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昭和30年代の街角コミュの島倉千代子

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 最初の記憶は『東京だよおっ母さん』だ。昭和32年の発売だから小学校の一年生のときだ。だからそれ以前に発売されている『この世の花』とか『東京の人よさようなら』は後から知った曲だ。ラジオから流れてくるもの悲しい内容の歌と歌声が印象に残っている。父親と映画まで見に行った。漫才で「東京だよおっ母さん、焼き場だよお父っあん」などというギャグがあった。2番の歌詞のお兄さんというのは戦死しているということなのか。私は靖国で待ち合わせをしているのかと思っていた。

♪やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと
♪桜の下で さぞかし待つだろう おっ母さん
♪あれがあれが九段坂 逢ったら泣くでしょ 兄さんも

 もう少しあとで歌っていた曲に『いつもふたりは』というのがある。三遊亭歌奴が「♪送っていって送られてそのまた帰りを送って行って♪って馬鹿じゃねえのか」などとまくらに使っていた。

 小学校の高学年の頃、テレビで彼女の主演の『夕月』というメロドラマがあった。相手役は『事件記者』の園井啓介。敵役は『積木くずし』の穂積隆信。『君の名は』などと同じようなすれ違いのストーリーだった。毎週見ていた。主題歌も好きだった。

♪鷗が鳴いてる磯浜で ほのかに浮かんだ夕月が
♪あなたと私の別れの影を じっと黙って見ていたの
♪月は雲間に隠れても 別れの涙は波間に残る

 よく考えたら50年以上の付き合いだ。
知り合いを失くしたような喪失感がある。

コメント(31)

島倉さんの存在感て、美空ひばりさんのように大輪の花みたいではなく、ひっそりとした佇まいで、気がつくといつもそこにいる、と言った感じでした。  本当は勝とも劣らない大歌手だったんですよね。
あのコロコロとした可憐な節回しは天性のものだと思います。誰にも真似できない個性ですね。
所謂演歌はあまり好きではないのですが、島倉さんの歌はよくある演歌のパターンには無い日本的な情緒みたいなものを感じます。

♪送っていって〜送られて〜
これって、とっても洒落たメロディーでとっても好きでしたムード

長く慣れ親しんだ芸能人の方が亡くなっても暫くするとまだまだ活躍しているように思えてきます。
それで、あれっ!?って思い出してもう一度失ってしまうような・・・

自分の生きてきた時間の長さに改めて気づき、これからの身に処し方に思いを馳せてしまいます。
>>[1]
♪送っていって〜送られて〜
これは浜口庫ノ介じゃないかなと思っているんですけど。
>>[2]

今調べてみたら山路進一作曲だそうです。  舟木一夫さんの曲をずいぶん作られているとか。
私もこの名前見覚えあります。  どおりで軽快なテンポ感あると思いました。
手持ちの歌謡大全集には載っていないのですよ。
浜庫さんの曲もおしゃれな感じでしたね。
島倉さんの曲でよく覚えているのは、守屋浩さんとデュエットした「星空に両手を」ですね。
1963年です。
この曲は、島倉さんの強い希望で、実現したそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=wsr09P_Pdn8
今はこのような美しく、さわやかな曲がないのがさびしいですね。

意外だったのが、阪神のスター藤本選手との結婚でした。
これとても、親の反対を押し切ってのことだったそうです。
結局、すれ違い生活が続き、離婚することになるのですが、島倉さんは実家に帰れなかったそうです。
もし、待望の子供が生まれ、離婚しなければ島倉さんの人生もずいぶん変わっていたでしょうね。

>>[3]

そうでしたか。あまりヒットはしなかったんですよね。阪神の藤本と結婚したのはこの頃かな。
>>[4]

『いつでも夢を』のヒットによるデュエットの前向き歌謡路線のひとつですね。この後か前に『二人だけの太陽』という、これも倍賞千恵子の『下町の太陽』の流れで作られたような青春歌謡を歌ってました。当時は何だか島倉千代子にそぐわないなと思っていました。
http://www.youtube.com/watch?v=CvO8xYolykk
>>[7] 『愛のさざなみ』ですね。浜口庫之介の作品です。

♪この世に神様が 本当にいるなら

YouTubeに1968年の紅白の映像がありますね。
https://www.youtube.com/watch?v=z8KiKjkMhtA
>>[8] 私も品川区に住んでいました。近くに彼女の母校がありました。
>>[11]

『からたちの小路』
島倉千代子Version
https://www.youtube.com/watch?v=EnxTRrBzkcQ

南こうせつさんVersion
https://www.youtube.com/watch?v=RB7PUW79rlw
>>[11]
>>[12] 水明さん

初めて聞きました。何だか痛々しくて聞いていられません。どれほど辛かったのか。あの鈴を転がすような可憐で美しい声はもう何処かに行ってしまっていたのですね。
>>[15] 7、8歳で『この世の花』ですか。私はその歳ではまだ流行歌には目覚めてなかったのでは。最初に親しんだ流行歌は岡本敦郎の『高原列車は行く』です。これは昭和29年の発売ですが、当時の曲は息が長かったのと、小さいときに聞いたイメージが強烈でずっと残っていたのでしょう。あとで反芻したのだと思います。「牧場の乙女が花束を投げる」映像が頭に焼き付いていました。

 島倉千代子は人気ありましたよね。子供ながらにヒット曲が次から次と出てくるので凄いなと思ってました。
>>[15]
はじめまして。
よろしくお願います。

>>[16] 極楽さん
岡本敦郎の「高原列車は行く」私もよく覚えています。
https://www.youtube.com/watch?v=hmG1E8anUkE
あと、灰田勝彦ですね。
母がよく歌っていた「新雪」
https://www.youtube.com/watch?v=5I4ek5aETjw
>>[17] 『高原列車は行く』の歌詞に出てくるような場所に行きたいですね。汽車の窓から牧場の乙女にハンケチを振りたい。

