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鍋党〜再分配を重視する市民の会コミュの新自由主義に反対! デフレの今こそ富の再分配重視の社会を

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 先日、ユニクロの会長が「世界中が年収1億円と年収100万円の二極化する」という旨の発言をしたが、これは非常に的を射ている。
 そうなると絶対に犯罪率が上がるので(経済格差の拡大と犯罪率の増加は統計学的に証明されている)、絶対にそんな世界にしてはいけないのだが、実際に世界はそういう方向へ向かって動いているというのは事実なのだ。

 それには、大きく分けて2つの原因があり、それらの相乗効果により、格差、貧富の二極化が進んでいる。

 二つの原因とは、グローバル企業に都合の良い税制 と、金融の自由化によるマネーゲームの増大 である。

 この2つのせいで、世界は着々とユニクロ会長の予言する世界に向かって進んでいるのだが、一応理論上は、その処方箋も存在する。それは後述するとして、まずはその2つの現象で世界に何が起っているか、順を追って説明しよう。

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 まず、1990年頃から世界は貿易を拡大し始めた。共産主義国が次々と倒れ、WTOの創設なんかもあり、90年代からどんどん貿易が盛んになったのだ。

 1985年の世界の総貿易額は1・9兆ドル、2011年のそれは約18兆ドル、四半世紀で10倍に膨れ上がっている。

 そこで、アメリカなんかがWTOを擁立して「なぁなぁ! 関税っての貿易に邪魔だから減らしていこうぜ!!」 と言い出した。 各国は、割と素直にそれに従っている。 最近流行りのFTAだとかでは、基本的に関税ゼロ、なんていうありさまである。

 関税というのは税金であるから(あるいは、調整次第で自国の弱点を守るバリアーにもなる)、これは折角の税収を減らす行為だ。

 関税は弱点のバリアーとしても、税収としても重要で、例えば、日露戦争の際に高橋是清が国債の買い手を探していた時「ちゃんと金は返ってくるのか?」との質問に対し高橋は、「はい。関税収入によって返せます」と答えた。このエピソードからも分かるように、関税は税収としても割りと重要である。

 では何故各国政府は、関税というものを廃れさせていったのか? それは恐らく、グローバル企業、日本で言えば経団連のような財界による政治献金が原因だ。 与党は政治献金してくれる財界に頭が上がらないので、彼らが「関税の撤廃か、いいねそれ!!」と言ったら、それに従ってきたのである。


 更に、世界に金融の自由化というのが起った。 為替取引や株の売り買いに国境がなくなったのである。
 1989年の為替取引は「1日総額0・6兆ドル」、2010年のそれは4兆ドルだ。
 ドイツの年間GDPが3・6兆ドルだから、ドイツ1年分の経済活動分よりも多額のマネーが毎日為替市場で飛び交い、そして株の売買が行われている。金融の自由化によりそんな世界になったのだ。

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 さてまず、関税が廃れてきた事により、輸出入がし易くなった。ここで、日本や中国の第二次産業、 アメリカやブラジルの第一次産業が輸出を伸ばした。 日中は第二次産業が強く、アメリカブラジルは第一次産業が強かった訳だ。

 これは逆に言えば、日中の第一次産業は衰退し、アメリカブラジルの第二次産業も衰退した。 という事は、どの国も、それぞれ産業が偏ってきはじめる。 必然的に得意分野ばかりが伸び、「世界分業体制」が始まったのである。

 そこで、産業が偏ってしまえば、国家の経済がその産業に依存してくるという事がお分かり頂けるだろうか? 日本の場合、経団連への依存度が増す、と考えられるだろう。

 すると経団連はこう言い出す訳だ。「日本の経済は俺達にかかってるんだ、だから俺達が動きやすいようにしてくれ!!」。

 という訳で、今度は『法人税が下がる』。法人税の負担が減った分、企業は設備投資をしたり、株の配当金を上げたりする、それにより経団連は株価が上がるのである。株が上がれば更に企業の規模を拡大する訳だ。

