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数学コミュの1が素数でないことの説得力ある説明

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高校数学あたりまで素数の定義は
「1と自分自身以外に約数を持たない自然数(ただし1は除く)」
という、きわめて不自然な定義がされているわけですが、説得力のある「1を素数としない」理由を、みなさんはどう考えるでしょうか

僕が今のところもっとも気に入っている説明は以下のようなものです


素数が無限にあることは既知とする。その上で、全ての素数を(小さい方から)

 p1=2, p2=3, p3=5, p4=7, p5=11, …

と表記する。そして今度は1以上の全ての自然数を素因数分解したときにどうなるかを考える。例えば、

 72=2^3*3^2
  =p1^3*p2^2

てな具合。これにひねりを加えて、全ての素数を使った素因数分解

 72=2^3*3^2
  =2^3*3^2*1*1*1*…
  =2^3*3^2*5^0*7^0*11^0*…
  =p1^3*p2^2*p3^0*p4^0*p5^0*…

であると考えることにする。その上で、素因数分解したときの指数の部分だけに着目して

 72=(3, 2, 0, 0, …)

とすると、全ての自然数は(可算)無限次元空間の第一象限の格子点と全単写になり、その和は、元の数の積に相当することになる(非負値格子点ベクトルは和に関して閉じている。すなわち、非負値格子点同士の和はまた非負値格子点となり、第一象限からはみ出ることはない)

このように(正の)自然数を、無限次元空間の第一象限の格子点と同一視する観点
 72=3*p1+2*p2
からみると、(2以上の)素数は、この空間の基底を構成しているわけだが、1は基底ではなく、原点である。よって1は(2以上の)素数とは本質的に異なる


と云うものです。むろん上の議論は、数学的には、1が乗法の単位元であることしか本質的には言っていないのですが、素因数分解を常に全ての素数を使っての素因数分解と見ることで、全ての自然数を統一的に扱い、空間の格子点と一対一対応させることで具体的なイメージを付与した上で、1は基底ではなく、原点であるから他とは違うんだと云うことをはっきり示しているところが好きなのです

みなさんはもっと他になるほどと納得するような説明を、自分の中にお持ちでしょうか?もしあれば教えて下さいませ

コメント(18)

こういう考え方は、単純にすぎるのでしょうか?
[1] 1を素数とすると、他のすべての素数は1の倍数になってしまう。
[2] だから、「1と自分自身以外に約数を持たない自然数」と、1を特別扱いにして定義せざるを得ない。
[3] 素因数分解で、一意に表現できなくなる。
> 素数は1の倍数
は当然でした。1との合成数になってしまうということですね。
1を基底にしない時点で、1が素数でない事が前提になっている気がするのですが…

つまり「素因数分解で何故1の指数が出てこないの?」という疑問が浮かんできてしまいます。結局それを言うためには 1: Fumio さんのような説明が必要になるのではないかと思うのです。

「素数の累乗の積に分解する」ではない素因数分解の定義ができれば良いのかもしれません。
う〜む…あんまり深く考えた事が無かったテーマですね…。
僕も「素因数分解の一意性」の観点からしか納得した事が無かったです。

が、その「素因数分解の一意性」辺りにカギはあると思う訳でして。
で、「素因数分解の一意性」が保証されている代数的対象(一意分解整域)が書かれている書物をちょこっと見てみたのですが…。

1とその他の素数には、明確な違いが一つありますね。
有理整数環の中で1は正則元だけど、その他の素数は非正則元である、という事。
 ↑
読んでから気付くかよ(爆)

けど、「正則な元を『素数』と呼ぶと、何がマズいのか?」という疑問がまた新たに出て来る訳で(笑)

その辺の事も含めて、もう少し僕も調べてみます。
>素数の定義の不自然さに疑問を感じた高校生には通じないレベルのお話しになりますが

その点については言い訳というか反論というか…(笑)

このテーマについて深く考えてみる事自体面白い事ですし、「長い時を経て作り上げられた数学の定義がどれほど正当なものなのか」について認識させられる事でもあります。
で、「それを高校生レベルの人達に、どうやって分かり易く伝えて行くか」を考え、工夫する事は、「次代の数学者をどうやって育てて行くか」という観点から、非常に勉強になるのではないかと思います。

