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「おんなたちの非戦・不戦の会」コミュの有意義な日記の紹介トピ

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ここに参加されている方の日記は素晴らしいものが多く、みなさん、ご紹介していきませんか?

自薦・他薦問いません。宜しくお願いしますわーい(嬉しい顔)

憲法改悪問題、教育再生会議の問題点、国民投票法の問題点、劣化ウラン弾の問題点、闘争日記、教育関係、子どもの権利、人種差別、右傾化、政治、経済、音楽、作家、作品など、なんでもありです。

よろしく!指でOK

コメント(52)

どらさん、ありがとうございます。

そちらのブログ「水は答えを知りません」も読ませていただきました。呆れたり、笑ったり、怒ったりしながら、「ことの起こり」から最後まで一気に読みました。

人間て、何をしでかすか分からないイキモノ… と変に感動しました。どらさんのしつこい目がハート対応にも感動しました。見習いたいです。

最後の方に書かれてた「これを許容する人の心理に興味があります」ってところ、私も同感です! 何か発見があったら教えてください。
さなさん、コミュ参加ありがとうございます!

九条コミュで従軍慰安婦に関するトピで奮闘されていた”まりこ”さんもコミュに参加してくださいました。

承認制にしているので、自己紹介をかねて申請してくださっています。このコミュには有り難いことに素敵な女性がたくさん参加してくださっていて、それぞれにやっていらっしゃる活動をどんどん書き込んで欲しいと思います。

わたしはといえば、息子と娘と私の三人で1台のパソコンの奪い合いをやっています。そこでアクセスできる時間が限られていますが、皆さんご自由に自分の日記と同じくコミュに書き込みしてください。

日記の紹介とは違いますが、数日前からアイヌ先住民の権利コミュでイヨマンテの儀式に関して動物愛護協会?みたいな人がおかしな運動を展開して気になっています。

皆さん、良かったらお知恵を拝借できますか?


http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19039315&comment_count=79&comm_id=57182
お久しぶりです
>イヨマンテの儀式

これは正直、すごく難しい問題だとも思うんです
近代化社会とアイヌ文明の衝突だという風にも私なんかは感じます
これは生け贄に捧げるのが熊だから余り大きな問題になりませんけど
もし生け贄の対象が犬であったとしたら…?
多くの日本人が犬を伴侶として、ペットとして飼っている訳で…
この場合、全国規模で猛反発やら抗議行動が起こると思うのです
確実に、ペットを家族と考えている現代人と伝統文化の衝突が起こるでしょう

イヨマンテの儀式の場合は対象は熊ではあるけれども、
この儀式の復活に対してアンチを唱えている人っていうのは
熊と自分が飼っているペット(犬猫)を同列に扱っているような気がします

何でそうなってしまうのか?っていうと
飼い熊として大事に育てるという行為とペットとして大事に育てる行為
飼育の段階に両者の共通点があって感情移入する訳です
家畜として育てた熊を屠殺するのであれば現代人も感情的反発はない
しかし、上等な食べ物を与えて家族のように育てた熊を天に送るという行為
ここに現代人は自分の感覚から反発を覚えるんだと思います

なので感情的反発というか気持ちは私にも分かります

最後は殺して食べるのだから、敢えて感情を入れる必要ないだろう、と
“感情を入れた対象を殺して食べるという行為”に鳥肌が立つ訳です
死ぬ瞬間の熊の気持ち(動物にどんな感情があるのかは分からないけど)
信じていた家族のような対象に命を奪われる瞬間を私は想像してしまい、
イヨマンテについては余りよい感情を持っていません
これは現代人としてペットを飼っている人間として当然の感情だとも思います
しかし、一方で伝統文化や少数民族に対する尊重の念というのもあって、
私の場合はそこで大きなジレンマを抱えてしまっているのが現状です
何故ならどっちの言い分も分かるし…矛盾故に苦しいです…

で、イヨマンテの儀式は復活してしまったのだから、余り関与せずに、
この問題については近寄らないでおこう、と 棲み分けですよね
自分にとっては相容れない世界であるから 別世界として関与するまい、と
私自身はこんな風に距離を置くべきだ、と そう考えていたりします
賛成はしないけれども近寄るまい、と 
これが私にできるイヨマンテに対する最大限の尊重だったりします

多様な価値観が存在する社会を実現するために必要な要素の一つとして、
他者の尊重「自分は自分、あなたはあなた」っていうのがあると思いますが、
イヨマンテの儀式について過剰反応して反対している人たちというのは、
「自分は自分、あなたも自分」っていう状態に陥ってしまっている
自分の価値観を何が何でも他者に適応させなくてはいられないのでしょう
これはある意味、全体主義的な思考方法ともいえるし、怖いと考えます

動物ファシズムって感じでしょうか?