 見方を変えれば、これを日中アメリカブラジルの例に当てはめると、日本の第二次産業界、中国の第二次産業界、アメリカ第一次産業界、ブラジル第一次産業界の四大勢力が連携して、各国の中小企業を潰しているという構図になる。 すると国力が一部に凝縮され効率が良くなるので、「GDPは増える」。

 ところが、関税も法人税も緩和してしまったので、GDPの割に税収が少ないぞ という問題が起ってくる。 政府や国民がその事に気付き始めると、次に経団連はこう言うのだ

「ならば、消費税を増税しよう」と。

 これまた経団連は政治献金をしているので、案外すんなりと通ってしまう。国民が強固に反対すればなんとか防げるかも知れないが、消費税増税以外に財政再建の方法が無いと勘違いしている国民も多いので彼らが足を引っ張る。

 実は消費税増税が政府財政の健全化に繋がるというのは財界の嘘だ。何故なら、消費税増税は国民の消費意欲を削いでしまうので、内需が鈍り、内需向け中小企業が更に苦しくなり経済悪化、本末転倒な感じで税収は却って悪化する。
 実例として、1997年に法人税と所得税の減税消費税の増税を行った結果、それら3種の税収は差し引き1兆円減った。 消費意欲と一番強い関係にあ
るのが消費税だという事がこの実例から明らかだ。
 アメリカでも、「裕福層の優遇は税収減に繋がった」。

 更に、輸出に関しては消費税がかからない。だから消費税増税により内需向け企業は打撃を受けるが、経団連のような輸出企業の連中はほとんど影響を受けないのだ。  そう、消費増税が財政健全化、というのは経団連の嘘であり、本音は「消費税なら俺達経団連には関係ないぜwww」という事なのである。

 そうして、国家が衰退する一方で、法人税を下げてもらった経団連は成長する。

 ここで、一つ疑問を持たれるかも知れない。経団連の輸出が伸びたら、その分国民所得に還元されて、結局また経済は良くなるんじゃないのか? って。

 ところがそうは問屋が卸さない。経団連は儲けると、労働者の賃金を上げずに「配当金を増やし更に株を買ってもらう」事でまた株価を上げる。
 ここで思い出してもらいたいのが、「1989年の為替取引は1日総額0・6兆ドル、2010年のそれは4兆ドル」という話だ。 金融の自由化によって世界的に 投資家が増えているので、配当金を上げる事ができればドンドン株が買われて自社株価が上がる。 そうして規模を拡大したグローバル企業が、優位に立って寡占状態を築き始めるのである。
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 さて証拠画像も見て頂き、グローバル企業は設けても労働者の賃金を上げずに配当金を上げているという事はご理解頂けただろう。しかし、配当金だって立派な所得じゃないのか? と疑問に思う方も居るかも知れない。

 そこで、株主は誰かという事に注目してみよう。外国による日本の株式保有率は、1990年の段階では6%だが、金融の自由化が進んだ今、2013年のそれは26・3%なのである。
 という事は、経団連が儲けて株の配当金を上げても、そのお金の4分の1は外国へ流れていっている、と考えられる。 これが、画像を見ての通り経団連が儲かっても国民所得が比例して上がっていない原因だ。


 お分かり頂けたであろうか。 経団連は本来国家の財政に必要な 法人税や関税や所得税を、庶民の税金である消費税に肩代わりさせてしまった。 そうして税負担の軽くなった経団連は成長して投資家と結びついた。