「高校生」という単語を出して頂いて、そんな風にも思いをめぐらす事が出来ました(^^)
こういうのは「反論」って言うのかな?(笑)



で、実は>>9を書いた時には、最初の六ちゃんさんの議論はざっくり目を通しただけで、深く読んではいなかったんです(汗)
後でじっくり読んでみて、「『1』が『基底ではなく、原点』である事」と、僕が触れた「『1』が有理整数環の(正数では唯一の)正則元である事」とが、何かしらかの関連がある様な気がして来ました。

その辺も含めて調べて考えてみます。
ってか、コレ書いてる時点ではまださっきから何の進展も無かったりするんですが(滝汗)
1は乗法単位元だから素数に入れないと言うよりは、乗法可逆元だから素数に入れないと言う方がよいかと思います。複素整数を考えたりイデアルを考えたりする上でも、単元(可逆元)と素元と合成元に分けて考えますね。
自然数を、より小さい数の積に「分解」していき、
それ以上「分解」できないところまで「分解」することを「素因数分解」と呼ぶことにする。

 6→2×3

 12→2×6→2×2×3 など

6→1×6 という「分解?」は、分解後の数が小さくなっていない(6が6のまま残っている)ので、「分解」と呼ぶのにはふさわしくない(と私は思う)。

「素因数分解」を上のように約束すると、
2以上の自然数を「素因数分解」したあとの結果には「1」は出てこないし、
「素因数分解」の一意性も成り立つ。

「素因数分解」をしたあとの結果に出てくる数を、「素数」と呼ぶことにする。
このように「素数」を定義すると、当然「1」は素数に含まれないことになる。

 ● ● ● ● ●

個人的には、私は高校1年の授業では
「素数とは、約数がちょうど2個ある自然数のことである」
と定義しています。
現在の学習指導要領では、中学3年の2次式の因数分解の単元で、初めて素数を扱います(小学校では習いません)。
自然数を2数の積に分解する場面で扱いますので、
約数の個数や、積に分解する場合の数(何通りあるか)に注目して、
素数を指導する方法もあると思います。
「一意分解整域」のところを、大学の時に使った代数学の入門書で調べてみましたが…。


「素元」の定義で「正則元でない元で…」ってはじめから書いてやんの…orz

「じゃ、素イデアルだったらどうだ?」と思って見てみたら、はじめから「真のイデアルで…(つまり、『1で生成されるイデアルは除く』)」って書いてやんの…orz


ちょっと、こっち(一意分解整域)からのアプローチは頓挫気味(汗)


ですが、「じゃあ、何故正則元を含めちゃいけないんだ?」「じゃあ、何故真のイデアルじゃなきゃ『素』って言ってはいけないんだ?」ってのが、さっと目を通した時点で疑問として浮かんで来てたりします。
ちょいと諸定理を調べてみて、正則元じゃマズい理由を探ってみます。


途中の経過報告まで(←要らんかも。笑)
あ。素イデアルの定義では「真のイデアル」は除いておかなきゃ駄目ですね(汗)Rを単位元を持つ可換環として、R/Rは0ですもんね。

あー、アホ丸出し(爆)
問題を整理すると、
(1)1を素数に含めない理由を高校生にどう説明するか。
(2)1を素数に含めない理由を高等数学も含めた観点でどう納得するか。
を分けて考えないといけないでしょう。
(2)としては、環の乗法構造を考えたとき可逆元を他の元と別扱いするのは自然だと思います。

定義の自然さと定義のシンプルさとは別問題です。一般的な素数の定義は数学的に不自然な定義ではないですよ。
私の好きなエピソードは、以下。
---- 本橋洋一(ご存じ数論界の大御所)の講演より

(国際線の機上にて)落ち着かない気持ちで研究発表の下調べをしていましたら、隣の紳士が独逸訛の英語で
「自分は物理学者であるが、貴殿は数学者か」「イエス」
「何を専攻するのであるか」「素数分布である」
「素数について未だ知られぬことなどがあるのか」「極めて多量に」
「うむ、我に少年の頃より疑問あり」「何か」
「1は何故素数でないのか」「貴殿は篩法をご存知か」
「イエス、ギムナジウムで聞いた」「では、かの割り算を1から始めたら如何なることとなるか」。
やや間があり、「おお、Danke!」

※ 篩法とは、エラトステネスのふるい。・・・・念のため

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