>のかたちで幻視しえた、まことに特権的な画家であった」(『形象と時間』)と要約していた。実際、作品図版を見ると、まだまだ教会が圧倒的な権威を持っていたはずのこの時期、聖堂が無残にも倒壊しつつある刹那を描くなどという発想がどのようにして生まれたのか、そして許されたのか、不思議の念に打たれざるをえない。とはいえ、デジデリオは「倒壊する建物を描いた」のであって、宗達のように「崩落という事態を画面上に引き起こした」わけではなかった。前者にあっては崩壊はヴィジョンとして徹底し、後者にあっては素材と技法において尖鋭であったということになろうか。この違いは、印象派の以前と以後とで見られた光の表現の違いに似たところがある。以前の光が建物や人物のように外から描写されるものであったのに対して、以後のそれは絵肌のうちに内面化されて、色やマチエールそのものから発せられるものとなった、というのに似た違いである。
 モンスー・デジデリオは特殊すぎた。素材物質と筆使いの働きのうちに絵画の現象学を、すなわち崩落の時とともにある表現をいち早く始めたのは、もう少し前のヴェネチア派の画家たちだったし、デジデリオと同時代のルーベンスにしても、すでにバロックの精神をかたちだけでなく空間とマチエールのうねりによって表現し始めていた。以下、新古典主義の巻き返しがあったにしても、ヨーロッパが成熟して(老いて)ゆく限り、マチエールそのものから漏れ出る崩落の音にいっそう耳を澄ますようになるのは避けがたい必然であった。