 この、経団連+投資家 というような「財界」というものが政府に圧力をかけ、労働に関する規制を緩和して、社畜社会を築く。

 庶民は重い消費税負担と低賃金で働く一方、経団連に代表される肥大化したグローバル企業らと投資家達は更に利益を膨らませていく。

 日本の場合は竹中改革による労働規制緩和だが、外国の場合は環境規制緩和などで環境破壊が進んだりもする。

 そう、「自由貿易が経済連携」と言われているが、その正体は、財界の連携によって世界中が搾取する側とされる側という世界にされる事なのだ。




 つまり、ユニクロ会長が言ったように、年収1億円の資本家と年収100万円の庶民 という世界になっていくのである。



 更に、金融の自由化による弊害をもう1例紹介して起きたい。

 1つは、生活必需品の高騰 である。これまた庶民を苦しめるものだ。

 生活必需品というのは需要が安定している訳であるから、投資マネーが集まりやすい。 1つのメジャーに投資が集まればその会社だけがでかくなり、ライバルを駆逐して寡占市場を築いてしまう。 寡占になれば価格は高騰するのだ。
 実例で言うと、小麦、トウモロコシという穀物はここ201年から2012年で平均価格が3倍に高騰している。トウモロコシは1トン約100ドル→333ドル、小麦は1トン127ドル→約300ドル

 これらの穀物はアメリカの カーギル ADM ブンケ という三大穀物メジャーが寡占状態を築きつつあり、なんとカーギルだけで世界の穀物市場4割のシェアを誇っており、 配当金を上げる為にわざと穀物の価格を吊り上げているのではと疑われている。


 今後、世界で餓死者が増えるぞ。




 さあとんでもない事が分かったところで、じゃあ逆に、どうすれば公平な世界が作れるの? という事を考えてみよう。

 まず、最初の方で「世界分業体制」という言葉を使ったのをお覚えだろうか? 世界分業体制とは、1国1国がモノカルチャー経済に近付くと考えられるだろう。
 そうなってくるとユニクロの世界になるので、まずは世界分業体制が間違いであると言える。 それぞれの国が尖る事なく多角な産業を持ち、なるべく地産地消に近い経済が理想的だと考えられる。
 地産地消の方が税収の効率が良くなるというのは、説明が必要ならこちらの日記を参照して頂きたい。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1895722008&owner_id=4314045


 さて、産業の多様性を保つ為には、やはり関税により必要に応じてバリアーを張る事が肝要だ。 これを経済用語では保護貿易と言う。

 そして、保護貿易を実施する以上は内需で経済を回していく覚悟が必要だ。(因みに、外貨の獲得は外国債を買ってその利回りで得る事が出来るよ!)

 そして、内需で経済を回すには、出来るだけ格差の少ない菱形国家が望ましい。 かつての日本がそうであったようにだ。総中流国家と言った方が分かりやすいかも知れない。

 菱形国家の方がやはりGDPや税収が増えるのだが、その理屈について説明が必要ならこちらの日記を参照頂きたい。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1889500837&owner_id=4314045

 ↑の日記を読めば分かると思うが、つまり「富の再分配」により中流層が厚くなるのが理想的な経済だ。

 即ち、法人税や所得税によって大企業や裕福層から豊満な税収を得て、それにより「教育の無償化」や「医療の無償化」なんかを行う。すると庶民や子供を産んだ家庭の負担が減る。これにより出生率の増加や、生活費の負担が減った分お金が消費へ回るので、法人税が厳しくても企業にもリターンがある。

 この構造なら、デフレの時には消費減税を、インフレの時には消費増税をする事で消費もコントロールしやすく企業の助けとなる。


 更に経済のバランスを保つ為に、 「配当金規制」「保証協会の立ち上げ」「シニア失業者優先雇用」「大規模店舗法」、この4つが必要で、できればそれにプラス「終身雇用制度」もあると望ましい。

 これらの主張には「歴史的根拠」があるのだが、それについては後述するとして、まずこれらの法について説明していこう。


 配当金規制は名前のまんま。配当金を高くし過ぎないように! と睨みを利かせる法律である。 これは「金融の自由化に逆らう事」であり当然株価は上がりにくくなり、企業が急激に成長する事は難しくなる。 だが配当金が少ない分、労働者への賃金を高くしろ、という法律でもある。 国民所得が高ければ、企業の売り上げも高くなるので、理不尽に企業の成長を止めてしまう訳ではない。