けれども彼らの主張というのも現代社会の一つの声でもあるので
ただ単に彼らは感情的である、と こう切って捨てるのはどうかとも思います
何故なら彼らからしたらイヨマンテは原始的で野蛮だからです
問題の本質は動物ファシストと伝統ファシストのぶつかり合いである、と
双方の権利のぶつかり合いが生じているな、と
ここにかつての日本によるアイヌ文化の弾圧問題が絡んでくるから、
少数民族の権利擁護の問題と重なって面倒になってくると思います

って、すみません…イヨマンテについては、
自分にとって痛いというか関わりたくない問題でもあるので 苦笑
知恵というか、反対派の心理分析に終始してしまいました 汗
うんこさんが議論される際の参考になれば幸いです
15: Risa_bellさん、分析してくださってありがとうございます。

難しいですよね。

イヨマンテの儀式はアイヌ民族にとって民族の儀式であり、伝統文化であったはず。それを同化政策によって切り捨てられた。やっと先住民の権利として見直され(当たり前!)た途端、今度は動物愛護という現代の価値観に翻弄され、思わぬ横やりが入ったというところでしょうか?

しかし、この動物愛護を唱えている人達の気持悪さってなんだだろうね?どうやったら言葉が通じるのかしら?

とっても頭がいたくなる人であることは確かですが、こういう人をどう理解させていくか?私たちの問題だと思いました。
アトラス塩浜さんが、おもしろい日記を書かれていますので、ご紹介します。

国家の義務と市民の権利をわかりやすく書かれていると解釈していますが、塩浜さん、あってる?(笑)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=461950074&owner_id=2663509
こんにちは。

「イヨマンテ」については「文化」なので、他者が批判するべき問題ではないと思います。

以前、留学中にNZの記者から「日本人はイルカを殺した!」と非難されて腹が立ったことがあります。日本人にとって鯨類は「海洋資源」であり、イルカが死ぬと弔電を打つ国の人間には理解できないのでしょう。

本多勝一さんの『なぜイルカなのか』を仏訳して説明したところ、他国の多くの記者は納得してくれましたが、NZだけが聞く耳持たずでした。インド人は牛を神聖視しますが、アメリカの牧場に出かけていって柵を壊して牛を「解放」することはしないでしょう。わざわざ日本まで来てイルカを入れておいた網を破って「解放」するのはアメリカ人なのです。犬を食べる韓国人を「野蛮だ」と言ったドイツ人を殴ってやろうと思ったこともあります。

IWCも、「鯨類の持続的利用」という当初の目的から大きく逸脱して、減ってようが増えてようが鯨を殺すのはダメ!になってしまってますので、存在意義はないでしょう。

文化に「高低」はありません。
じっくり読んでから書き込むべきところですが、急ぎ足で通りがかったところなので、的外れだったらごめんなさい。

伝統文化か動物愛護かって、本来は対立することではないですよね。
私たちが大切にしたいのは、どんな命にも敬意を払うことに尽きる、とでも言えばいいでしょうか。
私も「ごめんね」と思いつつもアブラムシや蚊を殺しているので大きなことは言えませんが、命を粗末にするなってことではありませんか。
ひとつの命としての重さがあるからこそ、「いけにえ」になっているのだと思うのです。いけにえとして捧げるときと、化粧品の実験のために殺すときとでは、命のとらえ方が大違いでしょう。

食べものを粗末にする人や、奇形の仔犬だったら引き取らないような人に、「動物が可哀そう」「残酷だ」などといわれてもねぇ・・・。

アイヌの儀式は、自分たちの命をつないでいくために必要なことだったのではないでしょうか。
それを否定するのは、エスキモーに肉食をやめろというようなものではありませんか。

自分たちが生き延びていくために他の命をいただくのは、どうにもならない宿命です。
ただ、長期的視点に立って計画的に他の種と関わっていくことも可能になっているのだから、その知恵は活かさないと…とは思います。

