ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

昭和30年代の街角コミュのスポーツ

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 あの頃は野球と相撲しかなかった。少年雑誌はいつも野球選手や力士のグラビアが飾られていた。相撲は大好きだった。相撲のメンコやブロマイドをよく集めた。今一枚も残っていない。

 テレビが家に来る前から近所の人の家で相撲中継を見せてもらった。当時は民放でも中継していて3つのチャンネルがすべて相撲だった。そのくらい人気があったのだ。

 ビデオなどない時代で分解写真なるもので最前の勝負を検証していた。決定的な瞬間が新聞社のカメラのフラッシュで光って見えないなんてことがよくあった。

 外で遊ぶときも近所の男の子とはよく相撲をした。「今の勝負を再現します」と言いながら分解写真も真似をした。

 新聞のスポーツ欄の取り組みの部分を切り取って、まだ新聞を読んでいない父が「誰だ!切ったのは」と叱られた。父は切り取られた部分を穴に当てはめて裏側の記事を読んでいた。『サザエさん』にカツオが同じことをしてお父さんが怒りながら新聞を読んでいるのがあった。

 それでも相撲の好きな子供は野球に比べると多くはなかったか。

コメント(13)

我が家ではプロレスを興奮しながら見ていました。結構力道山の時代も流血とかありましたよね。怖くて心臓がドキドキでした。 小学生の頃は放課後残ってドッジボールするのが楽しかった。あの頃は子供は暇だったからいつまでもやっていられた。スポーツ得意な男子は目を見ててもボールの方向がわからない。 なんとなく気になる子を狙ったりして、子供心にもやっぱり〜、ってバレバレでした。  下町の小学校だったので朝潮関が学校に来た事がありました。ハーフみたいな濃〜い顔の大きなお相撲さんでした。
ミカちゃんさん、

 朝潮って人気ありましたよね。私は時津風部屋の稽古を見に近所のエミコちゃんのお父さんに連れて行ってもらったことがあり、双葉山(当時は親方)、鏡里、大内山などを見たのを覚えています。大人が相撲を取っているのを近くで見るのは怖かった印象があります。
 プロレスと言えばブラッシーです。学校ではいつも話題になっていて真似をしてました。それにグレート東郷。肩をピクッピクッと二回上下させるんですよね。
 ドッジボールはよくやってましたね。小学校で使っていたあのボールは何のボールなんでしょう。ゴム製で表面に小さな突起がたくさんついていて色は赤茶でしたね。緑のもあったかな。皮は薄くてバスケットのボールほど重量感がない。あれが各クラスに2つ3つあったのかな。
極楽さん

本当にすごい記憶力ですね。私はせいぜいメジャーな大鵬、柏戸くらいです。
ブラッシー、反射的に笑ってしまいました、今思えばサービス満点なアクションだったのでしょうがあの頃は正視できませんでした。それとも当時本気で噛み付いての流血だったのかしら…
グレート東郷は思い出しました。小柄なおじさんでしたよね、でもすごくタフで、やられてもやられてもニタニタって笑って挑発してて、すご〜いと思ってました。
 二人しかいないんで呼び掛けの名前は書いても意味ないですね。うれしい顔

 血糊はどこかに用意してあったんでしょうね。ブラッシーは忘れ難いプロレスラーです。

 キラー・コワルスキーというレスラーはニードロップで誰かの耳をそぎ落としたという逸話を眼科に置いてあったプロレス雑誌で読んで気持が暗澹となったのを覚えています。子供にとってはショックな内容だったのでしょう。これも本当の話かどうか今となっては分かりませんが。

 グレート東郷は役者でしたね。彼が出てくるだけで楽しくなりました。

 吉村道明というクリーンなファイトを持ち前とする弱いレスラーがいましたね。いつも血だらけになってコテンパンにやられてました。タッグマッチで吉村に代わると「何で代わるんだよ」と皆叫んでました。