 次に、保証協会であるが、これは要は配当金を規制する事で急激に株価を上げられない代わりに、どうしてもまとまったお金が急遽必要な企業を支援する組織である。 例えば中小企業なんかは、不景気になると貸し渋りにあって資金繰りに困る事があるが、その対策という事だ。

 また、インフレ時には銀行は強引な貸付を行う事があり、それがバブルとバブル崩壊による国家衰退を招く事がある。 日本のバブルがまさにその例で、1987年頃からインフレに苦しんだ民間銀行が暴力団と結託して強引な貸付を行うようになり、それがエスカレートしてハイパーインフレになりそうなのを見かねた大蔵省が総量規制を行うと、バブルが弾けた…。
 この事から、銀行のような組織は、なるべく公的な機関が担うべきだと思う。


 次に労働者であるが、実は高齢失業者を優先的に雇用するよう法規定するのが望ましい。
 「若者に仕事を!」と言われる世の中で、これはおかしな話と思われるかも知れない。だが、よく考えてみてほしい、

 経済というのは、将来が不安であるほど貯蓄傾向が高まり、将来が安心なほど消費が増える。後者の方がGDPは伸びる。
 だから、中年の失業率が低い方が消費は伸び、消費が伸びればまた雇用枠が増えて結局若者の仕事先が出来る。また、中年が失業した場合、子供がまだ学生であれば、一家が路頭に迷うという事になったり、子供がアルバイト漬けになったりする。
 一方、20代の息子が失業したとしよう。でも中年、つまり父親の職が安定しているのなら、しばらくの間養ってもらいつつ資格の取得や職業訓練に励み、スキルを身につければ再就職できる可能性がある。 そう、中年の職が安定していれば、若者チャンスにも恵まれるのだ。 これが逆だとそうはいかない。

 さてそろそろ「ただの理想論だ、机上の空論だ」と思われているかも知れないが、「歴史的根拠」を後述するので、もう少しお付き合い頂きたい。


 大規模店舗法は、日本にも最近まであった。 過当競争(=デフレ)にならないように、競争力の強すぎる大店舗は出店時に政府への申請を義務付けられる。申請があると政府はその地域の消費活動を調査し、その地域に申請のあった大店舗が進出すればその地域が供給過多(=デフレ)になると試算された場合、出展を不許可に出来るという法律だ。


 終身雇用制もまた、日本に馴染み深いものだ。 公務員も終身雇用化すれば、 天下り というものを無くせる。 天下りの弊害は何かと言うと癒着である。例えばドイツではこんな例があった。 ドナウ川の船会社が天下り先となっており政府と癒着、ドナウ川周辺へ鉄道網が敷かれないよう裏工作していたのである。 結果としてドナウ川の交通はその船会社の寡占状態となり、住民は高い運賃に悩まされた。


 さて、以上、経済健全化5つの処方箋を書いたが、歴史的根拠を提示する前に、これらには致命的な欠点があるという事を白状しなくてはならない。

 それは、こんな規制の強い国なんかじゃ、「大企業が外国へ逃げ出してしまう」という事である。

 大企業が逃げなくする方法は2つある。

 1つは、世界中がこれら経済健全化の処方箋を実施して、条件を同じにしてしまう事だ。そうすれば大企業の逃げ先がない。
 だが、それは現実的には到底不可能だと思われる。実現可能だとしても何十年、あるいは何百年も先の話だろう。(ただし、ブラジルやアルゼンチンはこれに近い状態となっているので、僅かに希望はある)


 ではもう1つは? それは、愛国教育である。

 大企業を運営しているのも要は国民である。であれば、彼らが国を愛していれば、規制の強い国だからと言って外国へ逃げるような真似はしない。
 規制が強いと大企業が外国へ逃げるというのは、「大企業が自分達の事しか考えておらず祖国がどうなっても知ったこっちゃない」と思っているから発生する現象だ。 では、そんな発想に至らないように、国民が愛国心を持つ国であれば良い。 その為には、学校である程度の愛国教育をする必要がある。


