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金と日本文化の研究会コミュの飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま

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飛鳥大仏、ほぼ飛鳥時代のまま

本日の朝日新聞に興味ある記事が掲載されていた。
奈良県明日香村、安居院に安置されている日本最古の金銅仏の飛鳥大仏。
この仏像は1196年(建久7)の落雷による火災で焼失、
顔の上半分、左耳、右手の第2・3・4指のみ当時のままで
残りの部分は後代に補修されていたとされる。
しかし、早稲田大学研究チームの調べで
銅の比率など大仏の金属組成には時代のずれがなく
奈良時代のものであることが判った、と報じている。

1240年頃に書かれた書物によると、大仏は頭と手しか残らなかったとあるが
これはいったいどうしたことか。
明治以降の研究ではこの時の記録が前提になって現在に至っている。
日本書紀によれば、588年に百済から僧と技術者が派遣され
飛鳥の真神原(みまかのはら)にあった蘇我馬子の邸宅を壊して
法興寺を建てたことに由来する。
奈良時代に平城京が造られると、法興寺は元興寺として奈良に移る。
飛鳥の法興寺は元興寺、飛鳥寺などと呼ばれ、現在では安居院。

飛鳥大仏は605年に着工し609年に完成されたとされている。
制作者は鞍作鳥(止利仏師)。
この仏像に使われた金は高句麗より輸入したもので
その量は320両、605年のことである。
日本で「金産出」の記録が出てくるのは
701年3月15日 追大津の凡海宿禰(アラ)鎌[おおしあまつのあらかわ]を
陸奥国に遣わして金の精錬をさせた。
8月7日 大和国忍海郡の三田首百瀬が
対馬の黄金を貢上したのを記念して年号を「大宝」とした。
が、後に偽物だった事が判明。
この後金の記事はぷっつりと消え、
749年陸奥国司百済王敬福が黄金900両を献上する、まで待たなければならない。

7世紀末から8世紀のことについては頼るべき資料は日本書紀しかないので
何処までが真実を語っているか謎が多いが
今回の研究成果は仏教と仏像、そして金の歴史を考える上で
大変興味深いものとなったことは間違いがない。

私のライフワークとして「日本の金の歴史」と「東大寺大仏と金の謎」がある。
いずれも日本が金と如何にして関わり、独特の文化を築いてきたことを調べているが
古代史の中でも奈良時代はとても面白く興味が尽きない。

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