勝手な思いつきだけ書いて失礼しました。
葬儀で、死者の肉を食する習慣を持つ民族もいます。

犬だから、熊だから、クジラだから、という問題ではないでしょう。

一つには、相互の文化を尊重することでり、
一つには、それが客観的に見て残忍で野蛮かどうかです。

食べることは何の問題でもない。文化、風習の違い。
ただ、捕獲と殺し方には、議論の余地がある。

人間が食べているのは、塩と水を除いて、すべて命です。
動物の種類で議論するのは、ナンセンスです。
18: pierreさん、お久しぶりです。

>「イヨマンテ」については「文化」なので、他者が批判するべき問題ではないと思います。

まさにそう思います。

彼らの批判は可哀相とか自分の感情論であり、本当に動物愛護なのか?ちょっと考えてしまいました。人間のエゴで本来野生で生きていた犬猫をペットにする。これって人間の傲慢な趣味ですよね。うちの家にパピヨンがいますが、人工的に掛け合わされ作られた生き物です。いろいろ考えていけば、ペットにする行為そのものが、動物愛護からかけ離れているのかもしれないと思った次第です。



19: Yokoさん、書き込みありがとうございます。

>アイヌの儀式は、自分たちの命をつないでいくために必要なことだったのではないでしょうか。
それを否定するのは、エスキモーに肉食をやめろというようなものではありませんか。

そうですよね!自分らの価値観を先住民に押しつけ、文化を破壊する運動を展開していることに気づいて欲しいと思います。

他文化共生とはなんぞや?そこから考えていきたいですね。

そういえば、エスキモーの人らの生活を脅かす荒廃こそ、動物愛護は考えなきゃいけないでしょう。自然界の一存在にすぎない人間が、野生動物が住めなくなる環境破壊をやっているのですから。エスキモーの方も、アイヌの方も、食べる量は僅かです。彼らこそ、動物と共生し、命あるものを大切にしている方々だと思います。
20: 与一映画さん、初書き込みありがとうございます。

「じゃんぼこっこ」の話しありがとうございます。

>「良心的」PTAの役員さんなら、気絶しかねない児童文学ですが、表面的に命を大切にしようと呼びかける「教育」よりも、ここに生きた命の教育を僕は発見し感動します。

生を無駄にしない。生きとし生けるものは、必ずや死が待っているということ。不条理、はかなさ、命の大切さなど、いろんな観点から学びがある絵本ですね。

そういう絵本が理解できる子どもが増えて欲しい。親もね!
21: ロバートさん、書き込みありがとうございます。

他文化共生の意味を理解させていくことかしら?

文化にも動物の命にも「高低」は無い。ただ、相手を理解できる許容力があるかどうか、逆にこちらが試されている問題だと思いました。

アイヌの方が素晴らしいトピを立てていらっしゃるので、ご紹介させて頂こうと思います。
poronupさんがトピに書かれています「イオマンテ(クマ送り)について」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=18541316&comm_id=73857

なんて素晴らしいトピだろうと感激しています。誇り高き勇者といったイメージです。良かったらご覧ください。

チョ〜カッコイイ!ハート達(複数ハート)
18: pierreさん

pierreさん、これには、同感です。
日本では、昔から鯨・イルカを食べることが文化でした。
それを野蛮だからとか、かわいそうだからという感情的理由により非難をされるのには、黙っておけません。

しかし、普段から私たちが何気なくマグロなど、魚を食べていることが、イルカ・鯨・マンタなどを殺しているという事実もあるそうです。(the End of the Line参照↓)
http://www.amazon.co.jp/End-Line-Charles-Clover/dp/0091897815/ref=sr_1_2/250-4139717-1661838?ie=UTF8&s=english-books&qid=1181791875&sr=1-2

マグロ漁船がしばしば誤って、イルカや鯨やマンタなどをとってしまうそうです。
海外のツナ缶に「dolphin free」と記載されてものがあるのものそのためです。


魚の消費量が世界一の国として、
もうちょっと、考えて魚を食べなくちゃいけないなと思わせる事実です。

そういう事実があるからこそ、
日本は捕鯨などに関して、
環境保護団体などから、火に油を注いでる感じで、
非難をあびているのかもしれません。

鯨・イルカだけでなく、
世界から魚が消えていってしまってます。
少しでも、状況を変えるためにも、
私たちの食生活を少し考えなくてはいけないと思うのですが、 どうでしょうか?
正直私の場合、最近は伝統文化そのものに冷ややかなんですよね…
それがアイヌの文化であろうと日本の文化であろうと同様です
だからイヨマンテはアイヌの伝統文化を守りたいと思う人が、
その継承者が守ればいいし、私は感情的反発があるので 苦笑
敢えてイオマンテを素晴らしいとは書けないし、書く気はありません
鯨も食べる気にはなれないです 食べたい人は食べればいいし…
それだけなんですよね