 結論としては、この処方箋+愛国教育  これが、国民皆が豊かに暮らせる経済への道である。 ではいよいよ、その実例、 歴史的根拠をお教えしよう・・・・・・


 あんまり言いたくないのですが・・・・・・



 実は上記の話、 ナチス の例なんです。


 えーっとですねぇー( ̄Д ̄;) ナチズム信望の精神異常者だと思われては困るので、まずナチスの欠陥について論じさせて頂きます。


 ナチスの欠点は大きく2つ。 差別主義 と、 行き過ぎた愛国教育 である。


 まず差別主義については、ユダヤ人迫害が浮かぶと思うが、それ以前の問題がある。

 これまでの説明から分かるように、ナチスとは富の再分配を重視した高幸福度社会だ。 しかし、「その利益を享受する対象はアーリア人に限定されていた」のである。

 日本で例えれば、高福祉社会を実現したのだが、アイヌ民族と琉球民族は本州の大和民族とは血が違うから政府サービス受けられないよ!! という感じだ。
 当然そんな事をしたら、北海道と沖縄にだけやたらと地域格差が生まれてしまう。 だから問題なのだ。


 次に、行き過ぎた愛国教育。 先に愛国教育が必要だとは述べたが、行き過ぎるとそれもまた問題なのだ。

 ヒトラーはどうしていたかと言うと、1933年に政権を取った途端、ナチス党員を見かけた者は「ハイルヒトラー」と言って敬礼する事、を法律として義務化した。

 これは実は催眠術で、教育なんてレベルを逸脱した、確信犯的な悪法である。 しょっちゅうハイルヒトラーと叫ぶ事で、国民はヒトラーを全面支持するよう暗示にかかったのだ。これは心理学的にも証明されている。

 結果として、ヒトラーが暴走し始めて領土侵犯を繰り返すようになっても、それに反対する国民はほとんど居なかった。 暗示によって民主主義が機能しなくなり、その結果侵略に歯止めが掛からずポーランドを攻めたところで第二次世界大戦が始まったのである。


 ナチスの欠陥は大きく分けると上記の2点である。 だが、こと経済に関してのみ言えば、地球の歴史上最も優れていたのではないだろうか。 驚異的な経済復興と少子化の改善が成ったのは事実なのだ。


 ナチズムと言えば聞こえが悪く、ヒトラーによる風評被害の為に到底世界に受け入れられないと思う。 だが・・・、ユニクロ会長の予言する未来を回避するには、改良型ナチズムしかないのではなかろうか・・・

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 日記からの転載です。

 TPPに反対! と言ったら、なら対案を! なんて言ってくる奴も居ますので・・・、新自由主義でもない、「共産主義でもない」、今こそ国家社会主義はいかがでしょー  と考えるトピです

コメント(4)

国家社会主義者様。

いま、「り・びじょん ―もうひとつの日本史」というのを準備しています。走り書きのようなものになると思うのですが、ある程度かたちになったらこちらに書き込みます。それにお目をお通しいただいたうえで、問題意識に接点があるようでしたらいくつか対話が可能かと思うのですがよろしくお願いします。
もう少し時間を下さい。
り・びじょん  もうひとつの日本史

1. 昭和天皇と天皇制原理主義

映画「黒い雨」で北村和夫が、「正義の戦争より腐った平和のほうがましだ」という場面がある。
平和というのは基本的に現在を続けるということだから、こんな平和が続くより戦争のほうがましだ、という国民が広範に存在することがありうる。今村昌平は医者の息子という特権階級に生まれ、兵役忌避のために上級の学校に入った。彼の心情はかつての地主階級の側にあり、地主の娘の嫁入りを心配して見せた、ということなのだろうか。その地主の娘が嫁入り道具をそろえる背後には、十俵のうち八俵を年貢にとられる貧困に沈む小作たちの、言葉に翻訳すればこの世界は維持するに値するかという暗い意識が、しかしこの世界についての知識を持たない彼らが決して言葉にしないまま意識の底に沈めてしまった、こんな世界は滅びるべきではないかという、世界に対する否定の意志があったはずだ。