『新雪』も好きでした。小学生の頃から懐メロが好きで戦前の流行歌、軍歌、昭和20年代の流行歌などを覚えて歌っていました。灰田勝彦のあの発声は真似しようとしてもなかなか出来ません。『森の小径』、『鈴懸の径』、『燦めく星座』、『東京の屋根の下』など好きな曲が多いです。
>>[18]
>懐メロが好きで戦前の流行歌、軍歌、昭和20年代の流行歌などを覚えて歌っていました。
実は私もそうでした。
母がよく口ずさんでいたので自然と覚えました。
「空の神兵」とか、
https://www.youtube.com/watch?v=AFHDcCBkJtc
極めつけは「愛国行進曲」(笑)
https://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs

>発声は真似しようとしてもなかなか出来ません。
社会人になって一番最初の上司が上手くて、この人すごいなと思いました(笑)。
はじめまして
トピ参加ありがとうございます

島倉千代子さんとか灰田かつひこさん等々の名前が上がってますがこの方々も良く伴奏しました
ひばりさん専属の時代に島倉さんも半専属の様な感じで演奏していました 1976年頃です
新宿コマ劇場一ヶ月公演とかでした
もし良かったら当時の事でしたら何でも聞いて下さい 宜しくお願いします
>>[20]
はじめまして。参加ありがとうございます。

76年頃というとピンクレディーがデビューした頃ですね。島倉千代子もまだ30台でしょうか。美空ひばりや島倉千代子が歌っているのをそばで演奏しながら聞けたなんて素晴らしいですね。
>>[21]

僕がプロになったのは1966年からで日本の歌謡界黄金期でした
御三家から新御三家までほとんどの歌手及びアイドルの伴奏しました

丁度76年は月〜金NHKの「昼のプレゼント」のレギュラーでしてピンクレディーがはじめてプロになったテレビ出演の時から伴奏しました「ペッパー警部」でした

僕のプロフィールの所に「歌手達の思いで」がありますから良かったらご覧下さい 

極楽さんは誰のファンだったんですか・・・・



はじめまして、浪速のやんちゃなオッチャンです。

『この世のはな』→近所のお姉ちゃんが、よく唄ってました。歌詞の意味は分かりませんでしたが、リズミカルで、「ちゃーちゃちゃんちゃらちゃっちゃ」って口ずさんでました。
『東京だよおっかさん』→戦死された兄さん………、聞くたびに涙がにじんできます。

やっぱりこの歌って、お千代さんしかダメですね。



>>[22]
高校2年くらいまでは橋幸夫、吉永小百合のファンでした。そこからは洋楽を聞くようになり、ウォーカー・ブラザーズのスコット・ウォーカーに3年ばかりは夢中でした。

 それでも歌謡曲は好きで戦前、戦後、昭和40年代ぐらいまでは好きです。昭和50年代に入ると、段々と聞かなくなりました。

 今は西田佐知子、梓みちよとか、あの頃に人気のあった女性歌手は誰でも好きです。
>>[23]
 はじめまして。「もう来るんじゃないかとずっとお待ちしていたんですよ」って三平じゃないですが、よろしくお願いします。

 『東京だよおっかさん』の頃の声って随分と違いますよね。あの頃の声が好きです。実演を見てみたかったとつくづく思います。若い頃はまさか見に行こうなんて思いませんでしたから。リアルタイムでたくさんの歌手をテレビで見ていたのに、一人も見ていません。残念なことをしました。
>>[25]

お千代さん、この歌の二番、NHKで歌ったことがないんです。紅白に至っては、この歌さえ歌ってまません。何でかはご存じでしょうが、二番があってこそ『東京だよおっ母さん』なんです。

>>[26]
 歌ってないんですね。『逢いたいなァあの人に』は3回も歌っているのに。『この世の花』も『東京の人よさようなら』も歌っていない。靖国の問題があるから避けたということですか。島倉千代子の代表作なのに。昭和32年当時の世の中の政治意識の違いですかね。
『この世の花』は一度歌ってました。
NHKの追悼番組では、2番も放送されたそうですね。
やはり、意識していたのか、していなかったのか。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1477.html

私は神社巡りを趣味の一つとしています。
でも、靖国は参拝したことがありませんし、今後もしないだろうと思います。
そこは、価値観や存在意義の意識の違いだと思います。
しかし、靖国を心のよりどころにし、参拝される方々を否定はしませんし、尊重します。

そういえば、キリスト教関係者が神社仏閣の文化財を汚すといった事件がありましたが、宗教者としてあるまじき行為ですし、心の狭さがうかがわれます。
まるで、偶像を破壊するISの暴挙を思い出させます。
>>[29]
 記事を読みました。結局、どちらもこの歌を政治的に利用しているんじゃないかと思います。片や、「靖国問題に関わりたくない」、片や、「日本人の心には靖国が大事」。

 昭和32年当時に田舎から出て来た娘が来京した母親を兄に合わせに来る心には靖国問題なんて意識はまったくないんです。一般の大衆にもその意識は薄かったんだろうと思います。

 そういう意味で、私もこの2番を聞いて、靖国問題と結びつけようという気持ちも起きません。ただ、ただ当時の素朴で貧しい田舎の親子の姿が愛おしく見えてくるのみです。

スポーツや芸術の世界に、政治はからむべきではありません。
1番、2番、3番があってこそ、母娘の物語があり『東京だよおっ母さん』になるんですよね。

おっ母さん、ホンマに嬉しかったやろね。



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