今回の動物愛護の人たちの問題は、そういう割り切りができない点だな、と

相手の文化や考え方が嫌いなら嫌いで近寄らなければいいし、
受け入れたくなければ受け入れなければそれで良いんです
また、アイヌの人が毎日イヨマンテをやってる訳じゃぁないのだし、
それだけをもってしてアイヌを侮辱するというのは愚の骨頂…
人間一人をみた時だって好ましい面と嫌な面っていうのがある訳で、
イヨマンテが嫌でも別の好ましい面が色々ある訳なんですよね
そもそも自分の目の前で熊送りが行われている訳じゃないのだから…
にも関わらず、過剰反応している様が薄気味悪いです
多文化共生という考え方をもっと広めてゆく必要があると思いました
そして、アイヌの側ももっと情報を広めてゆく必要がある、と
poronupさんという方が書かれた「イオマンテ(クマ送り)について
ここは非常に参考になりました

最も、文化に高低・優劣はありませんけど、好き嫌いがあって当然です
これは私たちもちゃんと認める必要があるような気がします
私は韓国の人は嫌いではありませんし、祖母の妹の旦那さんが韓国人で、
血の繋がっていない大叔父のところには今でも顔を出しています
でもやはり、韓国の犬を食べる文化については受け入れにくいし、ムリです
(牛や豚の肉は食えても、感情的に犬は食えません)
日本の三味線に猫の皮を使うことに対しても同じくらい受け入れられません
(沖縄の蛇皮線は大丈夫でも、やはり感情的にムリです)
アメリカのごり押し文化だとか白人優位主義が嫌いなのと同じです
これは人種や文化を差別しているんじゃなくて、ムリなものはムリなんですね
その民族や集団が抱えている文化の一つが嫌いだからといって、
=差別をしているとか、文化を尊重できない人間はナンセンスだ、とか
こういう主張に対して私は疑問を感じます
嫌なことに嫌悪感を感じて、NO!を言う権利は誰にでもある訳なのですが、
そこに“文化である”という肩書きがつくと、嫌悪さえも表明できない…
ここまで来てしまうと問題があると思うのです
文化と人権は両方とも尊重されるべきだと私は考えます

ちょっとここの書き込みをみていて、そこに問題を感じました
伝統文化は何が何でも守るべきで尊重する必要があるのか?と
だとしたら、ジェンダーにせよ天皇制にせよ尊重する必要っていうのが出てくる
また、途上国における割礼や女性器切除についても批判できなくなる
文化にアンチや疑問を唱えてはけしからん、と こうなってしまう
確かに犬猫、それに熊というのはあくまでも動物で人権はありません
しかし、彼らを思う人間には人権がある訳であって…
例えば殺し方や捕獲方法にショックを受ける可能性はある訳です
そこは忘れて欲しくないと思いました
今回の場合、熊に権利があるのではなくてショックを受けている人
その人たちの人権とアイヌの人たちの権利がぶつかっているんですよね
もしそこを忘れてしまえば私たちもまた、彼らと同じになってしまうでしょう
うんこさんが書いてる通り、こっちが試されているような気がします
わたしは、Risa bell さんに同意です。

相手の文化を攻撃することは、自らに跳ね返ってくる。
ただ住み分けをすればいいと思います。

私は、親・義親共になくなったらきっと関わらねばならない
仏教に関しても、絶対距離をおきたいと考えています。

自分的にはキリスト教(プロテスタント)の方が好きなので、
それをとりあえず認めてもらいたい(自分の生・死の部分では)と思う。
それには思想的な住み分けをはかるのが、一番いいかなと
思っています。

愛護の方には、今の社会環境全体を考えた上で、
真の愛護精神を発揮して欲しいと思います。

私は、爬虫類が好き(トカゲ・ヤモリ)ですが、戦争や劣化ウラン弾などで、無残に命が奪われている種や絶滅していく種が
たくさんいるんだろうと思うと、やはり日本がアメリカに手を貸している現実が許せないなあと思います。
私も伝統文化はどちらかというと、
肌にあわないほうだと思います。
よく、考え方や行動を昔を重んじる方々に批判されます。