小作制度の廃止、農地解放のためには地主の私的所有権を否定しなければならない。人権の一部を制限しなければならない。今なら、公共の福祉に反しない限り、と但し書きがつく部分だ。「自由」と「民主」は対立する。自由をそのまま放任すれば金持ち・大地主が一人勝ちする世界になる。古代ローマには護民官という制度があったがあれは元老院の貴族・大土地所有者による談合政治(自由主義)から平民を守るためのものでのちに帝政に発展する。平民にとっては中央に強大な権力者・デスポットがいて金持ち貴族大土地所有者から自分たちを保護してくれるほうが(民主主義)良いのだ。

治安維持法はその第一条で、國體ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス、としている。しかし、国体・天皇制と、私有財産制度・資本主義は無矛盾ではない。前者は王権神授説に基づく宗教国家であり、後者は近代・西欧的なブルジョアシステムである。圧倒的な西欧文明・資本主義の圧力にさらされた後発地域がそれに対抗するために古い土着の宗教・権威に拠るということは常にありうる。アラブ世界のイスラム原理主義のような一見復古的、反動的な思想の下に、ある種の社会主義が隠されていたりする。天皇制という、一君万民の共治といった牧歌をつきつめると資本主義を否定する根拠になりうるのではないか、という天皇制原理主義ともいえる思想は決して荒唐無稽な空論ではないと思われた。天皇機関説論争とか、国体明徴運動とかは日本は資本主義をとるのか、反資本主義をとるかという体制の選択をめぐる対立であったと思われる。ファシズムは失敗した社会主義の試みだ、と吉本隆明は数十年前に書いたが、農本ファシストと呼ばれる天皇制原理主義者は反資本主義・社会主義の側に立ち、そして昭和天皇自身は資本主義・ブルジョア民主主義の側に立った。昭和天皇にとって2.26の青年将校たちは偽装された共産主義であった。
イスラム原理主義やキリスト教社会主義では、預言者たちが「神の国」を語ればよかった。しかしあるべき天皇制国家をいくら唱えても、現人神が私はそんなことは言っていない、と言われてしまえばなすすべがない。天皇制ファシストたちはその壁を倒すことができなかった。しかし彼らは国民の経済的に貧しい部分、貧農・小作の恐怖政治を出現させるところまでは詰めて見せた。無謀な戦争で国を滅ぼした、と彼らに非難の声を上げる人たちは大日本帝国が滅びないほうがよかったと思っているのだろう。大日本帝国は滅びるべきであった。国民を豊かにしない国家を滅ぼしたのは彼らの功績であるはずだ。
   
私の父は農家の三男坊で畑をもらえず、職を求めて都市に流入した細民であり、わたしはその細民の子供だ。私の家にはおいしいものを食べるという文化がなかった。そもそもおいしいという概念を知らなかった。世界が変わっていなかったら私は今もアジアの貧困の底に沈んでいたはずだ。貧民たちは(ぼくらは)自分たちに貧困を強いる世界を何度でも壊すだろう。
り・びじょん2

近代日本は遅れてきた帝国主義であり、植民地主義のびりのランナーであると同時に、アジアの解放、民族独立運動の先頭ランナーでもあったとよく言われている。北一輝は日清戦争の後、日支同盟を結んで欧米列強の植民地主義と闘えと書いたがそれは美しいが未知の道であった。それに反して欧米のまねをしてアジアに植民地を獲得するのは既知の道であった。近代日本はその二つの道の間を最大限の振幅で揺れた。さらに昭和前期には、それに天皇制共産主義イデオロギーによる世界革命戦争という要素が加わった。天皇制共産主義イデオロギーは結局世界性を持たないと歴史の中で明らかになったが、北一輝の思想は後のGHQの改革を先取りするものであった。マルクスは、革命とは無から有を生み出すものではなく、すでに現在のうちにはらまれている未来の生みの苦しみを短くするのだと書いたが、その言い方を借りれば2.26クーデタで天皇制社会主義国家を成立させるという北一輝のビジョンが最も正解に近かったと思われる。それはまさに「あわやホームランと見まごうばかりの大ファウル」(花田清輝)であった。その企図の崩れた後日本は国家意思を形成できず、もはや国家の体をなしていないといわれる状態で戦争の中を転げまわった。高見順が、日本革命のエネルギーが中国大陸で暴発している、と書いたように。
 