 お互いの両手を組んでの力比べ、頭突き、ボディースラム、キーロックなどパターンが決まっていた、ああいう形式のプロレスはもう無くなりましたね。今見ても面白くないだろうけど。
あの当時から血糊ですか?  行く筋も額から流れる様は本物としか思えない、、、
兄が(極楽さんと同い年かもです)若い頃プロレス好きになってたようで、笑いながら血糊、血糊とは言っていましたが。
吉村!確かに弱かったですね、私はなんだか可哀そうでしかたなかったです、もどかしいというか。
『何で代わるんだよ』・・・情景が浮かんで思わず笑わせて頂きました(^o^)
外人レスラーは基本悪役の中、名前がでないですが反則無しの実力者いたと思うんですが。
たまにしか来ない人で力道山と1対1の対戦で技の応酬が流れるように進み、これぞプロと感心して見てた覚えがあります。 どちらにせよ楽しむというよりハラハラして見てました。
両親は興奮して確かに叫んでいましたね。
 力道山とライバルとして戦ったのはルー・テーズです。バックドロップを編み出したチャンピォンでした。
 父は吉村のもどかしさに怒っていました。祖母は外国人の反則技に憤慨していました。大衆はまだナイーブだったんですね。
ああ、そうでしたね!さすがですわーい(嬉しい顔)流れるように技が繰り出されてお約束の演出みたいでしたが当時はそんな穿った見方はもちろんしませんでしたから。
母がシャープ兄弟ってよく言ってましたね。あんまり反則しないのでお気に入りだったみたいです。
まぁ悪役あってのエンターティンメントなんですが。
大分後ですがデストロイヤーだって最初は悪役っぽかったし。
白トレパンのアブドラ・ザ・ブッチャーも怖くて怖くて・・・
デストロイヤーや近年ではボブ・サップも最初の脅威とは裏腹に、テレビにでるようになったらな〜んだ、こんなにお茶目だったのねとホッとしましたがブッチャーだけは・・・
あんまり使い分けできる人ではなかったのかしら。 ちょっと思い出してきましたね。
あれ、こんな私もかなりナイーブ??かしら(笑)
 ザ・デストロイヤーのあの変貌はゴジラがシェーをしたのに匹敵します。

 あの頃からすべてが物事の本当の姿を見せるようになって大衆も学んで行きソフィスティケイティッドされて行くのですね。幻想が徐々に打ち砕かれて行ったのです。

 因みにナイーブとソフィスティケイティッドは悪い意味にもなります。
 ナイーブは世間知らず、ソフィスティケイティッドはすれっからしと言ったところでしょうか。
鋭い洞察です。
知らない方が幸せだったかも、ということも言えますね。
けれど遅かれ早かれ皆利口になり、逆戻りはできない。
何かを得れば何かを失う、ってことでしょうか。
いや、実はプロレスは学校の話題に遅れないよう見ていましたが…
(親が見ていたからかな?)
好きではなかったです。



毎週ディズニーランドが見たかったわーい(嬉しい顔)
Gomiさん、

弟がディズニーランドが好きだったのですが、お伽の国が特に好みで、冒険の国とか未来の国だとがっかりして泣いてました。もうひとつは何の国でしたっけ。

チップ・アンド・デールとドナルド・ダックのドタバタが楽しみでした。特にリスの家の中を見るのが楽しかった。

あっ、今思い出した。開拓の国だ。
>>[011]
ディズニーとプロレスが交代で放送され、見たい(ディズニー)が隔週でしか見られない
これは辛かったです。

相撲なら場所が始まれば毎日だし『ローハイド』や『ララミー』は毎週やっていたのに…泣き顔
Gomiさん、

子供って待つのが苦手ですよね。月刊漫画の発売日をいつも指折り数えて、その日の朝に学校に行く前に本屋さんが開く前に行って買ってました。向かいの果物屋さんが本屋さんのお父さんの店で、本が届くとそこにとりあえず納品されて積んであるのです。十字に紙紐で縛ってある真新しいピカピカの『少年クラブ』など、今でもワクワクする気持が蘇ります。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

昭和30年代の街角 更新情報

昭和30年代の街角のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。