しかし、私は、環境保全のため、貧困撲滅のため、今だからこそ伝統文化を大切にするべきだと思います。

たとえば、江戸前寿司。
本来なら、江戸前、すなわち、東京近海でとれた魚だけをあつかうはずが、今や日本全国のみならず、全世界から魚を乱獲しています。

貧しい国、たとえば、セネガルでは魚を世界に輸出しています。経済学の最初のクラスで習う程度の市場原理を知っていれば、セネガルの権力を持った方々が、セネガル近海で魚が豊富にとれるとわかれば、何をするかは容易に想像できます。
現地人にいるよりも、日本などに裕福な国々に魚を売ったほうが利益がでるのはあきらかです。
地元のほそぼそと漁をしていた漁師は、今までは、地元に売る分、家族に持ち帰る分だけを取っていたのに対し、世界に輸出する魚をとらなければいけなくなってきます。
地元の漁師がとらなくても、セネガル籍をとった船をもつ海外の水産業者が入ってきて、乱獲することはあきらかです。
その影響で、魚は減っていき、セネガルの地元においても値段は高騰し、魚が減ってきた影響で漁師も廃業せざるえない状況が多発しています。

そもそも、なぜ、日本でたべる魚が日本近海からとらなくなったのか。というよりも、とれなくなったのか。
それは、海に面していない山奥の温泉地などの旅館などにいけばわかることです。
なぜ、海まで何時間もかかる場所なのに、
「新鮮な」刺身がたべれるのか。
山の幸や川の幸を求めていったのに。
それは、昔までは、京都などでも、一部の貴族、武士たちしかたべれなかった海の幸を、今では、技術が進歩し、国民皆が裕福になった結果でしょう。
裕福になれば、欲もでる。
そういったことで、日本の近海で魚がとれなくなり、海外の貧しい国が金にものをいわせて、買い占めて、現地の人々を苦しめていることになってしまっています。

話は戻って、伝統文化ですが、
昔までは、海沿いにある漁港にいかなくては、
新鮮な魚はたべれませんでした。
しかし、今は、東京にいようが、岐阜にいようが、新鮮な、そして、公害により汚染されていない魚がたべれます。

そうなったら、
海沿いの町に新鮮な魚を求めて、
旅行にいくこともなくなるでしょう。
そしたら、その町は、経済的利益が得られなくなり、
過疎化が進むでしょう。
それに、近海で魚をとれなくなったその町には、
仕事がなくなり、過疎化がさらにすすむでしょう。

どんなことでも、それは同じです。
どんなところにいても、いろんなところの料理・文化を楽しめることは便利でいいことですし、
○○名物などを売りに出せば、その町の知名度もあがり、
地域活性化につながるかもしれません。

しかし、それと同時に、どこにいても、
その料理・文化が楽しめるのだから、
その地域・地方にわざわざ足を運ぶ人もへってくるかもしれない。(逆に、せっかくだから、本場を味わいたいと人もいるが。)
そうなってきたら、過疎化が進み、伝統どころじゃなくなってきてしまう。
たとえば、本来なら京料理が本場がのこっていないため京風料理になってしまう。

ラーメンもしかりです。
熊本ラーメン、北海道ラーメンなど、いろんな地域のラーメンがありますが、東京など、都市部にいれば、どの地域のラーメンもたべれるため、よっぽど、ラーメンバカでなければ、本場を味わいに現地に食べに行く人もいないでしょう。

確かに、都市部を中心にさまざまな地方の伝統は守られていくかもしれないが、所詮は、本場ではありません。

話は、さらに戻って、魚に。
ぶりを食べたかったら、日本海沿いに、
マグロを食べたかったら、青森の一本釣りのマグロを食べに、
うなぎをたべたかったら、生息している川沿いに、
くじら・イルカを食べたかったら、和歌山に、
そんな日本があってもいいのではないかと思います。

欲のために、世界の海から乱獲を繰り返し、
養殖をして、海を汚染するよりも、
めったに食べれないけれども(めったにたべれないからこそ)、幸せだと思います。

ちょっと、話がずれたりして、
まとまってないけれども、
それが僕の考えです。
今回問題になっている動物愛護の方は価値観の住み分けができておらず、
多文化共生についてまったく理解がない点が大きな問題…
また少数民族の自治権だとか迫害問題に詳しい人は詳しい人で、
文化を尊重できない人間は無知である、と 高飛車に感じるのです

本当に文化に優劣や高低がないのであれば、アイヌの文化も、
動物愛護という現代文化も対等であるはずなんですね

しかしこの場では対等であるはずの文化になぜか優劣がついていて、
アイヌのイヨマンテの方が大事である、と 優劣ができあがっている
これは問題となっている動物愛護の人たちが自分たちの価値観、
かわいがって育てた熊を殺すのは可愛そうだからやめろ!って具合に、
自らの価値観を絶対視して騒いでいるのと同じに見えるんですね
少数民族の文化を守るのは当たり前なんだからお前たちは阿呆だ!と