労働と資本の二つの階級が戦うとき、常にどちらかが勝つとは限らない、共倒れということだってあるといったのはマルクスだったかレーニンだったか忘れた。日本の民衆は革命に勝つことはできなかったが、地主と財閥を両脇に抱きかかえて世界戦争の火の中に飛び込んだ、民衆は生き残ったが地主と財閥は炎の中で焼け死に戦争を生き延びられなかった。310万という犠牲者の数はあまりに多いが彼らの死は無駄な犬死だったのではない。世界は確実に変わったのだ。あの戦争には意味があった。古い世界が滅びた。その恩恵を最も受けているのが私たちだ。
 
 昭和前期軍人たちが、近時国民の栄養状態が劣化している、軍の主力をなす農民の子弟の体格が落ちては強い軍隊は作れない、労働者が腹を減らしていては優秀な武器が作れないと、農民の年貢軽減、労働賃金の上昇を要求したが、これは労働分配率を上げろということだ。軍国主義の言葉で社会主義を語っているのだ。昭和の軍部とアメリカ占領軍の改革は同じ方向を向いていた。アメリカ占領軍のニューディラーたちにとって日本はあたかも満州国のようなもので、彼らはそこで社会主義の実験をした。そしてそれは本国以上に成功した…。

 今、あの戦後の高度成長期、人々が働けば働いただけ暮らしが豊かになっていったあの時代を、単なる一過性のエピソードとして過去の歴史の中に封印しようと試みる人たちがいる。そうさせてはならない。日本型経営というのは生産手段の労働者所有ということであり世界史の最先端に立つ、ついに発見された社会主義的所有形態なのだと思われる。
 現在においてなお、階級としてのブルジョアジー=資本の所有者は支配者として復活していない。プロレタリア革命は終わってしまった、という吉本隆明の判断は今なお有効性を保っている。この世界には新しい支配者がいるのであり、そこではプロレタリア革命論はもはや有効性を持たない。僕らは永久革命の時代(マルクス)に生きているのだ。

ところで、戦争終結から講和の時期にかけて昭和天皇が「逆コース」の動きに深くかかわっていたことが豊下楢彦らの研究で明らかにされつつある。共産主義革命による皇統の断絶を怖れた昭和天皇は沖縄をアメリカに売り渡して、米軍の長期駐留を望んだのだという。米軍を国内に引き入れて天皇制を守ってもらおうとしたのだ。(そんなことをしたら日本はアメリカの植民地になってしまう。)ところでこのとき彼が怖れた「共産主義革命」は「ソ連の侵略」というより2.26クーデタとそれに期待を込めた貧しい日本国民そのものだ。当初の日米安保条約には「内乱条項」があって米軍は日本の内乱に介入できることになっていた。つまり昭和天皇はアメリカに日本国民を殺してくれと要請していたのだ。
明治維新のとき勝海舟も西郷隆盛も外国の軍事介入を断ったという。内戦に外国勢力を引き込んだら属国になってしまうというのは常識だ。アメリカを日本の宗主国として戴くのは昭和天皇に発するということだ。天皇制というのは万邦無比のわが国体などではなく、革命を逃れて外国に亡命した王様がその外国に祖国を征服してもらって国王に返り咲くというありふれた王家の一つにすぎないのだろう。
り・びじょん3

