日本現代美術の礎
高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之の3名が結成した前衛芸術のグループ名。
それぞれの姓の頭文字である「高」「赤」「中」の英字読みをつなげて命名された。
正式な結成は、1963年5月の「第5次ミキサー計画」においてとされるが、実質的にその活動は前年12月の「山手線事件」の頃より開始されていた。
以後63〜64年の短期間のうちに、「第6次ミキサー計画」「炉プロジー」「シェルタープラン」「首都圏清掃整備促進運動」などのイヴェントを次々と実現。
ちょうどメンバーの一人だった赤瀬川が「千円札事件」の渦中にあったこともあり、
彼らの活動は高い社会的関心を集めた。
人目を引く奇異な化粧で山手線に乗ったり、
白衣に身を包んでおもむろに銀座の街路を清掃したり、
彼らの「反芸術」志向は極めてパフォーマティヴな形で展開されたが、
その活動にはコア・メンバー3名のほかに和泉達が加わったり、
不特定のメンバーが参加することもあった。
多くの点で極めて60年代的な現象であり、
近年では椹木野衣が『日本・現代・美術』において
意欲的な再解釈を試みていたが、他の視線によっても検討される必要のある活動と言えよう。
(art wordsより抜粋:暮沢剛巳)