これではお互いにお互いのことをけなしているだけで、進歩はないと思うんです

今後は、当事者のアイヌの方々が自分たちの文化を広く知ってもらう為に、
ネットも含めて情報をもっと広げてゆく必要があるでしょう
動物愛護の人たちも、もっと視野を広げて色々な情報に目を向けるべきでしょう
また、政治的にリベラルスタンスである私たちにできることというのは、
他者を尊重するという多文化共生社会という考え方、それに人権思想…
この2つを多くの人に広めるしかないと思います

しかし、それを主張するべき私たちが自らの価値観に囚われてしまって、
動物愛護の人たちの考え方(文化)を馬鹿にして蔑んでしまっている
これって彼らの文化を否定してしまっている訳で、人権無視なんですね
文化に優劣はないと言いつつも、彼らの価値観や文化を下に見ている
現代的なペット文化やそれに伴う感情を認めていない訳ですからね
この姿勢というのは多文化共生にも人権保護にもなっていないと考えます
人類は、一度、歩きはじめると、
容赦なく、徹底的に突き進む傾向がある。

だから、サルから人間に進化できたのかもしれないけど、
ホント共存することを学ばない。

なんでも、食べてもいいけれど、
限度をわきまえなくては、
批判されるのは、あたりまえ。

飽食になった俺らのツケは、
誰が払うのかっていったら、
やっぱり、自分たちのこどもたちになっちゃう。

自分の子供たちにも、
おれらが味わったものなどを食べて、
幸せを分かち合ってほしい。

だからこそ、
今、おれらに必要なのは、我慢。

おれ、今まで、魚やら、鯨やら、サメやら、何やら、
いっぱい食べてきた。

だから、もういい。

あとは、次に残る世代に取っておきたい。

あ〜、上のコメント、ちょっと、猫かぶりすぎて、
つかれちゃったので、
いつものおれに戻っちゃいました。
すいません。

大バカなんで、許してください。
ちょっと、みなさん、ローマ法王が中絶を巡り、アムネスティに寄付をしないようおふれを出しています。この件に関して、みなさん、ご意見をお願いします。


アムネスティコミュ「中絶論争」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19580662&comm_id=141804
大バカちゃん、マジメにいろいろ書き込んでくれてありがとう。

地球の課題として環境保全が叫ばれていますが、一時期バブル最盛の頃、いろんな外国産のペットが持ち込まれ、日本の生態系を壊していると報告されておりましたが、それ以外にも輸入品から外国に生息するものがくっついて運ばれ、日本の海で増殖して排水溝を詰まらせているというタニシのような貝の話しをテレビで最近見ました。

乱獲も自然を破壊しますし、生態系を狂わせるグローバリゼーションの影響をどこでどうくい止めるか?21世紀の課題だと思います。大バカちゃんは、地産・地消の話しもかみ砕いてやってくれていますね。資本主義経済の負の部分が今問い直されているんじゃないでしょうか?”持続可能な”というキーワードを考えていきたいですね。

あと、プアワーキングの問題も実は、このグローバリゼーションの影響があると思います。格差社会はこれが原因だと思います。

資本主義経済とは合理化・効率化を最も優先しますよね。その行く末は、安い労働力に流れ、貧困が固定化する。一部の富裕層とその他大勢の貧困層に分かれていくんじゃないでしょうか?



リサちゃん、何度もコメントありがとうございます。

>伝統文化は何が何でも守るべきで尊重する必要があるのか?と

伝統文化を継承する・しないの決定権はアイヌ先住民にあると思います。他者がその文化の継承云々を口にするものではないんじゃないかと思うのです。

>しかし、それを主張するべき私たちが自らの価値観に囚われてしまって、動物愛護の人たちの考え方(文化)を馬鹿にして蔑んでしまっている

動物愛護は個人の趣味にも思えるのよね。動物を嫌いな人もいるし、それを同列にアイヌの文化と比べるのはどうなんだろうかと・・・

>これって彼らの文化を否定してしまっている訳で、人権無視なんですね 文化に優劣はないと言いつつも、彼らの価値観や文化を下に見ている現代的なペット文化やそれに伴う感情を認めていない訳ですからね この姿勢というのは多文化共生にも人権保護にもなっていないと考えます

アイヌの先住民の人がペットを飼う文化を否定しているとは思えません。ペットではなく、カムイ(神)として神聖なるものとしてペット以上に崇めている、いわばシャーマニズムのような類だと思います。白戸三平の「カムイ伝」のマンガもこの名がついていました。(歳がばれちゃうけど・・このマンガは有名です)