「「東京裁判」を読む」を読んでいたら不思議な文章に出会った。というより著者たちが不思議な、と言っている。

白鳥敏夫の憲法論――皇室のキリスト教化と戦争放棄

(前略)2月9日の公判で元駐イタリア大使、白鳥敏夫の弁護資料として提出された不思議な文書がある。(略)
 書簡で白鳥は皇室のキリスト教化と戦争放棄の平和憲法制定を訴えている。白鳥は日本の敗戦をかつてのユダヤ王国の滅亡に譬え、日本民族との類似性を指摘する。(略)
 ここからは理解しがたい内容だが、キリスト教と神道は共通性があり、それゆえ「日本人もそのままイエスの教義を受け入れて差し支えなきにあらずや」ただ「従来の意味における宗教としてキリスト教が広く日本に行き渡るは容易の技にはこれなかるべく」国民を教導するため天皇が率先してキリスト教に改宗すべきではないかというのだ。

不思議と実現した白鳥敏夫の吉田茂宛書簡の中身

井上 ちょっと余談的な話になりますが、白鳥敏夫の弁護で吉田茂と白鳥の書簡が出てきます。結果的には証拠採用されないんですが、どういうつもりで、白鳥がこういうことを書いていたのか、よくわからない。皇室のキリスト教化と平和憲法が必要であるという。これが昭和20年12月10日付となっている。この時点でこれを書いている。
保阪 白鳥が憲法を作ったなんて話もあるほどです。むろん事実ではありませんが。
半藤 憲法の平和条項は白鳥のプランであるとね。最近しきりにいわれている。
井上 ただ、この二つは不思議と実現しているんですよ。まあ、皇室がキリスト教になったわけではないですが、その後の皇室を囲むキリスト教人脈を予言しているようでもあるし、不思議なんですよ。(後略)

天皇家は日本の文化と伝統を体現することをやめると決めたのだろうか。一木一草にまで天皇制が浸透しているウルトラなナショナリズムなどという日本の民族主義についての評価は実は買い被りの都市伝説にすぎないのではないか。


(何のことを言っているのかわからない方もいらっしゃると思うので、参考になる本をいくつか挙げておきます。

戦時戦後体制論 雨宮昭一
昭和天皇の終戦史 吉田裕
草の根のファシズム
それでも日本人は戦争を選んだ 加藤陽子

「以上のことを歴史認識の問題として捉え返してみると、私たち日本人は、あまりにも安易に次のような歴史認識に寄りかかりながら、戦後史を生きてきたといえるだろう。すなわち、一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧を加える粗野で粗暴な軍人を置き、他方の局には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的なシビリアンを置くような歴史認識、そして良心的ではあるが政治的には非力である後者の人々が、軍人グループに力で持ってねじ伏せられていく中で、戦争への道が準備されていったとするような歴史認識である。」吉田

「みなさんは、三十年代の教訓とはなにかと聞かれてすぐに答えられますか。ここでは、二つの点から答えておきましょう。一つには、帝国議会衆議院議員選挙や県会議員選挙の結果などから見るとわかるのですが、一九三七年の日中戦争のころまで、当時の国民は、あくまで政党政治を通じた国内の社会民主主義的な改革(たとえば、労働者の団結権や団体交渉を認める法律制定など、戦後、GHQによる諸改革で実現された項目を想起してください)を求めていたということです。二つには、民意が正当に反映されることによって政権交代が可能となるような新しい政治システムの創出を当時の国民もまた強く待望していたということです。
 しかし戦前の政治システムの下で、国民の生活を豊かにするはずの社会民主主義的な改革への要求が、既成政党、貴族院、枢密院など多くの壁に阻まれて実現できなかったことは、みなさんもよくご存知のはずです。その結果いかなる事態が起こったのか。
 社会民主主義的な改革要求は既存の政治システムの下では無理だということで、擬似的な改革推進者としての軍部への国民の人気が高まっていったのです。そんな馬鹿なという顔をしていますね。しかし陸軍の改革案の中には、自作農創設、工場法の制定、農村金融機関の改善など、項目それ自体ではとてもよい社会民主主義的な改革項目が盛られていました。」 加藤

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