∋∂λ
 19世紀の昼下がり、ついにマネという近代精神の申し子が登場するに及んで、ヨーロッパ絵画はようやく東洋絵画が早くから享受していた高い情調の域に達する。
 マネの近代性とは、一にかかってその平俗な現実受容の姿勢にあった。物質の上にも人
の上にも社会風俗の上にも、そして当然カンヴァスの上にも、彼はただただ過ぎ行くほかない、聖化されざる時の移ろいを見つめつづけた。その、透徹したあるがままの現実受容という点での近代性に比べれば、カント的批判主義の絵画形式への波及という意味での近代性はマネにおいてさほど大きくはない。それゆえ、マネは西洋絵画がその後100年余りにわたって良くも悪しくも自己言及的な形式主義に落ち込んでゆく動勢の出発点をなしていながら、さいわい、絵画の意識過剰にも形式硬化にも陥らず、崩落の記譜法を最も自然な純なかたちで綴ることができたのである。
 マネならどの作品も素晴らしいが、ここでの話題ですぐ思い浮かぶのは、詩人のマラルメを描いた室内画とか、絶筆のフォリー・ベルジェール(酒場)の情景である。これらの画格に匹敵するのは、中国元代の画家とか日本・江戸時代の久隅守景、与謝蕪村などしかいないのではないか。極論すれば、モネ、セザンヌ、ゴッホという超弩級の画家の作品がすべて失われることがあっても、マネだけは19世紀西洋絵画の塚にひとり残っていて欲しいとまで私は思う。むろん、これは暴論だが。
 マネはいつも醒めていた。明晰である。激さない。平凡にさえ見えるかも知れない。しかし、その絵に孕まれた微妙さ・複雑さは、この世界そのものを構成している意味のある無意味、誘惑する無関心、崩落するものの静止ヴィジョン、多数であることの一つ、生の中の死、等々の数限りない矛盾律を力まずに反映しているのであって、その後の近代絵画・現代絵画の巨魁たちが束になってかかっても容易には適わないほどの密度なのである。当然、見ただけでは分からない。見なければもっと分からない。マネをめぐっては、ティツィアーノやゴヤの作品からの図像の借用ないし主題の示唆といったことが喋喋されてきたけれど、それはかたちやイメージがないと研究できない学者が言い募ってきたことであって、もっと大切なのは、マネの絵では、西洋絵画史上初めて、絵肌の物質的組成と筆使いに孕まれた崩落の気配が彼のいつもの主題である同時代社会の姿にひそむ崩落の兆候との間に全き対応関係を結び、真に近代的な記譜法が成立したということの方なのである。
 マネから後、西洋絵画にどれだけ根底的な変革がもたらされたと言えるか、私は疑問に思う。二度の大戦争、社会主義革命、新大陸への文明軸の転位、西洋の目から見た世界地図の拡大、といった20世紀の大変動は、おおむね西洋型文明の若返りという幻想を生んだだけ、そしてその幻想に見合うだけの前衛という小さな工夫をたくさん繰り出しただけではなかったか。つまり、本当は若くないのに、若さと新しさを競う擬装工作がつぎつぎと繰り出されてきたというのが、過ぎた世紀の実相だったのではないか。なぜそう言えるかといえば、あの尊敬すべきセザンヌを初めとして、近代絵画・現代美術の体躯をよく見ると、崩落の実態の上に相変わらずかたちや構築性という上屋を架構し、取り繕ってきた様が透けて見えるからである。
 もちろん、このような断定は物事を単純化しすぎていよう。どんな時代にも優れた芸術家はいて、彼らはいつも時代の規定をはみ出ている。しかし、そのような例はあくまでも圧倒的に少数、というより例外でしかなく、時代の受託者顔をした美術史の編纂者たちは、前衛たちのたんなる上屋架構を偉大な世紀の業績として称えてやまない。生まれてくる世代はつねに若いから、崩落の実相を見ることから目を逸らし、擬装であろうとたんなる上屋であろうと、若く見えるもの、かたちのあるもの、未来のありそうなものを、宇宙船の逃避的冒険行に喝采を送るのと同じ態度で歓迎するのである。
 芸術家たちもまた、あまりにしばしば事態を読み誤ってきた。マネの彫刻版ともいうべきメダルド・ロッソの真実凝視を理解することができなかった未来派は、バロックの運動表現を20世紀の機械時代にふさわしいダイナミズム表現と読み替え、新しい時代の創始を夢見たのだったが、結局はファシズムの虚構の上屋づくりに参加するほかなかった。ボッチョーニはファシズムの到来以前に世を去ったから、政治的なつまずきは免れたものの、仮に長生きしたとしても、彼の絵画と彫刻がルーベンスやベルニーニに比肩するほどのものを生みえたとはとても思えない。
 目を現代の日本に向けるなら、ヨーロッパの倒錯した前衛幻想のあおりを受けたグタイ・グループの、奇妙な気負いが思い起こされる。このグループが同調したアンフォルメル芸術の動向は、元来、物質と行為の現象学的覚醒というマネ以来の重要な歴史的経験に根差していたはずなのだが、そして、グタイ創始者の吉原治良にはそのことをまっすぐ理解するだけの知性が具わっていたはずなのだが、メンバーの多くは、パリにおいても芦屋においても、新しい時代を開いているという前衛固有の虚栄に目をくらまされて、第二次大戦の廃墟を擬似創造の上屋に積み上げるがごとき空騒ぎを演じてしまった。同じ戦争の悲惨をくぐり抜けてきた芸術家でも、麻生三郎の絵画とか毛利武士郎の彫刻のような、この地上の破綻と崩落とから目を逸らさない仕事がありえたというのに。崩落は演じることができない。記譜されるのみ。演じられた崩落は、すでに欺瞞であり、虚飾なのだ。
 このように前衛オプティミズムに拉し去られたとはいえ、グタイとその背後にあったアンフォルメル芸術における物質と行為の分離露呈ということは、芸術の非幻想化という大きな歴史的命題が現実化する過程でマネ以降に訪れた、最も意味のある、ただし重大な危機を孕んだ出来事であった。60年代末のもの派やアルテ・ポーヴェラは、この分裂を克服しようとして、正当にも芸術の非人間化(人間中心主義の排除)を目指した。しかし、より多くの人々は、この分離した行為の側面を近代の悪しき表徴である作家性の自立強化と読み替えて、さまざまなレベルのコンセプチュアリズムを増長させる方向をたどった。
 現代は依然としてこのような状況下にある。人々はもはや「アーチスト」を見るほどには作品を見ない。作品にかたちやイメージがあろうとなかろうと、「作家」ないし「作者」の肉声・意図に接しているかのごとき気分が保てるなら、それで十分、何の痛痒も感じないのである。こんな時に、作品を見ることがまだ可能だろうか。かたちやイメージにからめ取られるのでも、作家・作者に篭絡されるのでもなく、「作品」の姿と働きの全量からこの惑星の響きを聞き取るなどという繊細で非現代的な、すなわち貴族的な行動は、まだ可能だろうか。

∂λ∴
 やり直さなければならないのだ。革新と未来を呼号することは原理として嘘いつわりなのだから、そういう言辞を吐いて芸術の道を踏み誤らせてきた人々の背後に立つ必要がある。必要なら、20世紀を丸ごとまたいでマネの位置にまで戻る勇気があっていい。むろん、
現代人にマネの時代が分かるわけはないから、現代に生きるマネの傍らに立つことだ。
 現代に生きるマネ。そんな芸術家がいるだろうか、と問われるなら、私は答えたい。かたちとか構築性とか、新生とか革新とか、そういうたぐいの若さの虚妄に惑わされず、世界の崩落という実相から芸術することの必然性を汲み出している芸術家、「意味のある無意味、誘惑する無関心、崩落するもののヴィジョン、多数であることの一つ、生の中の死」といった矛盾律を会得している芸術家はすべて、現代に生きるマネなのだと。その実例として私の頭に浮かんだのが、今回の平行芸術展「崩落の記譜法」に参集してもらった6作家である。いろいろな事情で声はかけなかったが、他にも数人、いや、よく検討すれば10人、20人、「20世紀病」を免れている明哲の芸術家はいるはずだ。このような芸術家がいる限り、20世紀は忘れられていいし、21世紀のことは先回りして考えなくていい。前衛とか新生とか建設とか未来の夢とか、こういう下品な言葉は芸術から剥げ落ちてゆくだろう。崩落の記譜法からも漏れて。


[2005年11月19日]

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