リサちゃんのいわんとすることは理解できます。ただ、その文化の継承の決定権はアイヌ民族にあると思います。

動物愛護もわかりますが、一歩大きなビジョンで考えれば、食糧危機に見舞われる可能性がある今の時代、乱獲もそうですが、ペットブームというのも格差社会の表れです。貧困層の一日の食事代よりもペットの食事代のほうが上回るということにも目を向けて欲しいです。ペットの治療費を払える人が、世界の貧困に加担しているということもあるのです。

日本のペットブームの陰で、ペットフードよりも低賃金で働いている人がいる。こういうこともちょっとだけ考えていきたいかなぁと・・・

ホント、難しいです。共生とは自分の行いを直視することだと思います。100人村ではありませんが・・
リサちゃん、大バカちゃん、自然の権利と人間の権利とぶつかるものがあると思います。いろいろ考えさせられますね。

●自然の権利
http://homepage3.nifty.com/sizennokenri/
「ローマ法王が中絶を巡り、アムネスティに寄付をしないようおふれを出しています。」

あのバカ野郎がそんなおふれを出しているのか。
新興宗教をいかがわしい目で見る人は多いが、老舗の宗教も結局保守的立場から、文化や科学の発展を遅らせる。

ま、しかし、相手にされるアムネスティさんもさすがだ。
私なんか一夫一婦制に疑問をなげかけ、同性の結婚は主張し、その他いろいろキリスト教の気持ちを逆なでするようなことを言っているのに、何も相手にされない。
文藝春秋7月号「塩野七生」の「日本人への10の質問」に私が答えた日記です。自薦です。
かなり先進的な部分もありますが、ご一読、ご批判いただければ幸いです。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=469661996&owner_id=1123025
ロバートさん、おもしろい日記ですね。

なぜ日本人への10の質問なのか?これって在日外国人を無視している質問だと塩野七生氏に問いかけたい。

タイトルが排他的ですよね。なんちゃって、変なところにツッコミを入れてしまいました。m(_ _)m

皆さんも、ロバートさんの日記読んで見ませんか?おもしろいです。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=10375803

本人自身が書いてるかは、
不明だけど、
今回、9条ネットから立候補している天木直人氏の日記。

当選したときに、日記にかかれていることなどに力を注ぐことができるか、楽しみです。
天木直人氏:プロフィールに、参議院選挙比例区にて立候補致しますと書いてますが、何党なんでしょう。それから資金応援の銀行口座とか書いて良いのでしたっけ?
こういう、インダイダーの情報こそが知りたいところですよね。
大バカさん、ご紹介ありがとうございました。
ロバートさんの疑問って、ちょっとわたしも思うよ。

選挙にはお金がかかると思うけど、個人名の銀行口座って誤解受けますよね。公的な資金をカンパでもらうにせよ、天木直人選挙事務所の公的な銀行を作るべきです。そこに集まったお金の収支決算をして当選した後、落選した後に公開するといいのにと思いました。

どこの政党から出るというのは、別段いらないでしょう。無党派層を取り込みたいという作戦もありですから。

>当選したときに、日記にかかれていることなどに力を注ぐことができるか、楽しみです

おいらも大バカちゃんと同じく。マニフェストをやり遂げて欲しいっす。
「戦争反対!」コミュで、このトピにすごく考えられさせられています。みなさん、せっちゃんさんの書かれている若者にどう説得できますか?

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=19726553&comm_id=14723
「戦争反対!」コミュで論じられている、この若者の言葉はとても厳しい現実を突きつけていると思います。20代の若者であっても、時間単位で雇用され、フリーターという不安定雇用が生み出す希望の無い世界、未来。

そして、グローバリゼーションとはこのような格差社会にはじかれた若者を戦争に向かわせ(自暴自棄にさせ自害か他害かといった狭い選択肢になる)、右傾化に拍車をかけているのかと案じています。
________________________________________________________
彼は、深夜コンビニで働く自分の境遇がいかに辛いものかを訴え、「31歳フリーター 希望は、戦争」と語る。その意味は、今は不平等であるところの、「不利益」の分配をするために、要するに日本国民皆に苦しんで貰うために、「戦争」を求めるということだ。彼は、戦死は国家によって名誉を与えられる死なのに対し、フリーターである自分が死んでもその死には意味や価値が与えられないと語っている。
そのような若者がかわいそう。
きっと、まわりからあまり褒めてもらったことのない人生だったんだろうな〜。だから、自分の名が靖国神社刻まれるくらいに誉めて欲しいんだね。名誉なんだね、ソレガ。

