三十分作成小説(ベジタブル編)コミュの銀メダル

本日をもって、

長年勤めた会社を退職することになった。

社長からは「お疲れ様です」の一言に加え、

少し色のついた退職金をいただいた。

これをコツコツと貯めた貯金と合わせれば、

例え年金生活となっても

余生を楽しむには十分すぎる程だ。

私は社長や部下達に深々と一礼し、

温かい拍手の中、会社を去った。

新しい生活はなかなか退屈だった。

生活から仕事がなくなると、

本当にやることがない。

夫婦二人で子供はなく、

仕事、仕事でこれといった趣味もなかった。

一日が長い。

このままではボケてしまうのが早くなりそうだ。

昼食後、ぼんやりテレビを眺めていると、

妻が話しかけてきた。

「お父さん、退屈そうですね」

私は曖昧に頷いた。

昼のテレビがこんなに退屈だとは知らなかった。

そんな私の姿を見つめながら、

妻は笑顔で私に言った。

「それじゃあ、二人で何か運動でも始めませんか？私も運動不足ですし、あなたと何かしてみたいです」

最初はどこか他人事のように聞いていたが、

少しずつ、

名案だなと思い始めた。

私は賛成し、

妻と話し合い、

簡単に出来そうなジョギングを始めることにした。

少し恥ずかしがりやな私達は、

人目の少ない早朝に走ることにした

最近は黙っていても朝早く目が覚めるため、

朝早く起きること自体は苦ではなかった。

まずは心臓に負担をかけないように

近所を軽くウォーキングをし、

調子が良ければ少しだけ走る感じだ。

春は曙とはよく言ったものだ。

少し肌寒い春の空気をきって体を動かすことに、

何とも言えない心地よさを感じた。

「おはようございます」

後ろから元気よく声をかけられ振り向いた。

見ると私達よりも先輩のご夫婦が、

颯爽と風をきって通り過ぎていった。

大袈裟な表現だが、

まるで春風のようだった。

それくらい若々しい走りだった。

「お元気ねぇ」

妻は感心したように言った。

それからも朝の運動中、

先輩ご夫婦とよくすれ違った。

先輩達はいつも元気だった。

走り自体もそうだが、

格好も若々しく

そしてバリエーションが豊かだった。

何度も会う内に、

私や妻のジャージとスニーカーの姿が

何となく恥ずかしく思えてきた。

朝食を食べ終えて少しのんびりしてから、

私達はランニング用品を買いに行くことにした。

あの先輩方は私達の理想の姿だ。

走りを真似するのは難しいが、

格好を真似することはすぐにできる。

形だけでもいいから

理想の姿に少しでも近づきたかった。

近所のスポーツ店に行き、

ランニングコーナーを見た。

私達の古ぼけたジャージとは違い、

ウェアは色もデザインも豊富で格好良かった。

せっかくだからと思い、

私は黄色と黒でデザインされた

少し派手なウェアを選んだ。

手にとった瞬間、

妻が「派手ですね」と言って笑った。

そう言いながら、

妻も白とピンクの派手なウェアを選んだので、

私は思わず笑ってしまった。

スポーツ店で品物を見ているうちに

私達は次第に気持ちが盛り上がり、

どうせなら少し本格的にやろうかと、

お揃いで立派な靴も買った。

次の日の朝、

買ったばかりの

ウェアとシューズを身につけると、

心なしか、いつもより気合いが入った。

歩くのよりも少し早い程度に走りながら、

私は妻に言った。

「今度、マラソン大会に出てみようか？」

「気の早い話ですねぇ」

そう言いながら笑う妻の表情は、

少しも嫌がってなかった。