もっと自分に自信持ってもらいたい。

そう思います。

俺の場合、ほめられると、小泉みたいにすぐ調子にのっちゃうから。。。

もっと、ちゃんと書きたいけど、携帯からなんですいません。
46: 大バカちゃん、レスありがとう。

>そのような若者がかわいそう。
>きっと、まわりからあまり褒めてもらったことのない人生だったんだろうな〜。だから、自分の名が靖国神社刻まれるくらいに誉めて欲しいんだね。名誉なんだね、ソレガ。

なんとなくわかる。自分に自信を持てない。本来、機械のパーツとなって働く若者を雇っている企業や資本主義経済にその怒りの矛先を向けるべきなのに・・・

>もっと自分に自信持ってもらいたい

そうよね!自信を無くさせている「主体」の本質を見抜いて欲しい。貴方が悪くないんだ、悪いのはそのような若者を追い込む社会だと。その社会を一緒に変えようといいたい。

>俺の場合、ほめられると、小泉みたいにすぐ調子にのっちゃうから。。。

アハハ。単純なところって可愛いい。
みんな褒めるところはいっぱいあると思う。そして、長所は短所にもなり、短所が長所にもなりうるという柔軟な思考や価値観で溢れている社会が住み良い社会だと思う。

企業にしてもコンビニにしても、没個性を求められ、個性を排除するからね。だからこそ、プライベートでは思いっきり個性を出した生き方をして欲しいと思うけど。


思うんですが、日本って、セーフティネットの確立がまだまだ不十分。

アメリカ遊学して、思ったのは、大学に30をこえたおばさま?おじさまがた多い。

何か、私たちの人生これからだーっていう活力を感じた。
と、いってもアメリカ型経済、社会を真似しろってわけでもない。
あの国も足りないところは山ほど。

ただ30そこそこで、人生をあきらめさせる日本の社会に不満をおぼえる。
今の日本の大企業って、世界に誇れるのだろうか?

自分の従業員たちの生活を満足に成り立たすこともできずに。


コストカットにより、おおきくなった会社が偉そうに。


ものづくり、アイデアをもとにしたブランド確立に力を注いで欲しいと思います。
そう、ここが重要な指摘だと思う。

>コストカットにより、おおきくなった会社が偉そうに

毎年3万人の命を「犠牲にさせた」黒字転用だし、派遣社員やパートで合理化をはかった結果の経済成長なんて、ホンモノの経済成長とはいえないよね。

みなさん、九間氏が「原爆投下は仕方なかった発言」で辞任に追い込まれましたが、ゴジラ@北京さんの日記にそれに付随した天皇の発言及び、その考察がなされております。

非常に興味深い日記を書かれております。良かったらご覧ください。なお、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」上下巻にて、GHQは天皇制を利用し、日本に民主主義を広めたというおもしろい考察がなされております。かつての天皇を頂点とした天皇制支配を解くために「象徴天皇」としてお飾りにしたのですよね。コメントを寄せられている方が「国体維持」の為に天皇があるという意見、同感です。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=493476498&owner_id=7480169
>うんこさん

ゴジラ@北京です。

日記紹介してくださっていたんですね。
気がつきませんでした。ありがとうございます。
この日の日記はかなり反響がありましたね。
いろいろなところにリンクをはることになるのですが、同意してくれる人と批判する人に当然ながら分かれました。

「天皇を責める人は他人事として責めている」というような人もいました。しかしむしろ一億総懺悔のような意識が、責任の所在をあいまいにしてきたと思います。
「他人事として」せめているわけではないんですね。

ここで提起されている人々のこころに届く言葉をつむぐことが必要だというのは重要な問題ですね。
私もどちらかといえば難しい言葉をこねくりまわしているほうの人間ですけど、専門の論文をかいているぶんにはそれでいいかもしれないけど、状況はそれだけですむような甘い状況ではないなとかんじますね。

徐京植氏は「実は私は日ごろから「戦後思想」や「戦後啓蒙」の内容や質を検討するとき知識人や純文学の世界だけでなく大衆文学や娯楽映画なども詳しく見ていく必要がある。むしろそちらに現状を理解する鍵が隠されているかもしれないと思っているのです。 これは今後の課題になりますが。」 とのべています。

小林よしのりや嫌韓流の漫画が、人々のこころに浸透しているときこういう意識でもうひとつの回路を開いていく必要があるようにかんじています。わたしがゴジラなどにこだわっているのもまあそういうことですね。


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